〈3〉第一話 勇者を喚ぶ光
時間を駆け、空間を裂いて、突如として異界から光の珠が亜空より顕現した。
光珠の出ところは一点、空間が歪んだままだった。その点から光の尾が延びていく。光珠が移動しているのだ。
不可視の標に導かれ、光珠は宇宙を進む。数多の星の間を光の軌跡が走っていく。
やがて、光珠は青と緑の星に辿り着く。
目指すは地球最強の人間。
彼を異界へ連れていくことが、光珠に与えられた使命ーー
◆ ◇ ◆
その男、額に真一文字の傷有り。
後ろに結んだ黒髪は、そよ風に揺られるぐらいには長い。
体つき、目つき、心構えどれをとっても武骨であり。
その男が握るのは一振の刀。
一陣の風が男の元へ2つの葉を連れてくれば、葉の影は8つに別れた。
名を、刀祢谷英十郎という。
齢は四十三。生涯を刀に捧げてきた。そしてこれからも。
どれほど刀へ傾倒しているのかは住む家の構造にも現れている。かなり特徴的な造りで、前にメディアて取り上げられたこともある。
まず長方形の敷地を塀がぐるりと囲んでいる。塀の高さは約3メートル。外側に反り返らせ、有刺鉄線を張ることで侵入対策をしている。
そして塀の内側に正方形の空間が生まれるように住居が建つ。住居以外は屋根のない庭になっていて、木も数本立っている。この木は土地を買ったときに植えたのではなく、もともと木があったのをあえてそのままにしている。木のない地面もなんら建築材の敷かれてない草土のままである。
雨が降れば屋根がないので濡れるし、晴れの日が続けば土が乾燥して砂塵が舞う。どのような環境下でも刀を振るえるよう鍛えるために、自然環境を模した修練場を作った。作ったというより、手を加えなかったと言った方が正しいかもしれない。
なお、山や川、海なんかでも遠征し、より過酷な環境で修練することもある。
建物は2階建てで、居住空間は2階にある。
1階部分は床有り、天井有りの修練場となっている。屋内での戦闘を考えてのことだ。
英十郎は今日の修練を終えると、道着を洗濯機へ投げ、台所へ向かった。冷蔵庫から取り出した冷えたお茶を一杯飲んでから、風呂で汗や土ぼこりを洗い流した。
さて、眠りに就こうかというところで、電話が掛かってきた。
それは何度か世話になっている警察官の番号だった。
例の件だろうか。そうだと良いな。心躍りながら電話を取った。
そうして夜9時。
先の警察官の呼び出しに応じてやってきたのは別の町の住宅街だった。
警察官の話によれば、ここら一体の住民には警察によって家の外へ出ないように、周知徹底されているとのことだった。
「刀祢谷さーん! こっちです」
馴染みのベテラン警察官に手招きされるままに近寄っていく。
「おそこ、見えます? そうこの道の先です。100メートルくらいなんですけど」
間隔の広い街灯の丁度真ん中あたり。闇が濃い部分に何かしらの気配を感じた。そいつは黒くて完全に闇に溶け込んでいるが、英十郎の目にはしかと輪郭が見えていた。
(100キロくらいか? そこそこ大きいねェ)
正体は熊だ。
ここいらは稀に野生の動物が出現する。
最初は警察が保護を試みるのだが、住民に被害が出る可能性が高いときには、ハンターが猟銃で仕留めることになっている。しかし夜間は猟銃の使用が禁止されているため、こうして英十郎がハンターとして警察から指名を受けて対応するわけだ。
熊を狩るということで剛刀を持ち出してきた。鞘から抜き放たれた刃に月光が散る。熊の方も警戒態勢に入った。野生の勘が、英十郎が敵と悟ったのだ。
後ろ二足で立ち上がり、英十郎に向けて吼えた。そこから前足も使って一気に駆け、距離を詰める。振りかぶられた前足が英十郎を切り裂かんとする。
英十郎も獰猛な表情を浮かべた。そのまま斬りにかかるかと思えば、そうではなく、爪を剛刀で受け流しながら後退していく。
熊の方は英十郎が逃げの姿勢であると見て更に攻勢になっていく。
その様子を見て彼は大丈夫かと新人の警官が不安を述べたが、ベテラン警官は一蹴した。
「あの人がする一挙手一投足、すべてに無駄なことはない。だから今も何かを狙って、目的をもってああしているはずさ」
「随分信頼? してるんですね」
「まあ、刀祢谷さんのハントをこうやって結構見学させてもらってきたからな。俺も最初のうちはドキドキハラハラしてたもんさ。と、話してたらそうら、形勢逆転だ」
熊が踏み出した先は、段差があった。突然地面が下がったもので、熊は前屈みに態勢を僅かに崩してしまう。そこを英十郎は突いた。
左足を貫かれ、そのまま切り上げられる。熊は腹下まで斬撃を受けてしまう。熊が苦痛に呻いた僅かな時間だったが、英十郎にはそれで十分だった。
熊の横を通りすぎるように移動しつつ、刀を横に振るった。
熊の頭部が宙を飛び、地面に落ちた。
おそらくだが、とベテラン警官は断りを入れて推論を語った。
ハントを始める前から、英十郎はあそこに段差があることを把握していたのだろう。
熊に気取られないよう立ち回りながら、段差まで誘導し、最も態勢が崩れやすくなる踏み込みすらも誘導した。
きっとそれだけでなく、上手く嵌まらなかった場合の備えもあったはずだ。
やることなすこと、全てに理由を持つ。それが刀祢谷英十郎という男なのだから。
