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リル・ファーナが愛した悪魔  作者: 瀬河 柊
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ぼくがまもる


 その時、契架と譲葉の間の空間に一陣の風が巻き起こった。

 一瞬、契架も譲葉も何が起こったのか分からない。ふわりと風が治まったとき、その場には夕日の満ちたこの場においても夜を思わせるような漆黒の人影。足元まで覆う長いローブを羽織り、フードを目深に被る、夜を固めたような漆黒の長髪とそこに浮かぶ月を思わす黄色の瞳を持つ長身。

 アライズが転移の術でその場に現れた。

 しかし契架はいつものように呼び掛ける事が出来なかった。譲葉もまた、こんなに間近で悪魔と対面したのは初めての経験ゆえに言葉も剣も瞬時には出てこない。しかしその内で渦巻く悪魔への憎悪が譲葉の青い眼に込められていくのが分かった。

「青騎士の少女よ。我を殺したいか。」

 静寂の中、アライズの声が譲葉を呼ぶ。譲葉の肩がビクッと揺れ、まるで覚悟を問うようなその言葉に、動揺とそして同時に言いようのない感情を覚えた。

「…殺したいなら、そうしても構わない。」

 その声はあまりに無感情だった。それゆえにその場にいた誰もが理解するのに時間を要した。

「アライズ様!何を仰って…!」

 三人の張り詰めたような静寂を破ったのは契架の声だった。しかしこの状況をどうしたらいいのか、という迷いが声にありありと表れている。

 だがアライズは僅かに契架の方へ視線を投げただけで、そのまま譲葉の方へ首を向ける。その一瞬の視線に込められた意味が契架には分からない。

「…殺させてくれるの?」

 譲葉は悪魔への憎しみに任せてゆっくりと剣を抜いてアライズに向ける。しかし憎悪に突き動かれながらも、何処かに迷いがある事は隠しきれていなかった。

 それは悪魔を殺す事への迷いではない。悪魔を殺す事は譲葉の悲願であり、それは青騎士になると決めた日から確固とした信念として譲葉の内にあり続けている。譲葉の迷いは「アライズ」を殺す事への抵抗だった。

 アライズは譲葉の言葉には答えない。しかし「どうぞ」と言わんばかりに両手を軽く広げ眼を閉じた。その光景に契架が焦って一歩踏み出すがそこで止まってしまう。アライズの気持ち、譲葉の気持ち。どちらも分かってしまい、どう動くべきか答えが見つからないのだ。

 アライズは「死にたかった」。

 譲葉は「殺したかった」。

 ならこの状況は二人の望む状況なのか。それなら止めるべきではない?

 しかしなら何故アライズはあんなに暗い眼をしているのか。何故譲葉の剣を持つ手が僅かに震えて、その眼には憎悪と苦悩が入り混じるのか。どちらも誰かに止めて欲しいのか?

 そもそも契架はアライズに死んで欲しくないし、譲葉に殺して欲しくない。でもそれは自分の我がままであり、エゴであるのか。

 三者三様、誰も動かぬ中で辺りは燃えるようなオレンジの夕日に埋め尽くされた。静寂の中、譲葉がギリッと奥歯を噛み締める音が響いた。

「それなら悪魔…、死ぬがいいっ…!」

 譲葉の足が地面を蹴り上げ、アライズ目掛けて走り出す。

「やめっ…!」

 やめろと叫んで飛び込みたいのに、契架の足は動かない。覚悟のままに譲葉が大きく剣を振りかぶった時だった。


「アライズ、だめぇっ!」


 譲葉より幾分高い声が響き、小さな人影がアライズと譲葉の間に飛び込んだ。

「っ…!」

「リルっ!?」

「なっ…!?」

 アライズが驚きに目を見開き、契架が思わず名前を呼び、予想外の事に慌てて譲葉が剣の勢いを止める。

 譲葉の剣はリルに触れるほんの少し手前で何とか止まっていた。リルは長い黒髪が乱れている事も構わず、アライズの前で目一杯その小さな手を広げ、譲葉に立ちはだかった。その深い青の眼には強い輝きを宿し、譲葉を真っ直ぐ睨みつけている。

