40主人付き
アキは、またも困惑した。
女王の言っている意味が、まったくわからないのだ。
正確には、その意図が、真意が、読み取れない。
なぜ、自分のような、どこぞのものかわからない者をもてなすのか。
女王に直接付くという職まで与えるのか。
何なら昨夜に会ったばかりなのに。
雲上の人間の気まぐれなのだろうか。
華やかな応接室に、少しの沈黙が流れる。
アーチ状の窓からの朝日は、相変わらず柔らかく、時間を止めるように立ち込める。
「あの、陛下……」
驚いたのは、キルハもだった。
「あの、俺が意見するのもおこがましいのですが、彼女は山賊に捕らわれてここへ来たんですよ。それでいきなり、陛下のお付きとはどうかと……」
アキの思ったことを、言ってくれた。
スフィーダは、澄ました顔でお茶を嗜んでいる。
ディグベルクも、無表情のままだが、聞き流しているようだ。
メイドも黙って、細工菓子の取り分けの小皿と叉匙を、丁寧に並べている。
この細い棒を使って、食べるということなのか。
言いだしたも言葉の詰まったキルハに、アキは続けた。
「あの、そうです。キルハの言う通りで、なぜ私なんかが……」
「お二人は、昨夜の件に深く関わっています」
スフィーダは、菓子細工を崩し始めた。
持ち上げた小皿に、器用に叉匙を操っている。
コホンと咳払いをし、ディグベルクが注意をひいた。
女王の食事中に、問いが投げられるのをさけるように。
「もし、共謀者がまだ潜んでいたらだ。そうでなくても、キルハとアキ殿は、今回の件で、政争の具にされかねない。その配慮だ」
あまり深く考えても、国政や官吏のことはわからない。
先王の崩御までに関わると、その内情に利用されるということだろうか。
「騎士号を持っていれば、不要な取り調べも撥ね除けられる。陛下の主人付きでも同じだ」
「お二人とも、これを承諾してくださるのなら、昨夜の件は他言なさらないように」
「無用な諍いを招かないためにも、身の安全のためにもだ。でなければ、王城から離れることを勧める」
畳み掛けるように、女王と騎士団長に言われると、選択肢などないように思えた。
アキは、ティーカップからの湯気をぼうっと見ていた。
キルハは、騎士になれたということだろうか。
なりたそうな素振りがあったから、祝うべきだろうか。
言葉をかけたら、喜んでもらえるだろうか。
「あの、その主人付きになって、私は何をしたら良いのでしょうか。できることなど思いつかないのですが……」
「私の身のお手伝い、といいましょうか。宮内府は、王室直属の官府……お役所ですね。騎士団も抱えています。彼女だって、宮内府の儀典室のメイドですよ」
飾り気のない女王の口調は、わかりやすかった。
さすが王族というのか、よく組織を把握した上で、くだけた言葉を述べたようだった。
そのメイドは女王のティーカップに、二杯目を丁寧に注ぐ。
その優雅な手つきに目を奪われ、やはり自分には無理だろうと、アキはかぶりを振った。
「私は、彼女のように、品よく務め上げる自信はありません。取り得もなく、ようやく縫い物ができるくらいで……」
メイドの手は一瞬ぴくりと止まったが、何もないように、そっとアキに告げた。
「私は部屋係ですので、勝手は異なるかと。……陛下のお付きになられるのは、大変光栄なことと存じますよ?」
スフィーダにも聞こえたようで、口元を押さえて笑っている。
「しょっちゅうお話の相手をさせていますけどね。……ですから、あまり構えないでください、これから覚えていけばいいのですから。それとも、私とお喋りするのは嫌?」
「そんなことありません……!」
実際、スフィーダは接しやすかった。
アキより年下というのもあるかもしれない。
そういっても、身分や振る舞いは雲泥の差だが、彼女自身が相手をさげすむようなこともない。
それに、彼女のような統治者ならば、ひとつ命じれば済む話だ。
近くに置くにしても、口封じにしても。
どこか言葉の端々から、孤独な表情が見て取れた。
その繊細なドレスに、胸をきつく挟まれている心細さを感じた。
やはり両親を亡くした悲しみもあるのだろう。
国を背負うことも、アキにはまったく想像がつかないことだった。
この女王は、自分の身体を拭うときに、拭ってもらうのだろうが、何を考えるのだろう。
珠玉のような自身の肌に、何を思うのだろう。
その生き方に疑問を感じることがあるのだろうか。
疑問を感じたときに、抜け出せるのだろうか。
抜け出せないのだろう。
君主という立場は、そうそう抜け出せるものではないだろう。
アキのように居場所のないものは、ある意味では自由なのだ。
ならば、何が、自由と呼べるのだろうか。
極端な人間に接していて、比べているだけかもしれない。
ただ、贅沢で恵まれていると思っていた印象は、薄れていった。
もっと、知らなければいけないのじゃないか。
人に、世間に、接するべきじゃないのか。
