8成果
夜明けの光は燦々と照って、山脈の峰々を現した。
それと対照に、黒く焼け落ちた集落の朽ち果ても浮かばせた。
ツェンベルクは兵士たちに指示を出した。
今回の討伐隊としての最後の命令だ。
キルハは指示通りに、ツェンベルクとともにふもとまで下山する。
道中の草木をなぎ払って、踏み跡の目印を立てていった。
残りの兵士は、今だ息のある山賊と、それと女たちの見張りとして残っている。
さすがにこれらを今の人数で連行できないので、手筈通りに夜明けを合図にふもとまで来た運搬隊に、討伐の成功を伝えた。
ツェンベルクが下山の班にキルハを加えたのは、女たちへの哀憐が見て取れたからだった。
もしもあの女たちが山賊の一味だったら、キルハは斬れるだろうか。
もしも、無いに等しいが、兵士が人質に取られたら躊躇なく剣を向けれるだろうか。
この少年にはまだ経験が必要だと、隣りに走る馬を見遣った。
例え本人が望まない経験だったとしても。
「任務はきついか?」
「え?いえ、今すぐでも運搬隊の支援に行けます」
「そうか。だが王への報告があるからな、途中でばてて居眠りでもされたら困る。このまま王城に走る」
気概は誰よりも勝る、とツェンベルクは薄く笑って王城へと馬を走らせた。
朝露というか、大雨の残り粒が足を濡らす。
アキたちは泥道も構わずに歩かされた。
前の者が払った枝葉が弾き返って顔に当たる。
保護とは名ばかりの連行だった。
両手は縛られて一列に山を下る。
ただ、崖が開くと見える山脈の景色は、朝日に照らされて美しいと思った。
「助かったわね」
「そうかしらね」
「逃げたかったんでしょう?」
「こんな形じゃない。山賊の仲間だと疑われているのよ?」
サーラは冷たく返す。
それでもならず者から解放されたのだと、アキは気を緩めていた。
「黙って歩け!」
途端に兵士の声が響く。
サーラはちらりと後ろを気にする。
しぶしぶと川を越えて崖道を下っていく。
ふもとまで下山すると、次は城下へと歩かされるようだ。
一列に繋がれた女たちの後ろには、負傷した山賊たちが運ばれていた。
もちろん自力では歩けない、そのようにされていたので、山道は木組みの担架で、下山すると手荒にロバ隊の荷車で運ばれる。
無論、このならず者たちを丁寧に扱う必要もないのだが。
いくらかの休憩をはさみ、隊列が城下町に入った時には、日が沈み始めていた。
山地から平野へ、ひたすら進んだ道は夕日の影をのばす。
ただ自分の影を踏んで歩いてきた足は、とうに感覚がないほど痛んでいた。
バンズクラフト王国は、四方を山々で囲まれている。
その中央付近の貴重な平野に、首都である城下が広がる。
王国領内は、南のメリデュナス山脈をはじめとする、山々の天然の要塞を持つ。
そのため、他国からの侵攻もなく、この城下町もさほど高い城壁を持たずにいた。
はじめに築かれた城砦からなだれ行くように、緩やかな平野に街が広がっていった。
そしてさらに大陸の中央付近でもあることから、主に東西の貿易路として潤っている。
もっとも、近年では東の帝国が関所の封鎖を決め込んでいるために、北から西への貿易路へと変わりつつあるが、それでも小国ながら、連盟国で重要な位置づけにあった。
キルハは謁見の間に片膝をついた。
石壁には見慣れた、自身が忠誠を誓う、角笛の紋章が掲げられている。
決して大きくはないこの国で、王は身近な存在であった。
どの貴族よりも、祭典で視察で、臣民に対してもよく顔を出していた。
王国民からしたら、信服よりも親しみの印象が大きいかもしれない。
それでもいざ眼前にすれば、おのずと緊張に顔が張る。
それは平民出身のキルハからすれば、ありえない待遇だった。
「よくやった。キルハよ」
「いえ、俺……私は隊長について従っただけです」
「しかしそのツェンベルクの話だと、君が仕留めたそうじゃないか」
隣のツェンベルクは、誇らしい笑みを浮かべている。
まるでわが子が称えられているように、王の言葉を聞いていた。
王座に並んだ王妃もまた、キルハを褒め称えた。
「キルハ、あなたはよく訓練に励んでいます。皆が、知っていますよ。日頃の鍛錬が功を奏したのですね」
「もったいないお言葉です……!」
キルハはそれまでの記憶が消し飛ぶくらいに、心が浮かれていた。
討伐の報告はツェンベルクに申し上げられたものの、自分がどういった受け答えだったか覚えていない。
王と王妃に言葉をもらえたことだけが、頭に焼きつけられた。
これほどの喜びがあるだろうか。
城下町で武器屋を営む両親に、帰ったときは鼻を高くしてやろうかと考えが躍った。