「アライズをころすの、だめ!ぼくがアライズをまもるのっ!」

 譲葉は剣を引きリルから離れたが、その眼は驚きに見開かれている。

「青眼の子供…!?何で…。」

 しかしその場にいた誰より驚いているのは、アライズその人だった。自らを守るように小さな身体で精一杯剣に立ち向かう少女。

「リル…、何故…何故、飛び出してきたっ!」

 アライズがかつて無いほどリルに強く問いかけるが、リルもまた強く輝く青い目をアライズへ向ける。

「ぼくがまもるっていった!アライズは、しんじゃだめなの!」

 リルがこれほど感情を剥き出しにして物を言うところもまた、初めて見る光景だった。思わずアライズも言葉に詰まる。

「リル…、君は…っ。」

 アライズが痛々しげな表情で小さく呟いた。そのまま行き場の無い子供のようにリルから目を逸らし、俯いてしまう。

「…アライズ様。」

 契架がアライズの背に向かって呼びかける。

「リルと僕を…、青眼とハーフを拾われたのは、僕たちに自分を殺させる為だったのですか…?青眼とハーフなら悪魔を殺せるとご存知だったのでしょう!?」

 思わず語気が強まるが、それがどんな感情からなのか契架にも分からなかった。

「僕たちに殺される為に、僕たちを拾ったのですか!」

 いつの間にかオレンジに染まっていた空の東側が徐々に暗くなってきていた。迫りつつある闇も相まって、斜め後ろに立つ契架からは目深にフードを被っているアライズの表情ははっきりと見えない。

 しかしその長い睫がゆっくりと伏せられ顔に陰影を落とすと、アライズは小さく頷いた。

「…そうだ。」

 その声はひどく小さかったのに、森の静寂の中にぽつりと響き渡るようだった。

「っ…!」

 予想された答えのはずなのに、契架は思わず言葉に詰まる。するとアライズが静かな、感情の一切を窺わせない声で続ける。

「だが、もう殺してくれるなら誰でも構わない。」

 そう言うと、すっと黄色い瞳が譲葉を捉える。

 突然視線を向けられた譲葉は、しかしその意味するところが分かってしまった。つまりはこの二人ではなく、譲葉が殺してくれていいと言外に語っているのだと。それに気付いた時、譲葉はひどく動揺した。譲葉の知っている悪魔は傲慢で余裕綽々とし、自分たち以外の全てを見下している恐るべき能力を持った存在なのだから。

「ぼくはアライズをころしたりなんかしない!」

 不意にリルが叫ぶように言った。

「ころさないし、ころさせない!」

 力一杯そう言うと、未だ剣を構えたままの譲葉をきっと睨みつける。その眼に浮かぶのは明らかなる敵意。

 譲葉にとって敵は悪魔で、人間は守るべき存在で、青眼は仲間である。従って目の前の少女とて譲葉の「敵」ではない。しかし仲間である青眼の少女は譲葉を「敵」と認識している。そんな状況にもうどうしたらいいのか分からなかった。

「アライズはぼくがまもるの!」

 リルがもう一度強く言い放った時、不意にアライズがリルを抱きすくめた。そしてそのまま映画のワンシーンでも切り取ったかのように、鮮やかに且つごく自然にリルの額にアライズの唇がそっと触れる。

 あまりにも想定外で非日常な行動に、アライズの腕の中でリルは喜びでも照れるわけでもなくただ固まっていた。それは無論、契架と譲葉も同様で目の前で突然繰り広げられた光景に頭が付いていかない。

「リル…、君は…っ。」

 ただアライズだけは切なげに眉を寄せ、消え入りそうな声で呟く。その小さな身体を抱き締める腕には、リルが苦しくないよう配慮はされているものの、ありったけの力が込められている。

「アライズ…?」

 リルが呼びかけるが、アライズはリルの頭を自らの肩口に押し付け顔を見せないようにしている。

「…リル、すまない…。」

 小さな謝罪がリルの耳に届くのとほぼ同時に、アライズがリルの頭を押さえていた手から魔力を発動させる。何かを言おうと空気を吸い込んだリルはそのままくたりと力なくアライズに寄り掛かった。

