形を変えた日常
「アライズ様。」
契架が控えめにアライズの自室のドアをノックするが、中から答えはない。
「少し外へ出て参ります。お食事はいかが致しますか?」
「…不要だ。」
部屋の内側からは素っ気無く一言だけ返ってくる。予想された答えに、契架は扉の内側に聞こえないよう小さく息を吐く。
「分かりました。」
森の中を一人で歩きながら、契架は様々な事に思考を飛ばす。
あれから一ヶ月。アライズは一度たりとも自室から出て来ない。食事も不要だと言い切り、全く食べていない。もちろん悪魔である以上、食事を取らずにいたせいで死亡、ということは無いのだろうけど。
とは言え、契架もかける言葉を見つけられず、隔たれたドアを開けることは叶わないままだった。一人きり館の中にいても気が滅入るばかりで、必然的に森を散策することが増えた。散策などと表現できるほど楽しい事があるわけでもないのだが。
「契架。」
俯き加減に歩いていると不意に呼びかけられ、思わず黒髪の少女の姿を周囲に探すがいるはずもなく、道の前方に薄い金色の髪とリルと同じ青い眼の少女を見つける。
「譲葉…!どうしたの、今日は?」
あの日以来となるその姿に、思わずほんの少しばかりの笑みがこぼれる。譲葉の元まで駆け寄ると、譲葉も微かに笑みを浮かべて答えた。
「ちょっと伝えなきゃならない事があって。今、時間は大丈夫?」
それは話が長くなると言外に言っているのだろう。
「それなら、こっち。ついてきて。」
そう言って契架は道から逸れ、森の中へ足を踏み入れる。譲葉も大人しくついてきていることが足音から伝わる。少しばかり森へ入ったところで、ほんの少しばかり木々が開けた場所に出る。幾つかの切り株があり、そこに腰を下ろす事が出来る。日々の散策で見つけたちょっとした休憩スポットだ。
「こんなところもあるのね。」
譲葉が呟き、手近な切り株へ座る。契架も近すぎず離れすぎない切り株を選び、腰を下ろすと譲葉に向き直る。
「それで、話って?」
譲葉に敵意はもう無いようで、腰に下がった剣に触れる様子すら見られない。
「うん…。先日、王様に呼ばれて城へ行って来たんだけど、少し厄介な事になってね…。」
「ハーフの青騎士への召集を始める!?」
思わずこの場が玉座の間で、目の前にいる人物が国王であることすら意識の外に飛び、譲葉は声を上げた。
「あぁ。」
王はいつもの冷徹な響きのまま答え、それにようやく譲葉も僅かに落ち着きを取り戻す。
「とりあえず当面は強引な召喚は避けるがな。人間に対する敵意を抱かせるのは得策ではない。だが、望んできた者には養成学院への入学を許可する。また強制はしないが勧誘は行っていくつもりだ。」
にいっと王の口の端に獰猛な笑みが浮かぶ。
「そなたの報告を踏まえた上での決定だ。よくぞ面白い報告をしてくれた。」
「いえ…。」
曖昧な返事をしながら、譲葉は動揺を押し隠した。契架が徴収されないようにせねば、アライズが殺されないようにせねば。そんな思考が自分の中に芽生えているが故の動揺だとは、まだ譲葉自身気付いてはいない。
「…というわけで、ハーフも青騎士養成学院への召集が始まったの。」
譲葉はそこで一度言葉を切ると、契架を真っ直ぐに見つめる。
「此処に他の青騎士が来る事はないと思うけど、人員が増える事に違いは無いから、契架たちは見つからないように気をつけて。」
そしてふいっと契架から視線を外して、僅かにトーンを落として続けた。
「契架は青騎士には、向いてないから…。」
譲葉の最後の言葉に契架の目が丸くなり、次いで嬉しげに笑った。契架自身、ずいぶん久しぶりに笑ったかもしれないと思いながら。
「ありがとう。譲葉のそういう気持ち、凄く嬉しい。」
譲葉はチラリと契架に視線を寄越すと、照れたようにふんっと小さく鼻を鳴らす。
