そして全てが動き出す
養成学院を卒業する日が迫ってきた。最初は嫌で嫌で堪らなかったがいざ学んでみると、今まで触れたことの無い勉強という物は存外に面白かった。悪魔を殺す技術向上が目的なところやその為の授業は終始一貫嫌いなままだったものの、友達と言える存在にも幾人かめぐり合えたし、これはこれで得る物があったといえる年月だったろう。
何より驚いたのは自身の父に出会ったことか。璃琉は王城内を歩きながらそんな風にこの数年を振り返る。国王の娘だという事が判明してからも、璃琉は学院の寮に身を置いたままだった。原則として学院生は寮に住まうと決まっていたし、そもそも王城で暮らすこともいくら実の父とは言えどロクに面識の無い王と暮らすことも、自分の中で上手くイメージが出来なかったからだ。
今、王城内を歩いているのも「王の娘」としてではなく、「学院主席の生徒」として父に…王に呼ばれたからに過ぎない。あれ以来、何度か足を運んだ城ではあったが、どうにもこの雰囲気には慣れそうにもなかった。璃琉の中で「家」と言えばあの孤児院だし、「家族」と言えば日向や孤児院に暮らす他の子供たちである。まかり間違っても「王城」や「国王」では無いのだ。
「…いや、違う…?」
足は淀みなく進みながらも、璃琉は我知らずに呟いた。孤児院や日向たちではなく、自分の家は、家族はもっと…。この答えが何かとても重要なものに繋がっている気がするのに、まるで靄が掛かったかのようにその答えが見えない。一体、あの孤児院でなければ何処に自分の家や家族があるというのか。でもそうではないと告げてくる何かがある。
「璃琉?」
思考が深くに沈みそうになったところで、不意に名前を呼ばれ顔を上げると謁見の間の扉の前には譲葉が立っていた。
「譲葉。何で此処に?」
孤児院によく訪れていた事から昔馴染みとも言える譲葉の姿に、つい今までの璃琉の思考は霧散してしまった。
「王様に呼ばれたの。」
「父上に?私もだよ。」
妙な場所で出会った二人が顔を見合わせていると、謁見の間の衛兵がゴホンと咳払いをした。その音に気付き、二人が揃って視線を向ける。
「青騎士、譲葉・トゥルース。青騎士養成学院主席、璃琉・ファーナ。以上二名が揃ったら、共に入るようにとの仰せです。お入りください。」
璃琉と譲葉は再び顔を見合わせてから、さっと自分の身なりをチェックし、揃って姿勢を正す。それを確認した衛兵がさっと扉を開け、二人は中へ踏み込んだ。
しかし話があるなら普通に呼べばいいだろうに、何故父は「謁見」に来るように呼び出したのか。しかも譲葉と共に。父の真意は全く分からなかったが、初めて訪れたときの緊張は既に無く、譲葉と共に慣れた動作で「王」への挨拶を済ます。
「顔を上げよ。」
いつもながらの言葉を受け、顔を上げて王をまじまじと見つめる。この人が自分の父だと言われてから大分経つが、そんな実感は未だに無い。王自身が「母似だ」と評するだけの事も有り、璃琉自身はあまり父の顔に自分との共通点を見出せない。実際は顔のつくりはともかく、不機嫌な時に見せる表情や睨みつけた時の鋭い目付きなどはそっくりなのだが、そんな事は知る由もない。
「璃琉・ファーナ。そなたはもうじき卒業だったな。」
「…あ、はい。」
違う事に思考を取られていた為、反応が遅れたが王に気にする様子は無い。それが寛大な心によるものではなく、璃琉が実の娘でかつて愛した少女の面影があるからと言う事は自明の理であるが。
「卒業後は青騎士として務めてもらう事になる。そこでだ、そなたに勅命を与える。」
王は言葉を切り、視線を譲葉に向ける。
「卒業後は譲葉・トゥルースと共に、悪魔の森につく事とする。」
「な…何故ですか!?」
声を上げたのは璃琉ではなく譲葉だ。
「学院の成績は非常に優秀だと聞いている。学院きっての才と言われたそなたに匹敵するとも。なればその才を埋もれさせるには、あまりに惜しいだろう。」
「それは分かります。しかし何故、悪魔の森になどと…!」
「青騎士として歴代随一とも噂されるそなたと任に当たることは、非常に良い経験となるだろう。またかの森ならば、悪魔と実際に遭遇する可能性も高まる。優秀な者には多くの経験を踏んでもらい、その才を生かすべきだとは思わぬか。」
「…確かに、仰るとおりです。」
