酒場の店主と看板娘
寂しい夢を見たせいか寝覚めが悪く、気分をすっきりさせたくて外出することにした。商いの通りを歩けば、夜なのに人々の活気がある。その活気に過去の悲しみを紛らせて歩けば、少しは気分が落ち着いてくる。
ただ歩いているだけなら他の人と変わりないのに、病や怪我を治せる力があることだけがアルバニの肩身を狭くさせていた。
「そこのお兄さんっ、うちで飲んでいかないか?」
「あ、えっと」
色々な店を横目で見ながら歩いていたら、店の入り口で声をかけられた。恰幅のいい男だが人相は良く、明るい声で話しかけられたものだからなかなか断りにくい。
「でも私、あんまりお金を持ってないんですが……」
「いいんだって、なんなら俺から一杯奢ろうか。そんな暗い顔してたらマルジャンテの手に引っ張られちまうぞ。俺の店で飲んでいってくれ」
マルジャンテというのはこの地でいう【邪神】というものである。故にここの人たちは神であるがマルジャンテに『様』とつけたりしない。
彼の地の神ではあるが邪な知識を人に与えて、自らの利益を増やそうとする神であり【流通の神】と対立しているため、ここではマルジャンテを【邪神】とみなしているのだ。
故にこの地では『マルジャンテに手を引かれる』という言葉があるくらいには、長い時間【流通の神】と【邪神】は睨み合いになっている。
【流通の神】の思念は【人集まるところに繁栄あり】である、利益は万人に広げて流れを回すことで繁栄とする。
一方はマルジャンテは甘く囁き、一部を食い物にすることで利益を得るような知恵を授ける。上手くいっていない人や、暗い気持ちの人を誘惑するように持ちかける話なのだという。
そんな風習も相まって、暗い顔をしている旅人を気遣って声をかけたのだろう。
店主に背中を元気一杯に叩かれて、アルバニは困惑しながらも苦笑いを浮かべた。
「ぱあーっと飲んでいってくれ」
「は、はぁ……」
アルバニは少し困りながらも店の中に入ることにした。店の中は案外広く、明るいおかげで雰囲気は良い。さまざまな人が酒を飲み、会話に花を咲かせている。アルバニは連れもいないため、一人で酒場にいるのは少しだけ目立つ。
やはり場違いではないかとアルバニは思ったのだが、店先で誘った店主が手招きをしてくれた。
「俺が誘ったんだ、特等席だ」
男が明るく笑って席に案内してくれる、特等席と言っても他の席とあまり様子が変わらないのだが。
アルバニが座ったところで店主も隣に座ったので『ああなんだ、そういう特等席ね』とアルバニは笑った。
「店主さんはなんで俺に、声をかけてくれたんですか?」
「ああ、まぁそれはなんとなくだな。キリー、酒持ってきてくれ」
アルバニの質問に適当に答えた店主は酒を運んでパタパタ走り回っている女性に、あたりの声に負けないような大声でそう言っていた。
キリーと呼ばれた女性はアルバニと同じ珍しい黒髪の女性で、店主の声にムッとした表情で言い返す。
「あんたねっ、妻ばっかりに働かせて悪いと思わないのっ⁉︎」
「ハッハッハ! こうして働いてるじゃないか、集客だ集客」
大口を開けて笑いながらアルバニの肩を掴んだ。キリーはアルバニの方を見てムッとした表情から、一瞬動揺したが。すぐに笑顔を作って『お兄さん、何飲むの?』と返してきた。
適当に酒を注文したのちに、店主である男性はアルバニの方に向き直る。
「あれは俺の嫁さん、この店の看板娘だな」
「看板娘って、私のこと幾つだと思ってんのよっ!」
キリーが遠くから大きな声で叫んでいた、耳が良いみたいだ。
店主の名はテリオット、と笑って自己紹介してくれた。中年の男性だが体格が良いテリオット。彼は年齢相応だがキリーは若く見える。看板娘と呼んだことで気分を害していたのはテリオットと年齢が同じくらいだからだ。
「はい、どうぞ」
アルバニは出された飲み物に礼を言いながらキリーの顔を見た、キリーの表情は複雑で表面上は笑顔なのだが……奥に少し言葉を詰まらせたように眉を顰めている。
何か自分が悪いことをしたのだろうか、とアルバニが声をかけようとしたところでテリオットが『飲め飲め』と肩を叩いてくる。
「ちょっと、お客さんなんだから強く叩かないのっ」
「良いじゃねぇか、ガハハッ」
テリオットの肩叩きにも慣れてきた頃合いで、キリーが立腹しているところにアルバニは『大丈夫ですよ』と笑って返した。
***
「あ、あの……大丈夫ですか?」
しばらく陽気に話していたテリオットだったが、お酒一杯で机に突っ伏して眠ってしまっている。アルバニは困って、彼の肩を揺するのだが……寝息を立てたまま起きる気配がない。
水を貰おうとキリーを探したところで、わかっていたかのようにキリーがやってきた。
「あーあ、ごめんなさいね。この人、お酒飲めないのよ」
「えっ」
アルバニは驚いた、まさか酒を出す店の主が飲めないとは思ってもなかったのだろう。悪いことをしてしまった、とアルバニは俯いたがキリーは微笑んで返した。
「大丈夫、どうせ朝にはケロッと起きてるから」
「す、すみません。でもなんでそこまでして俺のこと……」
ただの旅人に声をかけてまで何がしたかったのか、アルバニは少し悩んでいるようだった。テリオットの真意がわからない、と言いたそうな彼に、キリーが妻目線で話し出す。
「こういう……騒がしいお店を開いているのは、私たち夫婦が賑やかな場所が好きだからなの。私はお酒が好きだし、酔っ払いも慣れてるけど。この人は丸っ切りダメなの」
眠ったままのテリオットを見つめながら話すキリーの視線をなぞるように、アルバニもテリオットを見た。自身の腕を枕にして眠っている姿は幸せそうで、無邪気な物だった。
「お酒は飲めないけど、こういう賑やかな場所が好きだから店主やってるのよ。でも今日は……君と飲みたかったみたいね」
「初対面なのに、どうして」
「縁だと思ったんじゃないかな、君の髪も黒いし。それに歳も同じぐらいだろうから」
キリーは少し俯いた。暗い表情だったが、彼女は気を取り直すようにアルバニの方を笑顔で見て言葉を続ける。
「子供がね……私とテリオットの間には男の子がいたんだけど。亡くなってしまって、もし生きていたらお兄さんくらいだったのかなって」
「そ、そうだったんですか」
キリーのあの複雑そうな表情はそういうことだったらしい。
キリーと同じ黒い髪の男の子だったのだろう、亡き息子の面影が道を歩くアルバニと重なってしまって……テリオットにはどうしようもなかったのかもしれない。
「お酒を飲める歳になったら、親子で……ってこの人の夢だったから。ごめんなさいね、変なことに巻き込んで」
「大丈夫です、私のことは気にしないでください」
少し気の毒だ、とアルバニは俯いた。大切な人を亡くした気持ちは痛いほどに良くわかる。亡くなってしばらく経っていても、その傷は塞がることはなく。時に傷が開き、突発的な行動に走らせてしまうものだ。
特に今日のテリオットのように。
「……ここは私がご馳走するわ
「い、いやそんな」
「その代わりお願いがあるの、お昼にお店に来てくれないかしら。お酒なしでテリオットと話をしてほしいの」
キリーにそうお願いをされたら、アルバニは頷くしかなかった。