「私も…もうあんたたちに剣を向けるつもりはないから、安心して。」
「うん。」
分かってたよ、そんな笑顔を浮かべて頷く契架に、いかんとも形容しがたい感情が譲葉の中に生まれる。
「その代わり…、これから私にもっと悪魔の事やあんたたちの事、教えてくれない?…その、ただ憎いって気持ちだけでなにも知ろうとしてなかったのかも知れないって、思って。もっと色んなことを知ってみたいな、って…。」
その言葉は、契架が少し前にアライズから聞いた話と重なった。
『俺、悪魔の事もっと知りたいもん!』
アライズを救ったと言う、晴人の言葉。悪魔を知りたいと願う人間がここにもいる。もしかしたら彼女なら…。
「ねえ、譲葉。良かったら僕たちの館へ来ない?そしたら色んな話がもっと落ち着いて出来るでしょ。」
譲葉の目が見開かれる。
「流石にそれは…、アライズさんが許さないんじゃないの?」
「もちろんアライズ様の許可は頂くけど、たぶん大丈夫だよ。」
契架は言葉を続けながら立ち上がる。
「館の周辺にはアライズ様の結界が張ってあって、誰かが入ってくればすぐにアライズ様に伝わるようになってるんだ。だけど今日はアライズ様が此処へ来る事も、譲葉を追い返すような術を使うこともしてないでしょ?」
問われ、譲葉は頷く。契架は満足げに大きく頷いた。
「それはつまりアライズ様が、譲葉への警戒を解いたって事だよ。」
その理由は心を許した人間だから、ではなく恐らくただ投げやりになっているだけではないかと思われるが、今はその理由より事実の方が重要だと契架は思った。
ギイッと重々しい音の割には軽く開いた門扉の中へ契架に促されて足を踏み入れる。
「大きい…。」
この森の中にこんな立派な洋館があったとはまるで知らず、思わず感じたままを口に出す。
しかし契架は当たり前だが、慣れた様子で館の扉を開けて譲葉に入るよう示す。あまりに立派で本当に立ち入っていいものかと不安になる心を、強引に払い除け扉の内へ入る。
中も外と同様に、歴史的建築物かと言いたくなるような装用を呈している。その印象を強める一端は、本当に人が住んでいるのかと疑いたくなるような生活感の無さとでも言うのだろうか。掃除は行き届いており、生活用品は見られない。
「こっちだよ。」
契架が先立って進んでいくので、譲葉は若干きょろきょろしつつその背を追う。長い廊下を進み階段を上り、また廊下。やがて館の端の方に位置すると思われる扉の前で契架は足を止め、その扉をノックした。
「…アライズ様。」
呼びかけるが応答は無い。譲葉の鍛えられた五感を持ってしても、人がいるような物音や気配はないので留守だろうとアタリをつける。しかし契架は構わず言葉を重ねた。
「森で青騎士の譲葉と出会いました。彼女に敵意は既に無く、悪魔の事を知りたいとまで言ってくれました。なので今後、彼女をこの館に招き、悪魔についての知識を与えたいと思っています。」
「契架?中は誰もいないって…。」
譲葉が契架の肩を掴んでそう告げるが、契架はそっと手で制す。
「どうか、彼女がこの館に今後も立ち入る事の許可をいただけないでしょうか…?」
契架は気配が読めないのだろうか。そう思いながら譲葉が嘆息した時だった。
「…いいだろう。」
扉の向こう側から声が返ってきて、譲葉は大袈裟なくらいビクッとした。それは多少掠れてはいるものの、アライズ自身の声だと思われる。
「ありがとうございます!」
契架は嬉しげに答えると、譲葉の手を引いてその場を立ち去る。
「ちょっと…契架!何で…、あの扉の向こうからは何の気配もしなかったのに。」
何処かへと引っ張られながら譲葉が声を上げると、契架は足を止めることは無く首だけで振り返る。
「そうなの?…アライズ様は、元々気配とかあんまりないからかなぁ?」
「それにしたって、扉一枚向こうにいるのに私に捉えられる気配がないって…死人じゃあるまいし。」
