序章の二 トゥキ=ヴェネックの儀式
マリン=シピットは緊張していた。
儀式の間には十数人の新しい区民が集められていた。
新生児もいれば、足を負傷した退役兵のような男や、酩酊状態の若い女まで様々である。聞くところによると、例の儀式は月に二回程度、基本的にはまとめて行われるのだそうだ。運が良いのか悪いのか、今日がその日であった。つまり、自分と、自分の後に面談をした一人を除いては既にこの地に住んでいるのである。
(皆さんは既に顔見知りなのでしょうか…?)
マリンは、これから何が始まるのだろうと不安な顔で、一段高いところに立つトゥキを見つめた。
「さて、儀式の方に入らせて頂きます。まぁ、これで区民ですよっていう、気持ちの切り替えみたいなものなんで、楽にどうぞ」
トゥキは、傍に控えていたラディアスに視線を送り、頷いた。
「…魔粒子供給」
ラディアスが呟くと、彼の指先から出た青く淡い光が、トゥキの額に集まっていく。
そして、“それが見えた”マリンはサッと青ざめた。周りの反応が無いことから、自分以外にその事に気がついている者はいないらしい、とわかる。
(お二人とも、魔導士だったのですか)
トゥキが片手をあげると、鉄琴のような音が幾重にもなって響き渡る。さながら彼は指揮者のようだった。教会で奏でられる讃歌にも似たそれに、新たな区民たちは聞き惚れた。
マリンは警戒しながら、トゥキの言葉を待った。
「大いなる神よ、聞こし召されよ。彼らを白の地の民としてその加護を与えたまえ。白の神託!」
トゥキの広げた両手から、白い光が羽を形作って儀式を受ける人々に降り注いだ。彼は両手を合わせ、祈るように目を閉じる。
彼の周りに白いキューブがくるくると回りながら次々と出現し、音楽に合わせてそれぞれ異なる色へと変わっていった。赤、青、緑、茶…まるで釉薬を塗った陶器のように艶々と変化したそれは、整然と積み重なり、一瞬にして消え去った。
「なぁにこれぇ〜…めっちゃ綺麗なんだけどぉ…」
酩酊した女が笑いながら言う。マリンも同意見だった。
身を委ねたくなるような優しさが、目からも耳からも与えられるような。撫でられた心が天に昇るかのように、揺さぶられたのだ。
トゥキの目がマリンに向けられ、二人の視線が合った。トゥキの口元がわずかに緩む。
「誤解の無いようにお伝えしておきますが、これは一般的に“魔法”と呼ばれるものではありません」
見透かされているような気がして、マリンはカッと顔が熱くなるのを感じた。
「新しい区民の皆さまがシェルリースに馴染めるよう、ほんの少し手助けするもの。この地の文化的儀式。平たく言えば、まぁ、テラピーとでも思って頂ければいいっス」
戦火から逃げてきた人や、迫害を受けて辿り着いた人など、心に傷を負ってここへ来る人も少なく無いのだとトゥキは言った。
「受け入れて下さって、ありがとうございます。どこにも行くあてが無かったので、本当に何と感謝すればよいのやら…本当に…」
足を負傷した男が、声を震わせて泣き出した。それにつられてすすり泣く者たちもいる。皆、一様に安堵したのだ。
「この街は本当に色々な人が集まって出来ています。加護は与えられました。…ようこそ、白の街へ」
トゥキ=ヴェネックは穏やかな声でそう言って、白い扉を開けた。
*****
「…そんな事が出来るのですか?」
「はい。ここには色々な人が集まる、と申し上げた通り。魔導士の割合も他とは比較になりませんよ」
マリンは儀式の後、トゥキに呼び止められ、再び面談をした部屋に来ていた。
「ラディアスに依頼すれば、50コインと20ギートですぐに処置してくれます。そうすれば、“あなたが魔導士の覚醒暴走を起こすことは、ありません”」
トゥキはそう言って、彼女を安心させるように頷いた。
魔導士を怖れるマリンは、即答出来ずにいた。あの美男子が魔導士であることはもう知ってしまっている。
「マリンさんのご事情も理解しているつもりです。しかし、出来れば…魔導士を邪険にしないで頂けるとありがたいです。ここでは肩書きの一つでしかありませんから」