譲葉は観念したように頭を下げる。下手に悪魔を殺す気満々な者と組むよりは、悪魔を殺したくないと思っている璃琉と組むのは好都合だとは言える。だがしかし、璃琉をあの森へ…アライズたちの元へ近付ける事に対する抵抗を感じずにはいられない。アライズが自らの心を傷付けてまでも、その幸せを願い手放した少女なのに。とは言え、王の絶対といえる命令に背くなど出来ようはずも無いのだ。
「悪魔の、森…。」
璃琉が隣にいる譲葉にも聞こえないような声で呟く。そのワードに心の奥で何かがざわつく。それはとても大切な何かで、だけど決して思い出してはならない何か…。此処に向かう途中、手を伸ばしかけ掴みそこなったそれが、再び靄の向こうで見え隠れする、そんな感覚。
そう、そこには私の…「僕の」大切な…。
「璃琉。」
完全に意識を彷徨わせていた璃琉は、ビクッと反応する。
「良いな?」
「…はい、我らが王よ。そのご命令に従います。」
返事をし再び頭を下げながら、またも何かを逃した感覚でいっぱいだった。だが「悪魔の森」と聞いて生じた心のざわつきは、そのまま治まる様子は無かった。
「アライズさんは?」
「今日も出掛けてらっしゃるよ。」
契架は何処と無く嬉しそうに答える。此処最近のアライズは館にいることの方が少ないようだが、少し前までは籠りっきりだったことを思えば、確かに喜ばしいことだろう。そんな契架の様子を両手で持ったティーカップから昇る湯気越しに見ながら、譲葉は小さく息を吐いた。
「なら、好都合かな…。」
「何が?」
譲葉の呟きに、契架はティーポットから顔を上げて向かいに座る譲葉を見つめる。譲葉は契架の視線を受け止めてから、じーっと琥珀色の液面に視線を移し溜め息と共に今日の本題を切り出す。
「…璃琉が学院を卒業したら、私と一緒にこの森の担当になる事が決まったの。」
契架の表情が一瞬固まる。
「…えぇー!」
そして絶叫とも言える声が広間に響く。譲葉はもう一度はぁと溜め息をついた。
「璃琉も孤児院での経験から悪魔殺しには反対だから、あんたたちと殺し合いになることは無いだろうケド…。」
そこで譲葉が先を言うのを躊躇うかのように口をつぐんでしまう。しかし契架には譲葉の言いたいことが十分すぎるくらい分かっていた。
「アライズ様があれほどの思いで手放したリルが…。」
その言葉に譲葉もこくりと頷き、テーブルに上半身を倒れこませる。
「…とりあえず、この事はアライズ様には黙っておこう?」
「え?」
「最近のアライズ様はお忙しいみたいで館にもあまりおられないし、結界も譲葉に対しては解いてあるから一緒に行動すれば大丈夫だと思うから…。」
やや俯きながら言う契架の顔には、アライズを気遣う色がありありと表れている。ようやく一時期の落ち込みようから脱したばかりのアライズに余計な負担を強いたくは無い、そんな表情。
そんなアライズに一途な様子を見せる契架に、譲葉はほんの少し面白くないと思ってしまう。何故自分がそんな事を思うのか、その理由にも最近薄々気付いてきてはいるが、まだ認めたくない気持ちも大きい。
「譲葉?ダメ…かな…?」
譲葉の沈黙を否定と取った契架が、こちらを窺うようなやや上目遣いで見つめてくる。譲葉は先ほどまでの気持ちを紅茶と一緒に飲み込み、身体を起こした。
「ううん、いいよ。そうしとこうか。」
元々黙っておく事に反対しての沈黙だったわけではないのだから、さっぱりとした口調で肯定を告げると契架に笑みが浮かぶ。その笑顔を見てこみ上げてきた温かい感情はきっと、温かい紅茶を飲んだせいだからと自分を誤魔化しながら、カップの中の紅茶を一気に飲み干した。
「アライズ様。ディストゥリクト当主ツヴァイラ様より、こちらを預かってまいりました。」
セルリアは数日前アライズから託された信書を持って訪ねたディストゥリクト家にて面会した、年老いた当主から返事だと預かってきた封筒を差し出す。
アライズは受け取るとその場で封を切り、中を覗いて便箋と共に一枚のカードが入っている事を確認し、にやりと口の端に笑みを見せた。
「さすがはディストゥリクト当主。…話が分かるな。」
満足げに呟いて、便箋だけを取り出し内容を確認する。
セルリアは直立の姿勢で主の行動を黙って見ていた。アライズの指示で魔界とこの場所を行ったり来たりしているのは数年前と変わらないが、その頻度はこれまでとは比べ物にならない。それもこれもアライズにあるべき席…ディスカナン当主の座についてもらう為だと思えば、喜びこそあれど不満は無い。
「了解した。次の指示は追って出す。」
