プロローグ
部活の帰り。
サッカー部の練習を終えた俺は、そそくさと帰路へつく。
現在は夜の8時といったところか。周りは既に闇に覆われ、街灯が仄かに道を照らす。
普段使う通学路は人通りは少なく、この時間帯になると人と会う事すら珍しい。この場に独りで曲を聴くのは一種の俺の楽しみとなっている。
俺の通う高校は、県庁所在地から二つ離れた市にある、県で二番目に生徒数の多い高校である。しかしながらそこまで都会とは言えず、田舎でもなければ都会でもない、中間の位置にある市に存在する高校である。生徒数の多いのはただ単に周りに他の高校が少なく、偏差値も上から下まで幅広いからである。
自宅は高校付近の駅から一駅のところに存在するので、普段は電車を使い、何か事があった場合は徒歩、もしくは自転車で通っている。
進学に力を入れている反面、部活動でも多くの功績を残す、かなり有名なこの高校は、全敷地一キロ平方メートルにも及び、校内にはバスが巡回している。グラウンドは合計三個もあり、その一角をサッカー部が占めていた。
無駄に広いグラウンドで運動に励んでいた俺は今、筋肉痛でゆっくりと歩くことに専念している。
耳にイヤホンをさし、今流行りの音楽を聴きながら帰る。最近の楽しみの一つでもあった。
先程の練習の様子を脳内で再生しながら、片手でスマホを操作し、音楽を流す。
すると液晶に、そして目の前に広がるレンズに、一粒の水滴が落ちてきた。
「…………雨か」
幸いなことに常備していた折りたたみ傘の存在を思い出し、急いでリュック内を探る。見えにくい視界のため手探りによる捜索の中、十秒程で目的の物は見つかり、すぐさま俺は傘を開いた。
身近のスポーツ用品店にあったお高めの傘は、少し嵩張るが大きく開いてくれる利点があった。歩く時に足が濡れるのが嫌いな俺としては、とても助かっている。
しかし決して濡れないというわけではないので、痛む身体に鞭を打って駅へと急ぐ。
***
やっと駅が見えてきたという所だろうか。
足が悲鳴をあげているのを感知しながらも酷使し続けていたら、脇にある公園を見て、俺は不覚にも足を止めてしまった。
そこには、ベンチに座り、俯く女子生徒がいた。最初は亡霊かと心臓が跳ねたものだが、見た限りでは俺の通う高校の制服を着ていて、実体はあるように思える。この学校に殺人事件はないはずであるし、僅かに身体も上下し、生きているように感じられた。
しかし女性生徒が一人で夜中に公園のベンチで座っているなど、普通は有り得ないはず。雨が好きな人でも夜中にまで飛び出してはいかないだろう。そもそもこの道はやけに暗く、夜中では事件に巻き込まれる可能性も高い。不埒な輩に目をつけられたらこちらも居た堪れない。
別に助ける義理など毛頭ないのだが、興味半分、幽霊かどうかの確認半分に俺は声をかけることにした。
近づけば近づく程、彼女の姿が鮮明に見えてくる。背はそこまで高くない。むしろ低いくらいだろう。体型は整っているが、容姿は俯いているため分からない。若干肩で息をしている。
「…………………おい」
少し躊躇い、しかしここまで来て引き返さないと声をかける。
しかし返答はなく、彼女は俯いたままだった。
「……………おい、生きてるか」
幽霊かどうかの確認。しかし彼女は無反応だ。
「……………生きてるなら返事をしろ」
返答を待つのも面倒なので、俺はしゃがんで顔を覗く事にした。意識がないのならそれはそれで危ない。ここを通る人が俺以外にもういないとも限らないのだ。あるいは幽霊だった場合はどんな顔なのだろうとも思った。
足は既に棒になっているのだが、ラストスパートだと、俺は特にふくらはぎに鞭を打った。
片膝をついて座り、顔を覗くと、ちらりと開いた目を確認できた。少なくとも生きている女性であり、意識はあるようだ。
「なんだ、生きてるじゃないか。返事くらいしろ」
こちらは足に限界がきているのに無反応の彼女にイラつきながら、俺はまずふくらはぎに負担をかけまいと立ち上がった。
蹌踉めきつつも無事に立ち上がった俺に、ようやく彼女は反応を示した。
「…………?」
放心状態から戻ったような感じだった。ゆっくりと顔を上げ、傘をさす俺を見上げる。
「………なっ!?」
顔が完全に見えた時、俺は二重の驚きから口をあんぐり開けてしまった。
「お前……」
まず、その容姿。調った鼻に大きな瞳。夜の中でも光彩を放っている。肌は雪のように白い。明らかに美少女の類に入ると思われる顔。
しかしその唇は青紫色に、肌は青白く、逆に頰は林檎のように真っ赤だった。
明らかに、明らかに風邪をひいている。
「おい、立て」
低く、ドスのきいた声が出る。俺の声だ。
「……ぇ?」
無理矢理彼女を立たせる。脅迫のように聞こえるが、俺は全く襲おうなんて考えていない。むしろ襲われたら困る。もう事後だったら手遅れなのだが。
「肩に掴まれ。早くしろ」