謁見の間を退出して、緊張を抜いたツェンベルクは詰所に戻っていった。
まだ書類での提出と、周辺の領地貴族への報告があるらしい。
まだ胸の弾むキルハは、どうしたものかと手を空かしていた。
宿舎で休めとは言われたが、心が浮いて落ち着かない。
やはり剣の訓練でもしようかと、訓練場に向かっていた。
そういえばあの少女はどうしただろうか。
女たちは取り調べを受けていると聞いたが、なら城内なのだろうか。
「お手柄だったそうだな」
大きな男の姿が目の端に映った。
その男は、視界に入れば誰しもがおのずと目が行くような凄みがあった。
騎士団長ディグベルクの、その銀装飾の鎧が、傾き始める日よりも目を奪って輝く。
あのツェンベルクも歴戦の戦士の風格があるが、この騎士団長はもっと若く、また違う気品のある威厳を持っていた。
「とんでもないです、騎士団長!」
「そう謙遜するな。王命を遂げたことは、誇りに思っていい」
「……はい!」
角笛紋章のマントをばさりと翻し、踵を返したディグベルクは、端然と廊下を歩き行く。
まぶしかった。
バンズクラフト騎士団は、王民の憧れであった。
キルハもまた、その童心のまま騎士を目指しているのだ。
その団長のディグベルクにまで声を掛けてもらえたことが、夢ではないかと頬を叩いた。
「痛いな。誰から自慢してやろうか」
夕暮れが城下町に影を落としていた。
王城まで続く中央の石畳を、街灯の明かりが照らし始める。
その街灯に火をつけている老夫が、梯子の上から一行を無表情に見下ろす。
大通りでは、店を閉める商売人たちが、ふと手を止めて一行に視線を投げる。
目に入る限り、ひときわ高い建物は教会と、向こうには高炉かなにかだろうか、うっすらと煙が薄暮に染まっている。
砕石を固めたのだろうか、大通りは、馬車も通れるほど平らでいて幅も広い。
その両側に明かりが、歩を刻むように点々と、まっすぐに伸びている。
山間の村で育ったアキにとって、街灯の白い光が、星のように煌いた。
夜も近いのに、これから出かけるような人もいる。
いくつもの酒場や民家からは、明かりと賑やかさが通りまで漏れている。
だが今は、この都会の活気も耳に入ってこない。
ただ夜闇を灯す光に沿って歩かされる。
街の入り口の門からまっすぐに歩くと、再び門がそびえた。
この城下町は、大国にあるようなはっきりとした城塞都市ではない。
はじめに据えられていた砦を王城として、周りを旧市街と城壁とが取り囲む。
さらにその外側に、交易によって築かれて街が拡大した、二重の構造になっている。
ゆえに、城下町の外側ほど新しく賑わっていた。
反対に、王城に近い旧市街には、施政に関する建物や、古くからの貴族の館が粛然と並んでいる。
すでに足のすべてが石のようだ。
早朝から、ひたすら歩かされ続けて、陽は完全に落ちていた。
さすがのアキも、これが保護なのかと訝りの念を持っていた。
それでも耐えようと、これまでにもしてきた苦労と同じだと、我慢を決めた。
他の女たちに倣い、ひんやりとした石床に腰を下ろす。
これも我慢だと心を決めた。
「なぜこんな仕打ちを受けるのよ、私たちは被害者よ!」
甲高い叫び声が石壁に響く。
皆が思って、口にしたかったことをサーラは放った。
手の縄は解かれたが、今度は牢に入れられたのだ。
城下から王城を見遣ったときに、あの城で保護されるのではと考えもしたが、まったくの的外れな期待だった。
二つの城門を過ぎると、王城には入らずに近い建物へ、そしてこの地下牢に連れて来られた。
「私たちを山賊どもから、助けに来たんでしょう!」
サーラは鉄格子を叩くが、縦と横の閂のような鉄の棒はびくともしない。
さすがに手の痛みに顔をしかめると、今度は格子を掴みだす。
「王国の兵士が、無実の臣民を牢獄なんかに!」
やれやれと、監視の兵士も我慢を切らして怒鳴りつけた。
「拘置所だ、牢獄ではない!」
「出しなさいよ、そして話を聞きなさい!」
「明日になれば取り調べる。それまで静かにしていろ」
壺に入った水とパンが入れられた。
食事を摂ると、サーラも静かになってきた。
そして水漏れだろうか、滴る音が鳴っている。
水の音は近くと、遠くにもうひとつ、どこからだろうか。
あまり響いていないので、地下牢はそう広くないように思えた。
明かりは少なく、捕らわれた互いの姿は影になっている。
アキたちはそこの一室にまとまって入れられていた。
時間こそが牢獄だった。
わずかしか経っていなくても、飽きたころに気づく滴る水音が、人生のすべてを覆うように鳴っている。