「はい。ご指示をお待ちしております。」
便箋から顔を上げたアライズの言葉に、打てば響くような返事を返す。これこそ自らが望む立ち位置なのだと強く感じながら。
セルリアが帰っていったのを確認してから、アライズはフードを深く被り直す。目元の辺りまですっぽりと覆い隠すとセルリアから受け取った手紙を懐へとしまい、一つ覚悟を決めるように息を吐く。続いて常に消している翼への術を解き、その背に大きな黒い翼を出現させる。
そして目を閉じると一気に転移した。
ふわりと独特の感覚に包まれ、それが治まる時には既に、森のそよ風も木の葉擦れの音も何処にも存在しない。さぁっと砂っぽい風に目を開けると、そこは追放されたあの日以来となる、魔界だった。魔界への門はここから少し先である。
「…また此処に来る日が来ようとはな…。」
ぼそりと呟き門に向かって足を進める。直接門の付近に転移しなかったのは、門番に不審がられないようにするためだ。転移魔法などで現れては、折角の偽装手段も無駄になりかねない。いつもは開け放しているローブの前部分も歩きながら閉めて、ほんの少しでも違和感を抱かれないよう準備した。
程なく見えてきた門に向かって、思わず躊躇いそうになる足を、意識的に変わらぬ歩調で進める。門の前で足を止めると、門番がすかさず訪ねてきた。
「この先は魔界。許可無く立ち入ることは禁じている。」
威圧感たっぷりに言う門番に、アライズは無言で懐から一枚のカードを取り出して示す。門番が剣呑な目付きでそのカードを見て、それが何なのか気付くと大慌てで敬礼した。
「失礼しました!」
そのまま急いで詰め所に行き、何事かを内側の詰め所へ連絡しながら開門のレバーを倒す。アライズはフードの下でにやりとした笑みを浮かべた。
もう何年ぶりになるのか、アライズは魔界へ足を踏み入れると人通りの少ない陰へと移動する。そのまま裏道を通りながら目的地を目指す。久しぶり過ぎるが大きく道が変わったりもしていないようで、記憶にあるまま足を進める。
魔界の中心街から離れたやや辺境とも言える地に、目的の屋敷は記憶の中と変わりない佇まいで立っていた。今度も躊躇することなく屋敷の門を叩くと中からメイドと思しき年若い女性が出てくる。
「どちら様でございますか?」
丁寧な問い掛けにアライズは再度、懐から出したカードを示す。
「当主に話があってきた。」
しかしメイドは困ったようにカードとアライズを見比べる。
「あの…面会のお約束を取り付けておられない方をお通しすることは…。」
「いいのよ、その方は。」
メイドが困り顔で断ろうとした時、屋敷の中から声が掛けられる。そこにいたのはメイドではなく恐らく当主の秘書であろう、日向くらいの年齢の女性だった。
「よくぞいらっしゃいました。我が主がお待ちです。」
当主から何らかの事情を聞いているのであろう女性は、メイドを制してアライズを出迎える。アライズは恐縮しながら去っていくメイドの背中を見つつ、案内をする女性に無言で付いていった。
「ツヴァイラ様、お客様がいらっしゃられました。」
屋敷の中でも一番大きいと思われる扉の前で女性はノックをし告げる。
「入れてよい。」
中からの返事を受け、女性は扉を開くとアライズに頭を下げ中に入るよう示す。アライズも彼女に礼を込め小さく頭を下げ返すと、室内へと足を踏み入れた。
応接間や執務室と言うよりは私室といった印象のその部屋は、様々な物が並んでいる。散らかっているようでも整然としているようでもある室内の、窓辺に近い場所に置かれた政務机に目的の人物はいた。
「本当に来るとは思わなんだ。」
部屋の主にしてこの屋敷の主でもある女性―ツヴァイラがアライズを見て言う。風貌は老婆であるが、その声はピンとした張りがあり威厳に満ちたものだった。
「我の…私の話に耳を傾けて下さった事、心より感謝申し上げます。ディストゥリクト当主。」
アライズは目深に被っていたフードをばさりと外し、ツヴァイラに深く頭を下げた。
「追放された者が再び魔界に足を踏み入れるなど、大問題になりかねんぞ?」
ツヴァイラは手元の書類からゆっくりと視線を外し、年にそぐわぬ鋭い視線をアライズに向けてくる。
「そう仰いますが、しかし入れるよう手引きしてくださったのは貴方でしょう?」
口の端に笑みを浮かべ、アライズは懐から例のカードを取り出す。そんなアライズの様子にツヴァイラはふんっと笑った。