傘を置き、俺は立った彼女に背を向けて座る。
彼女は躊躇いながらも、俺の肩に手を置いた。十数秒間も待たされた俺は足がガクガクと揺れている。掛けている眼鏡も濡れて見え辛くなっている。
ようやく身体を俺の背中に預けたところで俺は膝のバネを使って立ち上がる。その時に彼女の脚を掴んだ。セクハラ紛いな行為だが、背負うためには致し方ない。役得だと思って俺は傘を拾った。
「傘を持て。いいな?」
位置的に彼女の顔は見れないが、身体の揺れからして彼女が頷いたのが分かった。
「家はどこだ。送る」
「必要ありません」
………沈黙。
「家はどこだといっているんだ」
「必要ありません」
………沈黙。
「………おい…」
「必要ないと言っているでしょう。早く下ろしてください」
今になって頭が働いたという事か。確かに自身の行動は目に余るものだったのかもしれない。俺は己の行動を見返す。
早とちりの多い俺は、最近は己の行動を見返す事を念に入れている。この場合、見知らぬ男子生徒が脅迫まがいに家に押し掛けようとしているように見えるかもしれない。
「そうか。なら降ろす」
「……え?」
「……あ?」
どこに驚く要素がある。まさか青春アニメのように無理矢理にでも連れてく、とでも思ったのだろうか。それとも強姦とでも間違えられたのか。とりあえず、ふくらはぎの訴えを無下にしてしゃがむ。彼女は風邪とは思えない機敏な動きで俺から離れた。
「……とにかく、私に構わなくて結構です」
「じぁ、今すぐ家に帰れ」
「そんなのは私の勝手でしょう」
「襲われちゃ俺の目覚めが悪い。帰れ」
「嫌です。勝手に私に強制しないで下さい」
「じゃあ家に帰るな」
「そうさせて貰います」
「あー……」
家に帰りたくないのだろうか。しかし夜中に女子が一人は危ない。警察に補導されるのならまだ良いのだが。
「お前、強姦されたらどうすんだよ」
「そんな心配ないです」
まさかどこぞの名探偵の彼女のように武術の心得でもあるのだろうか。それならばまだ納得はできる。はたして風邪気味の彼女が仮に不審者と対峙した時、まともに抵抗できるのか甚だ疑問ではあるのだが。
「何か護身術でも?」
「それは……」
ただの強がりだった。
「お前みたいな奴がそういう目に合うんだよ。意地張らずに家に帰れ」
「嫌です」
「家に帰れない要因でもあるのか?」
「私の勝手でしょう」
家出だろうか。風邪を引きながらも家出するなんて、それほどの理由があるのか。
「なら近くのホテルにでも泊まれ」
「嫌です。そもそもそんなところ泊まりたくありません」
家出だとして、ホテルまで拒否とはどういう事なのか。あるいは絶対に人に頼りたくないのだろうか。一人で解決したいのならば、それこそ俺の視界に入らなければよかったのに。そうすれば俺は何も気に病むことなく過ごせたというのに。
「……」
プライドが高いのか知らないが、俺はふつふつとこの女に怒りが湧いてきた。人に心配をさせる行動をとっているのに、何一つ考えも言わず、反抗するだけ。正直言って見捨てたい。人の善意をなんだと思ってる。
「……何か考えはあるのか?」
「……ありませんよそんなの」
俺は堪忍袋の尾が切れた。ここまで身勝手な奴は初めてだった。
「お前、迷惑とか考えた事ねェだろ…理由は知らんが、お前が被害受けて悲しむのは親以外にも沢山いるんだよ!」
「勝手に悲しんでるだけじゃないですか!私はそんなの求めてませんし、どうせ誰も悲しむ人なんていない!」
「勝手に決めつけてんじゃねーよ!全てが自分中心だと思ってんのか!?他人の配慮すらわからねェ奴が自分勝手言ってんじゃねえよ!」
幸い、声が大きくなっても、雨の音で周囲にはあまり聞こえてないようだ。道路を見れば人影は見当たらず、この惨状を誰かに見られる心配はない。俺は髪から垂れてきた雨雫を払い、彼女を睨んだ。
「お前は誰のおかげで生きてられると思ってる。家族だけじゃねェ、色々な人が関わって生きられてんだよ!そんなお前の人生無駄にするような事をすんな!一時の気持ちだけで人生棒に振る事してんじゃねーよ!」
「いつでも私は無能で、何もできない、誰も必要としない!私がいても迷惑なだけなんです!」
「うるせェ!!!!」
ここまで説いて理解できないのだ。これ以上は無駄だと俺は考えた。
「ここで自己否定で喚かれてもこっちはクソウゼェだけなんだよ!そんなに自分が嫌いなら誰も知らない場所で死にやがれ!死にたくないなら素直に俺の言う事聞けこの馬鹿野郎!」
「……っ」
彼女は目を大きく開き、両手を口に当てた。一体何に驚いてるのだろうか。
「お前の事情なんか知らねえよ。でも同校の奴が被害を受けた、しかも俺が素通りした奴だったらこっちは居た堪れないんだよ!」
「………っ」
「死にたくないなら来い馬鹿女。風邪と一緒にその花畑の頭治してやる」
俺は黙る彼女を連れて、家へ戻った。
不定期更新。