目の前で困ったように笑うシティーリーダーも、魔導士なのだということをマリンは思い出した。
「少なくともシェルリースの魔導士は、魔法を濫用することはありません。剣士が平時の街中で剣を振り回さないのと同じように。公共の場で魔法を使用するには認可が必要で、セントラルでも通常自由使用は禁止されています」
マリンのように直接的な被害に遭っていなくとも、限られた者にしか扱えない“魔法”を恐れる人は少なくない。魔法を見慣れた戦闘職でもなければ至って普通の反応だ。余計な混乱を避けるためには、規制はごく自然なことだろう。
「薬師にしか作れない薬があるように、鍛冶屋にしか打てない剣があるように、魔導士にも魔導士にしか出来ないことがあります。魔導士は、マリンさんの不安を取り除くことが出来る」
目を閉じると、先ほどの神秘的な儀式が脳裏に蘇る。身体も心も軽くなるような、あの不思議な感覚を思い出す。たとえあれが魔法であったとしても、悪い魔法には到底思えなかった。
「例えば…そうですね、魔法とは基盤呪文、と呼ばれる魔法定義宣言と、実行呪文と呼ばれる魔法の具体的な内容を決める呪文で構成されています」
トゥキは胸ポケットからペンを取り出すと、部屋の真っ白な柱に突然文字を書き始めた。
「ベーススペルと、エグゼスペル…」
マリンは書かれた文字を呟いた。彼が何をしようとしているのか、まだ飲み込めていないのだ。
「あっ、ここで今、魔法を使うつもりはないので正しくは詠唱しないっス。色々ありますが、“オルク・スタンダード。何とかに属するほにゃらら〜”…なんてのが、魔法定義宣言です」
柱の文字はどんどん増えていく。
基盤呪文の隣には下手な猫の絵が描いてあり、ふきだしで『これから、この種類の魔法を使いたいから、みんなよろしく』と書かれていた。その横には、丸に顔を書いたようなのがたくさんあり、更にふきだしで『いいよ!何する?』と書いてある。
「この丸が魔粒子…いわゆる魔力だと思って下さい。このうさぎちゃんは、魔導器官です。魔導器官が目覚めていない…魔導士以外の人は、このうさぎちゃんが寝ていますので、何も起こりません。このうさぎちゃんの宣言で魔力と結びつき、それをどう使うか…を、この実行呪文で決めるのです」
猫ではなく、うさぎだった。
マリンの口が笑みの形に緩む。うさぎの横に『このにんじんを1cm角のさいの目切りにしてね』というふきだしが追加された。
「こうやって、基盤呪文と実行呪文の二つが揃って初めて、言葉は魔力を帯び、魔法となります」
トゥキはマリンの反応を待っているようだった。
「つまり、それが先ほどの儀式が魔法でないという証明、だと。…ああ、教会の洗礼のようなものなのですね」
「ご理解頂けて何よりです。“魔導士素養の判別用の”淡い光が見えていたようですので、改めてお声がけさせて頂きました」
不安とは、無知から生まれる。
自分の魔導士に対する恐れを少しでも無くすために、トゥキはその知を与えたのだ、とマリンは考える。
「それを…ラディアス様の“処置”を受ければ、私は魔導士にならずにすむのでしょうか。…ごめんなさい、トゥキ様に対して大変失礼な質問ですよね」
トゥキは、思案するように目を閉じた。少しの間を置いて、ゆっくり両手を組むと少し息を吐き、目を開けた。
「覚醒自体を望まないのであれば、定期的に処置を受けることでその可能性を下げることは出来ます。ラディアスが行うことは、暴走の原因を取り除くことですから。彼は若いですが、魔導士としては当区でも最高レベルです。腕は自分が保証します」
トゥキの話からは、肝心の暴走の原因やラディアスの持つ技術に関しての情報は得られなかった。しかし、マリンの答えは初めから一つしかないのだ。
「わかりました、明日にでもラディアス様にお願い致します。…ありがとう、ございます」
マリンは深く頭を下げ、部屋を後にした。
「…承知致しました、と。全く…最高レベルとはハードルの上がることを仰る」
