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6出会い

「もう少しいい短剣であれば仕留めていたな」

「すみません」

 ツェンベルクは、術士の短剣を見遣った。


 黒狼(ボード)の術を使ったその短剣は、大岩に潰されたようにひしゃげていた。

 人知を超えた術は、その分の反動も引き起こす。

 ゆえに、生身の身体から直接に使われることはなく、剣や杖などの、できるだけ頑丈な媒介を必要としている。

「いいさ、仕留め同然の手柄だぞ。我々も追おう」

 

 集落に焚きつけられたオリウム灯油の火は少しずつ消えかかっていた。


 それは集落の家屋をほぼ焼き尽くし、夜の闇へと戻らせていく。


 燃えるときは、噴き上がるように家屋を焼いたが、それは勢いを尽くすのも早かった。

 そしてこの豪雨にも、闇夜にも負けようとする火の残りが、最後の灯火を弾こうとしていた。


 雨の音が聞こえない。

 耳に響くのは自分の心臓の鼓動だけだった。

 今だ降りしきる豪雨に、深い水たまりが駆け出す音を跳ねる。

 アキはひたすら逃げていた。

 何からだろうか。

 自分をさらってきた山賊から、その酷い仕打ちから、小屋に火を放った者たちから、追いかけてくる少年から。

 弾けそうな心音だけが、生きている証だった。

 息が上がり体中が痛い。雨にしみる傷口も、打撲した足も腕もただ痛い。

 すべてを振り切って逃げたかった。

 何もかもが、なくなればいいのにと思った。


 その雨夜の先に、巨躯があった。


 もちろんのこと、見知った男だった。

 この村落を隠れ家にした、山賊の頭目だ。


 アキは山間の道で、彼らに襲われた。

 ここと同じように、メリデュナス山脈の山岳のひとつにある小さな村から、布地を運ぶ旅路の途中だった。


 アキの村で織ったヘンプ彩布は、貴族や富豪たちに高く売れた。

 しかしその分の徴税は上がり、村人はさらに高く売ろうと国境を越えようとしていた。

 今思えば、捨て子だった自分を博打に出したのだろう。

 うまく売って戻るか、警備兵にでも捕まるか、野盗やモンスターに襲われるかの賭けだ。

 事故にも遭ったかもしれないが、村の者にとっては関係のないことだ。

 もちろん今ここにいるということは、その賭けに負けたわけだが。


 その巨漢もアキを見つけ、ギョロリとした目で睨みつける。

 足は折れているのだろう、引きずりながらゆっくりと巨躯が近づいてくる。


 アキは、自分だけが助かるとも思っていなかった。

 あの暗闇に逃げ出したサーラは、どうなったのだろうか。

 自分だけが助かることへの後ろめたさもあった。


 ただ怯み、威圧され、足をすくませていた。


 巨漢は、怯えるアキの腕を掴んだ。

 その無骨な腕に、か細く弱った腕が悲鳴を上げる。

 そして腰に隠し持った短剣を突きつけてきた。


 いち早くその二人を見つけたのは少年だった。

 追っていた少女に、その背後に山のような巨躯に、目を向ける。

 少女は、兎が熊に捕らえられたように、巨漢の太い腕に掴まっていた。


 続けて走ってきた兵士たちが、巨漢を取り囲む。


「てめえら、近づくんじゃねえ!」

 山賊の頭の怒号に、追ってきた兵士たちはたじろいだ。

 人質をとられたからではない。その山賊の、死にもの狂いの威圧にだ。


 キルハを含め、バンズクラフトの討伐隊は皆、この隠れ家に女たちがいることを知らなかった。

 いたとしても、それは山賊の一味だろうと。

 ならば、この人質をとって何の意味があるのか。


 威圧にひるんでいた兵士たちは、それに気づき始めた。

 同じくならず者ならば、悪漢と少女とを天秤にかける必要はない。

 兵士たちは武器を構え、術を込め、巨漢へとにじり寄った。

 半歩、一歩と近づくと、同じ分だけ相手も歩を下げる。


 自分も攻め行くべきか。

 キルハは自問した。せめて考える時間が欲しかった。

 あの巨漢がならず者なのは理解できる。だがこの少女はどうか。

 小屋から出てきたときは、他の女をかばう素振りもあった。

 ろくな抵抗も見せていない。

 所々に傷が目立つ小柄な少女を、どうしても敵に据えられなかった。

 まだ成長もしきっていない少女を、どうして敵と思えるだろうか。


「納得がいかない」

 巨漢の腕の中で苦しそうに悶えた少女を、キルハは助けるべき者だと確信した。


 丸太のような腕で掴み抱かれたアキは、苦悶の表情を浮かべる。

 首元を絞められて呼吸ができない。

 短剣がちらついて怯むよりも、この腕で絞め殺されるのではないかと感じた。


 こき使われても、いつか解放されると希望を持っていた。

 我慢していればいつか報いがくると。

 もしかするとこの山賊たちがいつか、良心に気づくかもしれない。

 服従していれば、その時がやってくるものだと。


 苦しみには同じだけの救いがあるはずだ。

 捨てられたも同然の自分に助けがなくても、特に信仰する神がなくても。

 いつか耐えていれば慈悲が訪れる。


 それはいつなのか。

 誰からなのか。

 希望に出会う前に、命が果てるのか。

 救いを待つならば、その時に生きて受けなければならない。


 そのために、生きなければならない。

 自分にも幸福が訪れるなら、それが来る前に命を落とすわけにはいかない。


 アキは手を握りしめた。

 遠のいていく意識の中に、光を感じた。


 こちらを見つめる少年の眼光だろうか。

 この手の中の光の輝きだろうか。


 この温かいものは、何なのだろうか。

 どこから現れたのだろうか。


 アキがしっかりと掴んだもの、それは、ひとつの光だった。


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