誰も知らないような小さい村で、外の世界に憧れていたじゃないか。
自分の力で、どうにもならないことを、願っていたじゃないか。
ある日突然に訪れる救いを待っていたじゃないか。
待っていたのに、それが来た途端、なぜ恐れているのだろう。
裏切られたくないからか。
力のない自分が、不安だからか。
――私を手にしてから、何を見ていたの?――
アキは拳を握り込んだ。
掌が熱い。確かに、ここにあるんだ。
雪は割れたのだ。
また、甘えていた。
希望を育てるのが恐いのだ。
自分の手に、すでにあることを恐れていたのだ。
恐れも、痛みも、苦しみも、今までにだって耐えてきたじゃないか。
それだって、自分自身の力なんだ。
我慢して引き籠っていれば、心は自由なのだろう。
何かを成そうとすれば、心は囚われるのだろう。
自分も、立ち向かえるだろうか。
自分も、狂ってしまわないだろうか。
「そのときは……」
アキは、一同をしっかりと視界に入れた。
誰もが自分よりも凛々しく、誇り高く、我が道がある。
そのような生き方にこそ、救いが訪れるに相応しいのではないだろうか。
希望と、共に歩めるのではないだろうか。
これほどの人間に囲まれていること、まさに今、これが奇跡ではないのか。
これ以上に、贅沢に恵まれたことが、他にあるだろうか。
「……至らぬことがあれば、非を打ってください。不躾があったら、厳しく叱ってください」
アキは背筋を伸ばす。
この礼服の力もあって、気持ちまで端然とする。
スフィーダは、座りを向けてしっかりと聞いている。
その意志までも受け取るように。
「女王陛下のお傍に、誠意をもって仕えたいと思います」
コトリと、ティーカップが置かれた。
スフィーダはうれしそうに、安堵したように、微笑みで返した。
「はい。どうか、よしなにお付き合いを」
サーラは、何と言うだろう。
女王に頼んで、拘置所から出してもらった。
牢の中ではない、ゆっくりと眠れる場所にいるのだろうか。
あのみんなにも、何か職に就かせられないだろうか。
無論、女王にこれ以上を望むのはおそれ多いが、ここにいれば何か探せるかもしれない。
みんなにも、不幸を取り除いてもらいたい。
誰しもに、そういうきっかけがあるはずだから。
「おい、ここか? あら……失礼しました」
突然、扉が開くや否や、女兵士が足を入れてきた。
一同を見回し、場違いであったことに気づくときびすを返す。
「失礼します。……兵士、礼を欠くとは思わんか」
立ち上がったのはディグベルクだった。
扉に詰めていきそうな勢いで、その兵士へ叱声を向ける。
女兵士も、ばつが悪そうに顔をしかめるが、反省というよりも塩辛い顔をしている。
「ああ、いえ、女たちがひとりいなくなって、迷っていないかと……。ほら、急に部屋に入られると、失礼でしょう?」
悪びれもなく頭を掻く女兵士に、ディグベルクも呆れてため息を落とす。
アキは、もしかしたらいなくなったのは、サーラではないかと眉間を重くした。
彼女は自分勝手なところがある。牢でも兵士に歯向かっていた。
その積極性が、変な方向にいかなければいいのだが。
「エキドナ、といったな。他を捜せ。兵士長には言っておくからな」
「ええ……私はよかれと思って、ああ……」
「エキドナ、いなくなったというのは?」
引き留めたのはスフィーダだった。
半分閉じられ、身を隠すようにしていたエキドナは、扉をおそるおそる開く。
「例の、山間から保護された方々でしょう? アキも気になるのでは? どうしていらっしゃるのでしょうか」
「ええっと、おそれながら。全員、夜更けに部屋へ入れたのですが、明け方に様子を見に行くと、サーラと言ったかな、ひとり逃げたと告白されまして」
「そうですか、心配ですね。早く捜索に当たってください」
「了解、かしこまりました!」
叱られずに済んだとばかりに、バタンと元気よく扉が閉まる。
アキは、両手で眉間を押さえ、申し訳なく思った。
やはりサーラだった。
何が不満だったのだろうか。何を考えているのだろうか。
せっかく王城に招かれたのに。助かったのに。
失ったものを手に入れると言っていたじゃないか。
幸運のきっかけに、なぜ問題を起こすのか。
「申し訳ありません。せっかく保護していただいたのに……」
「アキの謝ることではありませんよ。城内はまだ混乱していますから、何もなければ良いのですが……」
女たちの話では、閉じ込められることに我慢がならずに、騒がしく出ていったらしい。
その後も、サーラは見つからなかった。
気にはなっていたが、女王の主人付きとなったアキは、行儀や身ごなしを覚えるのに精一杯だった。
スフィーダが政務のときは、ほとんどの時間がそうだが、しきたりや王城の勝手を儀典室学ぶ。
一日に何度か呼ばれ、書類運びや伝達を任される。
それ以外は雑談の相手だった。
そうしているうちに、サーラのことは、頭の片隅に追いやられていった。