◆ ◇ ◆
報酬は後日支払われるとのことだった。
聞き飽きてるかもだけど規則だからと支払い方法、金額の説明を受けて帰途についた。
車で送ってもらっていたのだが、狩りの後には気分を落ち着けたいということで、途中で降ろしてもらった。
街灯間の暗闇を歩く。
秋も終盤。11月の始まりが近づいてきていた。
少し冷たくなってきた秋の夜風で、狩りの余韻を冷ます。
生命を主張する緑がなりをひそめていく様は、武道を極めんとする英十郎にとって、己の魂を鎮めさせてくれる気さえした。ここでひとつ休息をとり、1年間の修行を熟成させるような、そんな感覚をくれる時期であった。
そのような折に偶然にも熊と立ち合う機会を得られたことは修行の成果をより深化させてくれるものと確信しており、大変僥倖であった。
しかし、偶然とは重なるものである。今回のような場合、もはや奇跡と言い換えても良いかもしれない。
英十郎は何か不穏な気配を感じ取り、刀の包みを外し、いつでも抜けるように半身に構えた。
「私を視ているのは、誰だね?」
本当に極僅かであるが、殺気を感じとった。
先の熊との立ち合いが感覚を鋭敏にさせていたことでぎりぎり気づけたのかもしれない。それほどか細い気配。
だが、周辺には彼一人で誰もいない。
それでも、何かが存在していることを直感によって断定し、前方を睨みつけた。
(気のせいなのか? いやーー)
目の前の空間が、蕾が花開くように捲れ、パリパリと剥がれていく。
(ーー見えた、が。しかしまあ、こりゃあ魑魅魍魎の類いかねェ)
その先がどうなっているのかは全く検討もつかないが、空間の裂け目から化け物が出てきた。そいつは全長3メートルはあるだろう。頭部からして異形だ。横に長いのだ。首は無いか、かなり短い。腕は鎧のように頑丈そうだ。足だけでも人を簡単に殺せそうである。
身体全てが此方の空間へ出た。踏みしめられたコンクリートの道路に亀裂が走り、そして砕けた。
怪物の腕が英十郎の心臓を一突きにせんと伸ばされる。
対して刀を英十郎は迎え撃つのではなく回避を選択するが怪物が早く間に合わない。
刀を鋼鉄の腕めがけて振り下ろす。刀は弾かれるが、その衝突力を利用して後ろへ飛ぼうとしたのに対し、怪物は拳を加速させることで絶命させんとする。このままでは突き殺されてしまう。
英十郎は角度をつけた返す刀で、更に回避する方法をとった。
(なんとか初撃を凌いだ。しかしなんという力をしてよる。)
トラックに跳ねられたかのような衝撃が刀を通じて英十郎の両腕を襲っていた。
直撃を受ければ、間違いなく再起不能になる。防御するのも得策ではない。ならば回避するしかないが、敵の攻撃速度も尋常でなく、現実的でない。
(つまり、切り込んでくしかない。)
腕を斬ろうとして、全く刃が通らなかった。他も同じだろう。
だから目だ。大抵の生物が物理的耐久を鍛えることがでない目を狙う。
しかし問題は奴の頭部は横に長く人間のそれでない。目の間隔がかなりあるかもしれないし、一つ目で中央に付いている可能性もある。接近し、即座に場所を把握してかつ、目の場所に応じて態勢を整えねばならない。
はっきり言って博打だった。しかし当の本人はこの状況を楽しんでいた。
人の形をした生き物と死合えることなぞ生涯ないと思っていた。当然だがこの世界で人を殺めれば牢屋行きだ。死刑だってあり得る。人として全うに生きるつもりだったから、そんな罪は犯すつもりは毛頭なかった。ただ、だからこそ退屈を感じることがあった。
死と隣り合わせの戦闘をするには、最低条件として同じ形をしている必要があると思うのだ。つまり、2本の足で立ち、両の腕があって物を使いこなす指がある。
いま、目の前に居る奴は、人間の形を取っていた。最低限、英十郎の念願の相手足り得ていた。
「ゆくぞ」
やつ目掛けて走り出す。口元には、無自覚な笑みが浮かんでいた。
やつに動きはない。どうやら待ち受けるようだ。
英十郎は振るうのではなく、投げつけた。
刃を通さない腕にあっさりあしらわれるが、彼の手にはまだ刀が握られていた。
鞘が放物線を描いて地面に落ちる。逆に英十郎の身体は宙へ。
鞘を囮にした攻撃。
3メートルの巨体の弱点、目玉を貫くべく刀を構えるが、振るうことができなかった。
月が雲から身を表し、巨体の顔を顕にした。
目は2つではなかった。
無数にあった。
たった1つが英十郎を見ている。
「私を殺すのは、些細なことですってか」
悔しさを貼り付けたまま、頭部が胴体と別れた。
◆ ◇ ◆
光珠は、英十郎の頭部が地面に転がるのを見た。
そして傍らに佇む異形の存在。
なぜここに?という疑問は球体自体は持たない。
「遅かったな。女神の使い走り。見てるんだろう?女神」
異形は、光球の先に居るはずの女神へと投げかける。
「お前が呼んだ部外者に、俺たちは何度も傷つけられた。尊厳を踏みにじられた。なんも関係も無いくせに、自分だって巻き込まれたくせに、あたかも正義のように無意味に力を振りかざす。もう、これ以上好きにはさせない。だから、こっちに来てやったよ。もう、俺たちはお前にやられない。残念だったな。」
光珠は拳をぶちこまれ、あられもない方角へと吹き飛んでいった。