5生への執念
「待ってください。さっきから女しかいない!」
「女の山賊だろうよ、武器を奪って振り回してきたんだ、やらなければやられるぞ!」
そうだろうかとキルハは、いくつかの横たわっている姿を見遣った。
その兵士により、戦鎚【スラッガー】で殴打された女たちだ。
皆ぐったりと、血を抜かれた家畜のように倒れている。
「俺は追う。残りを見ておけ!」
キルハと組んだ兵士は、逃げた女を追いかけた。
豪雨の中を、焚きつけられた火の届かない夜の闇へと、駆け出して行った。
「俺は、何をしているんだよ……」
キルハは舶剣【ドライブ】を片手に、その自問に苦悩した。
その剣はまだ使われていなかった。
抵抗もなく崩れていく女たちに、その鉈のような剣を振るえなかった。
幸いにも抵抗がないがゆえに、だが。
思いと関係なく、雨は腕をつたって手へ、そして剣先へ地面へと垂れ落ちる。
燃えさかる炎に、稲光に、少女の姿があった。
「お前も……」
キルハは少女に歩を進める。
「お前も山賊なのか……?」
少女の震えた唇は、何も返さない。
ただ怯え、両膝を地に、雨だまりに浸けてこちらを見ている。
「討たなければいけないのかと聞いている!」
雷鳴が轟き、キルハは少女の瞳を睨み据える。
舶剣の鋼の刀身が揺らめいて照らされた。
少女は何かを掴むように指を折り曲げた。
何もない掌を握りしめて、救いを求めるように。
そして意を決したように、その足を踏み出した。
震える唇もそのままに、四つん這いから立ち上がる。
顔はこちらを伺うように歩みを速め、そのまま豪雨の中を駆け出していった。
本能的に、生きるための行動だった。
「くそっ!」
失態だ。
まぶたに垂れる雨粒を掴んで払う。
動けなかった。少女が逃走に転じる様を、ただ眺めていたのだ。
同じ年頃の少女に、どう剣を振るえばいいのかわからなかった。
「俺は何をしているんだ!」
キルハも少女の後を追った。
豪雨はなおも続いた。
この雨が神々の仕業なら、それを望んでしているのだろうか。
世界には神々へのいくつかの信仰があった。
同じ数だけの神があり、奇跡があった。
最高位のシグナレイナスを据えた神族と、それに次ぐ竜神のいくつかは、どの国でも共通して崇められていた。
さらにそれに次ぐ、土地の神は地神として、生活に身近に名を聞く神もいる。
この大雨を降らせた雨の神アルセドも、その地神の一柱だ。
今夜の大雨は王国の神官により伝えられた。
ただしその託宣も、雨の神から直接のものではなく、あくまで神の使いの精霊により与えられた力のひとつだ。
神の奇跡そのものを目の当たりにすることは滅多にない。
精霊の力を借りた現象を、術と呼んだ。
その生身の能力を超えた力を、いくらかの人間はそれを行使できた。
討伐は終息に向かっていた。
兵士は翠竜の風をまとった剣を振るう。
しかし最後に出てきた巨漢は、体躯に似合わず、するりと身を引いた。
兵士の攻撃はまたも避けられたが、術で作られたつむじ風が、巨漢の太い腕を切りつけた。
それでも巨漢はその腕で長剣を握って払い、兵士をけん制する。
討伐隊と、山賊の最後のひとりとの攻防は続いていた。
燃える集落と、ときおりの激しい稲光が、戦いの人影を照らしていた。
「お前が、賊の親玉か?」
ツェンベルクは、他の兵士たちから前に出た。
手には戦鎚【スラッガー】が握られる。
なかなかにしぶとい巨漢には、剣よりもこれの殴打で骨でも折ってやろうと考えた。
豪雨をものともしない勢いで、オリウム灯油の炎はなおも上がる。
燃えさかる大きな家屋からあぶり出された山賊たちは、兵士の待ち伏せによって、あるいは斬り合いで一様に倒れている。
重傷の者もいれば絶命した者もいるだろう。時間の問題の者も。
今にも燃え崩れそうな家屋から、最後にこの山賊が現れた。
「ちくしょう、お前ら、バンズクラフトの兵士か!」
巨漢にツェンベルクへのまともな受け答えがあるはずもなく、闇夜に突然と現れた者たちを返り討ちにしてやろうと目を剥いていた。
火照った頬や鼻が赤く焼け、無精な髪とヒゲも焦げている。
背後に立ち上がる炎が、男の憤怒をあらわしているようだった。
片手にはその巨躯にそぐわない長剣が、がっしりとした腕に握られている。
この長剣もどこぞの荷から強奪した物だろうかと構えた。
ツェンベルクもまた、翠竜術の使い手だった。
そして、この討伐隊を率いるだけの戦功を重ねていた。
戦鎚の周りにできる空気の渦が、打ちつける雨の軌道を歪ませる。
相手から数歩の距離で、その戦鎚がなぎ払われた。
巨漢は、見えない張り手を喰らったようにたじろぐ。
その、つゆ草を刈り取るような振りから、空圧の砲撃が放たれたのだ。
すかさず黒狼の術士が、土塊を作る。
短剣を掲げて刀身を向けた先、巨漢の足元の地面が勢いよく湧き出る。
「ちくしょう、術か!」
土塊は生き物のように、巨漢の足にまとわり這い上がっていく。
雨降りの泥というのも効力を増した。
土に泥にまみれた術が、男を足元から覆っていく。
それは男の巨躯を動きを止めるのに十分であった。
ツェンベルクの戦鎚が巨漢を襲う。
止まった脚を狙う一撃だった。
迎え撃つなぎ払われた長剣の後に、間合いを詰めて重い殴打が響く。
横から入った戦鎚の柄頭が、男の膝を割った。
「投降すれば、もうひとつの膝で済ませてやる」
「……このまま捕まれば、殺されずに済むのかい。そんなわけあるかよ!」
巨漢は土塊を蹴り上げる。
冷たく見遣るツェンベルクに、土のつぶてが返された。
「くそっ、どうにでもなりやがれ!」
今ので完全に膝の骨は離れただろう、その足で男は巨躯を走らせた。
巨漢は長剣を振り回し、壊れた足で闇夜を駆けていく。
悪あがきともいえる生への執念だった。
ツェンベルクの戦鎚は、投げつけられた長剣を弾く。
がむしゃらに投げられた剣は、退かずに構えてさえいれば防げる。
戦に慣れたツェンベルクは、この状況も冷静に、他の兵士を追わせた。
「気を抜かずに追え、もう逃げ場はない」