譲葉が冗談のつもりでいうと、契架は複雑そうな苦笑を浮かべる。
「そうだね…、だけど…。」
「契架…?」
何処か痛々しい力のない笑みに心配になり呼びかけるが、契架は無理矢理作り出したような明るい声で大きな扉を示した。
「ほら、ここが大広間だよ。入って!」
やや強引に背を押され、扉を開けるとそこは映画にでも出てきそうな雰囲気の、華美ではないが豪奢な部屋だった。扉の正面は館の表に面していて、一面の窓から穏やかな日が差し込んでいる。
「適当に座ってて。今、紅茶淹れるね。」
契架はテーブルを示すと、そのまま広間の奥に併設されたキッチンの方へ行ってしまう。仕方なく譲葉は多少の緊張を覚えながら、暮らしている人数に対してあまりに大きいと言えるテーブルに歩み寄り、適当な椅子に腰掛ける。簡単なパーティなら余裕で開けそうなほど無駄に広い部屋だが、掃除は完璧に行き届いている。恐らく契架の働きによるものなのだろう。他の二人が家事をしているところなど想像も出来ないし。それにしてもこの館は三人しか住んでないのに、無駄に広い。それが生活感を感じさせなくしている一因だろう。
そこでふと、今日は青眼の少女にまだ遭遇していない事に気付く。耳を澄ましても子供の声はしてこないし、アライズの部屋に一緒にいたような気配も無かった。
「お待たせ。」
そこに契架がトレイに乗せたティーセットを持って現れる。手馴れたように譲葉の目の前にそれらを並べると、向かいの席にも同じ様にティーカップを置き、そのまま椅子に座った。カップからは紅茶のいい香りが立ち上っていて、思わず眼を細める。
「ねえ、今日は青眼の子はいないの?」
カップを手に取りその香りを楽しみながら何気なく問うと、契架の表情が一瞬にして曇った。
「うん…、長くなるけど…いい?」
譲葉が疑問の色を浮かべつつも頷いたのを確認すると、契架はゆっくりと重い口調で先日譲葉と別れた後、館で起きた事の顛末を説明に必要な悪魔の情報やアライズの過去と共に語った。
「そんな事が…。」
一通りの話を聞いて、譲葉が呟く。先ほどの契架の痛々しい笑みはこういうことだったのか。
「…私がこの森に来たせいだね。…ごめんなさい。」
罪悪感から来る心の底からの謝罪に、契架が慌てた様子で手を振る。
「そんな事無いって!…たぶん、譲葉が来ても来なくてもこうなる時は訪れたよ。それが今かどうかっていうだけの違いでしかないと、今になっては思うんだ。」
それでも自分が来なければという意識は消えない。アライズがあんな気配も無い死人のように籠っているのもリルを手放したせいに違いない。
「…ホントは時々でもいいからリルの様子を見に行ったり出来ればいいんだけどね。僕らと会う事で記憶が戻る可能性を僅かでも生じさせたくないから、って止められてて僕もアライズ様も孤児院に行く事は出来ないんだ。」
契架が自嘲的に述べた言葉に、譲葉がふと顔を上げる。
「それなら、私が行こうか?」
「え?」
「私がその孤児院を時々訪ねて、此処に報告に来るよ。罪滅ぼし…ってわけじゃないけど、やらせてもらえない?」
それは思いがけない光明というべきか。もしかしたらアライズも元気を取り戻してくれるかもしれない。
「…うん、お願いするよ。譲葉!」
譲葉がリルの様子を見て定期的に報告に来る、という話をアライズにしたが「好きにするがいい」と素っ気無い返事が返ってきただけだった。しかし一回、また一回と譲葉から聞いた話を伝えている内に、徐々にアライズも広間へと足を運び一緒に話を聞くようになった。相変わらず契架の知る範囲では館の外に出てはいないものの、年月の経過と共に館の中でアライズの姿を見かけるようになり、同時に度々譲葉も契架を訪ねて館へ来るようになった。そんな日々はいつしか日常となりつつあった。