「その全てを己の手のひらに乗せておきながら、何も気付いてないかのような振る舞い…お主の父にそっくりだな。」
その意外な言葉にアライズの目が丸くなる。
「父をご存知で?」
名家の当主同士なのだから面識ぐらいはあるだろうが、両親に似ているなどと言われた事の無いアライズにとってはあまりに意外な言葉過ぎて思わず間抜けな問いを口にしてしまう。
「ミーティアちゃんが連れてきていたからな。…その辺に適当に腰掛けぬか。立ち話などされても落ち着かんわ。」
周囲を見回しテーブルの傍に置かれた椅子に腰掛けながら、ついぞ瞠目してしまう。
「ミーティア、ちゃん?」
それは確かに母の名だが、母だって仮にもディスカナン当主の妻。いかに他の名家の当主と言えど「ちゃん」呼ばわりは許されるはずも無い事である。
しかしツヴァイラは懐かしむように微笑む。
「ミーティアちゃんは私を名家の当主とは知らなかったようでな。この家のハウスキーパーをしに来てくれていたのだ。」
母が独身時代に一人暮らしの老人の家を訪ね、家事や生活の手伝いをして働いていた事は知っている。また確かにこの屋敷はツヴァイラの個人宅であり、ディストゥリクト家本邸はもっと市街地に近い場所に建っている。しかしまさか七名家の当主の屋敷にまでそうとは知らずとも来ていたとは、大した人だと思わず嘆息する。
そんなアライズの様子にツヴァイラは怪訝そうな表情を見せた。
「まさかとは思うがお主、知らなかったのか?であれば何故、私に手紙なぞ寄越した?てっきり親のコネだと思っていたのだが。」
アライズは苦笑を浮かべる。
「両親とツヴァイラ様の関係は全く存じておりませんでした。私がディストゥリクトに協力を申し出た理由は二つ。一つは私の追放の書状に、印を押されなかった唯一の名家であるからです。」
印を押さなかった張本人であるツヴァイラは、ふんと面白くなさそうな顔をして鼻を鳴らす。
「お主の両親はそれを望まぬと思ったから押さなかったまでよ。」
目を逸らしてその罰の悪い子供のような言い様に、アライズは思わず微笑しかけ慌てて押しとどめた。
「二つ目の理由ですが…私が現在に至るまで、人界の館で共に暮らしているハーフの少年がいます。」
アライズの言葉に、ツヴァイラが驚いたようにばっと顔を向けてくる。
「彼の名は、契架・ファロゥ・ディストゥリクト。…貴方のお孫さんです。」
ツヴァイラの目が零れ落ちんばかりに見開かれる。
「何だと…!?」
ツヴァイラには追放された娘がいた。彼女が追放された理由は、人間を愛してしまったからだ。人と寿命を分つのは魔界の絶対禁忌。書状なども不要なまま、問答無用で追放されてしまう。そんな風に娘を手放す事になった為、ツヴァイラは名家の中でも珍しいくらい高齢での当主を務め続けているわけで。
追放された娘の行方をツヴァイラが知ることはなかった。せめて元気かどうかだけでも知りたくてちょくちょく偵察を送り込んではいたが、今日に至るまで掴めた情報は何一つ無い。
「貴方は娘さんの行方が知りたくて、あちら側に頻繁に人員を送り込んでいた。だからこのような物を、魔界で唯一所持しておられる。」
アライズはそう言い、胸元から一枚のカードを取り出す。魔界に入る際には門で提示した、セルリアの持ってきた手紙の返事と共に入れられていたカードである。しっかりとした作りのそれは華美ではないが精緻な図柄に彩られ、その中央にはディストゥリクト家の家紋が印字されている。
このカードの意味は「ディストゥリクト家から正式な命を受け、その命に従い魔界を出入りする事を許可する」と言う物。つまりこのカードを魔界の門で提示すれば、身分のチェックなどを省略して出入りが可能である事を示す物である。
「ふん…、食えぬ男よ。」
ツヴァイラが不機嫌そうにカードから目を逸らし呟く。しばしの沈黙の後、再びその鋭い眼光をアライズへ向けた。
「して、お主…本気か?」
その問いにアライズは口の端に笑みを浮かべる。
「本気で魔界と人界で和平を結ぶと?」
「もちろんです。」
アライズは自信たっぷりに頷く。
「その為の協力をしていただきたい、ディストゥリクト当主。これが現実のものとなれば、貴方もお孫さんや娘さんと顔を合わせる事も叶うでしょう?」
「…どう他の名家を説得するつもりかを聞かせてもらおうか。返事はその後だ。」
ツヴァイラの言葉にアライズは密やかなる笑みを浮かべる。まずは一勝を上げられると確信して。




