6秒目に微睡んで。
少し遅く帰る彼にいつも通り、私は水を要求する。彼は時間が遅くなろうとも、この水やりだけは決して欠かさない。
いつも通り水を浴びる。本来何一つ通じ合うものなどない私達はそれでもなお、相互に通じ合うなにかがあった。
私には同族がいない。あるいは、同族がいないということがある種の連帯感を私に産んでいるのかもしれなかった。
少なくともこの世界で、彼が他の巨人と長い時間を共に過ごすところを見たことがなかった。
だからそれは同じ世界に生きる隣人としての共感かもしれない、いやそうだったらいいと思う。
最近少し増えてきたどこか遠くを見つめながら降らせる雨もそれでも、きっかり8秒降らせ続ける。
私にとってしてみれば、彼のそのどんな時も変わらない量の雨を降らせるのは天才的なのだが、彼も同族が居ないのがあるいは答えなのかもしれない。
その雨を降らせる力は、何も産み出せない、無駄なものなのだろう。考えてみれば当然だ。何一つ残す物がない徒花を育てるなど、生き物として間違っている。
どれだけ私に水を注ごうと私は彼に返せるものなどありはしない。この心地よさに引き換えて彼に渡せるものなどありはしない。
それでも健気に雨を降らす彼のおかげで、私は心地よく過ごせる。この無駄な生はそれでも必要とされていると錯覚できる。
本来ならすでに役割も終えて大地に恵みを返すべき私が、役割を果たさない、果たせないのだとしても。私はまだ生きていてよいのだと。そう錯覚できるのだから。