トゥキの他に誰もいなくなったはずの部屋に、呆れたような声が落ちる。
「そういうわけっス。3ケタ目前、レベル98の天才魔導士ラディアス殿、よろしくお頼み申す」
先の声の主、ラディアスは苦笑いで姿を見せた。本棚の裏で全て聞いていたらしいが、トゥキはもちろんそれも知っていた。
「毎度、嘘がお上手なことで。トゥキ=ヴェネック=3ケタ殿」
彼らの言う“3ケタ”とは肩書きレベルのことであり、明確な判断基準を規定された“100”に達した者に対する俗称である。
大抵は、レベル50以上であると優秀、レベル80を超えると人への指導が可能な専門家、“3ケタ”は達人として扱われる。レベル100以上の達人は、数値評価が可能なもの(魔導士であれば魔力量が該当する)に限定してレベルを判定するしかない。参考にならない領域のため、100以上は一括りになっているのだ。具体的に示すならば、レベル101と151の魔導士では、魔力量に差はあれどどちらが強いかは判定しようがない、ということである。
「魔法具記述削除」
たった一節の呟きで、トゥキが指差した先、書かれたばかりの柱の文字と絵が全て消える。
「正しく嘘のつけない者に、束ねる者は…“王”は務まらないっスよね」
トゥキはマリンの出て行った方に視線を向け、意味深に笑う。
「お互い様だ、と。…まぁ、構いませんが。“魔導士素養の判別用の”とはまた、適当な言い訳で」
トゥキの説明した魔法の件は、半分本当で半分嘘だった。正しくは、例外的な話をせず基本のみを話した、とも言えるが。全てを明かすことがいつも正しいとは限らないという点で、二人の考えは一致している。
「今回の区民の例外は、彼女と…例のもう一人だけか」
トゥキは椅子に座り、引き出しから書類を取り出して眺める。男の名前の下には、“禁術による重度の呪い、殻による緩和を要する”と注釈が書いてあった。
「彼の方は、呪い緩和という主目的がはっきりしているので、裏取りはせずとも良いっス」
「同意です。彼と話してみたところ、魔法の基礎知識は持ち合わせているようでしたし」
「なるほど。…ま、極論を言えば、区内での自爆テロを企んでいなければ問題無しっスね」
トゥキの冗談にもならない言葉が終わると同時に、外で放送の合図のメロディが流れる。
『こちらは、セントラル区役所です。肩書きの登録、更新をお忘れではありませんか?手続きは区役所二階にて、承っております。その他のご不明な点は、一階受付にてお尋ね下さい。以上、セントラル区役所でした。』
何の変哲もない放送だったが、トゥキにとっては憂鬱な合図だった。
「うわ、ここで“緊急招集”コードかい!今日に限って忙しすぎっしょ…。何でグラっさんがいない時に限って…!」
「補佐は今日、お子さんの保育参観だそうです」
「うはぁ…それは確かに行くべき!パパ頑張れ!…だが、しかし!例外と緊急被りはマジ、辛いんスけど!」
頭を抱えるトゥキをよそに、ラディアスは帰り支度を始めていた。公務員でない彼の知ったことではないのだ。
「では、俺はこれで」
「お疲れっス。…あ、見習い剣士君に肩書き更新勧めといて下さい」
「わかった。…まぁ、無駄だな」
ラディアスの口調が変わる。
彼の“下僕”としての時間が終わったからだ。いつものことらしく、トゥキは気にするそぶりもない。
「秒で諦めないで!」
「ハハ、お疲れ、リーダー」
「うぃ…早く酒飲みたいっス…」
「ポーションと言う名の酒なら、執務室宛に届いていたようだ」
「ぐっはァ…それはケレンティエの苦い薬草のヤツ…!!誰だよ、頼みやがったのはァ!」
「ま、それ飲んで頑張れよ、3ケタ」
ラディアスは今日一番の笑顔を残し、帰って行った。
お読み頂きありがとうございます。
ここまでがオープニングで、世界観の一部を切り取ったよくある意味深なシーン。
設定をこねくり回して複雑になっているので、重要な事項はなるべく再登場時にも記述するつもりです。
今は何となく、雰囲気だけ感じて頂ければ。
それでは、また次回。