物干しハンガー
ぱきんっ!!
「あっ!!」
何かが壊れる音がした。
洗濯物を干す香織が、洗濯ばさみを破壊したのだ。
「・・・壊れちゃった。」
「古くなってたんだよ…いつ買った奴だったっけ?」
あの洗濯ばさみはここに越して来た時に買ったものだ。
「三年前、だね。」
「100円にしちゃあ持った方だよ。」
香織と一緒に暮らし始めた時に買った、洗濯ばさみ。
100円ショップで買った、十個入りの洗濯ばさみ。
「他のやつももう…壊れるころ、かも?」
「そう?ちょっとチェックしてみよう。」
洗濯ばさみの入っているケースを確認すると…割れそうなものが二つ、かけているものが一つ。
「…買い替えるか。」
「あたし、リング状になってる奴がいいな、いっぱい干せるやつ。」
洗濯物を干し終わってから、香織と一緒にホームセンターに出かけることにした。
「あ、この物干しハンガー、32個も洗濯ばさみついてる!」
「へえ、便利そうだ。靴下とかハンカチが干しやすくなるね。」
1000円もするのか…けっこう高いな。
…どうせプラスチック製だし、三年でまた、壊れるんだろ?
横に、ステンレス製の物干しハンガーを見つけた。
3000円、高いけど…長持ちするなら、こっちの方がよさそうだ。
「長く使うものなんだから…壊れないやつの方がいいよ。」
「・・・そう?」
俺は高い買い物をして、家に帰った。
物干しハンガーが、ベランダで、揺れる、日々。
「さようなら。」
「げんきでな。」
俺と、香織の関係が…壊れた。
三年半の同棲生活は、わりとあっけなく、終了してしまった。
部屋の中が、やけに広くなった。
部屋の中に、俺のものしか、ない。
部屋の中に、俺しか、いない。
心の中が、信じられないくらい…広くなった。
心の中に、思う相手が、いない。
心の中に、願う気持ちが、ない。
心の中に、空間が、出来てしまった。
引っ越すことに、した。
心機一転、新しい出会いもあるだろう。
一人で暮らすには、あの部屋は…広すぎる。
広すぎる部屋にいると、心の空間が。
…やけに大きく感じてしまう。
「荷物はこれで全部ですか。」
「はい…あ、この物干しハンガーもお願いします。」
使えるものは、使っておくか、そう思った。
新しいアパートは、ずいぶん狭くて…快適だった。
狭苦しい部屋で、毎日やるべきことだけやって、過ごす。
忙しい日々はいつか…俺の心の空間を、塞いでくれるはずだ。
忙しく働く、ある日。
台風が、襲った。
暴風雨は、猛威を振るった。
嵐が過ぎ去った次の日、雨戸をあけると。
ベランダにあったはずの、物干しハンガーが、無くなっていた。
どこかに落ちているのかも、ベランダから身を乗り出して、辺りを、確認する。
どこにも、その姿は、ない。
どこかへ飛んで行ってしまったらしい。
3000円も出して、一年しか持たなかった。
洗濯ばさみは、100円で三年も持ったというのに。
本当に高い買い物だったな、そんな事を思いながら、バス停に向かう。
自転車置き場の横を抜け、歩道を三歩ほど歩いた時、道路の端に、銀色の影を見た。
長い間、使えるであろうと思って買った、物干しハンガーだった。
車に踏まれたのか、おかしな形になって、転がっている。
もう、使うことは、できまい。
こんな、結末、か。
壊れるときは、一瞬でってね。
俺は、もう…、高い買い物はしないと、決めた。
壊れるくらいなら、安いもので、いいじゃないか。
…壊れるくらいなら。
一人で、生きて、行けば。
…いいじゃ、ないか。