「リル!?アライズ様、リルは…。」

「術で意識を失わせただけだ。」

 契架の慌てた声にアライズは変わらず暗いトーンで答える。その言葉に契架がほっと肩の力を抜くと、アライズはリルをそっと抱き直し譲葉に視線を寄越した。

「それでどうする?我を殺すのか。」

 自分の生死がかかった問いとは思えぬほど平たく冷たい問い掛けに、譲葉は今更ながら自分が剣を構えたままだった事に気付いた。手の中の愛剣と目の前の悪魔。それぞれを交互に見やるその表情には苦悩と葛藤がありありと浮かんでいる。

 やがて譲葉は構えたままだった剣をゆっくりと下ろした。

「…悪魔は、憎い。」

 搾り出すように憎悪の籠った声が響く。

「…けど、あんたは…殺したくない。」

 言った譲葉自身、そんな言葉が出てくるなんて信じられなかった。この男は間違いなく悪魔なのに。視界の端に映る契架の表情にも驚きが浮かんでいるのが見えた。

 しかし当のアライズはその返答に失望とも取れる色の表情を見せただけで、何も言うことなく最低限の動きでローブを翻した。すると現れた時と同じく、一陣の風が巻き起こり思わず二人が眼を閉じると、開いた時にはアライズとリルの姿は無かった。

 森を燃やし尽くすようなオレンジの夕日も、いつの間にか空の片隅にほんの少し残るばかりになっている。

 譲葉は小さく息を吐くと剣を鞘へと戻し、立ち尽くしたままの契架に視線を移す。契架の表情からはこの一連の出来事への動揺が如実に表れている。

「ねぇ。」

 呼びかけると、まるで譲葉の存在を忘れていたかのように大袈裟なくらいその肩がビクッと揺れる。

「…あんたが守らなくて良かったの?大事なご主人様なんでしょ?」

 契架の視線が迷うように右へ左へと揺れ、やがて戸惑ったような色を映しながら譲葉を見つめる。

「アライズ様の事は、もちろん守りたいよ。」

 そう言いながらも、先ほど明確な強さを持って「守る」と言いきったリルと比べて、自分の言葉の脆弱さに思わず自嘲的な笑みが浮かぶ。「守りたい」なんて願望しか口に出来ない自分。

「…でも、君と敵対もしたくないんだ。」

 これが契架の本音だった。何の力もない自分には贅沢すぎる望みだけれど。

 譲葉はとてつもない驚愕とともに、何故か自分の顔に血が上っていくのを感じた。

「君は?…なんでアライズ様を、悪魔を殺したくないと思ったの?」

 契架の黄色い眼が、譲葉の青い眼を捕らえる。そこに純粋な疑問の色を浮かべて。改めて問われると、その答えは上手く言葉に出来ない。

「…悪魔は、もっと獰猛で狡猾で無慈悲なものだと思ってた。私が知ってる悪魔はそんなだったから。」

 言葉を捜しながら戸惑うように譲葉は話す。

「だから、あんな寂しい、傷付いた眼をする悪魔がいるなんて思わなかった。」

 初めて一人で直接相対した悪魔は譲葉の知る悪魔とはあまりにも違いすぎた。あんな傷付いた子供のような、それでいて絶望の淵を覗くような眼をして、自ら「死にたい」と願うなんて。

 アライズの姿は、圧倒的な強さを持っているがゆえに一人きりでいるしかない哀れな子供、そんな風に譲葉の目に映ったのだ。

「…あんたの言う通りよ。」

「え…?」

 何が言う通りなのか分からず譲葉を見ると、譲葉も真っ直ぐ契架の目を見つめていた。

「悪魔も全てが悪いわけじゃないのかも知れない、って思ったの。」

 それに、と続けながら譲葉は契架から視線を逸らす。

「あんたを…、契架を悲しませたくないって思ったから…。」

 そう言う譲葉の横顔は夜の暗闇の中、少しだけ赤くなっていた。一連の騒動の中、二人の中の何かが変化してきている事をお互い感じていた。


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