4奇襲
炎が雨を照らす。
雨水に浸されようとも、ボロの家屋にまかれた油は容赦なく燃えていく。
降りしきる雨にも負けずに、水たまりが湯気を立てる。
次々と焚かれた火は、谷からの吹き上げた風に煽られて、ついに集落を囲み始めた。
オリウム灯油はよく燃える。
火山の底の鉱石から精製された、透明に近い白い油だ。
大陸の南方、メリデュナス山脈を越えた側でよく採れるが、バンズクラフト領内の東でも採掘される。
街では、ロウソクやランプ獣油に変わる照明として、普及が進み始めていた。
本来の用途は夜照明だが、こういった使い方はより効果的だ。
「賊に告ぐ!これより取り押さえを始める!」
小隊を率いるツェンベルクは、この村落の唯一の出入り口、見せかけの草束が置かれていた場所だ、そこに立ち構えて声を張り上げた。
雨音に負けない呼号は山賊に放ったものではなく、散開した味方への急襲の号令だった。
名乗りを上げないのも、奇襲とは別の意味があった。
正規の軍隊である以上、無法者の討伐といえども身の証と罪状を告げる法があるが、それは後々でどうとでも弁解できることだった。
それよりも、ここでは王家の名を出して不手際があった場合の保険であった。
ツェンベルクも他の兵士たちも、もっとも大きな家屋に特に注意を払った。
十軒ほどの家屋はほとんどが潰れかけていて、寝泊まりできそうな家は少ない。
そのうちの二、三軒に目星を付ける。おそらくそこに集まって暮らしているだろうからだ。
これが初陣のキルハを含め、七名の兵士たちが二人組で、家々の前に待ち伏せた。
闇夜の山間の中で、この集落だけが、おぼろげな夜明け前ほどの明るさになった。
山脈全体からすればほんの小さな星みたいな程度だが、奇襲には十分だった。
あっという間に炎は集落、いや、ならず者の隠れ家を包み込む。
豪雨に浸されたボロの木造家が勢いよく炎と白煙を上げる。
「起きろ、起きやがれ!」
すでに寝入っていた山賊たちが異変に気づいたのは、その明かりからだった。
ここが崖の上に隠れていることが、外から襲撃を受けるという、彼らの考えを捨てさせていた。
自分たちもそうやって、この村落を略奪したというのに。
「ちくしょう、どこのどいつの仕業だ!」
ボロの家屋から、上に横にと広がり来る炎が、屋内にまで入り込み出した。
無骨なならず者たちは騒ぎ立てながらも、起きた者から他の雑魚寝を踏んづけて出口に走る。
待ちかまえていたのは、討伐隊の兵士だった。
戦鎚【スラッガー】の、四角い果実のような柄頭が腹の肉にめり込む。
最初の山賊は、今にも飛び出そうに目を見開いて両膝を崩した。
すかさずもうひとりの兵士が引きずり移して口を縄で縛り、舶剣【ドライブ】で両太ももを叩き斬る。
獣肉の解体に使われる鉈をもとにしたこの剣は、切断には至らなくても筋肉を断ち切ることができる。
手慣れた兵士ならこの加減を知っていた。できる限りは致命傷を避けて、法の処刑まで引きずりだす加減だ。
不意打ちをくらった山賊は、一瞬だけ悶えるとぐったりと横たわった。
そうとも気づかずに次々とあぶり出された山賊にも、容赦のない殴打が走った。
昏倒に耐えた者も、腕や脚の肉を斬られて悶絶している。
「のろいな。ロバの生肉でも食ったのか?」
「本当にそうかもな、ひどい匂いだ」
「風呂に入ったこともないのだろう。獣同然だ、討伐というよりこれは狩猟だな」
容赦ない雨に、炎に、襲撃に、正義の蹂躙に血が混じる。
サーラはすぐに踵を返した。
自分たちのいる小屋への、出火の人影に気づいたのだ。
「あいつら!」
女たちの詰められたその小屋に戻ると、大声で叫んだ。
「あいつら、こんなことまでするなんて!」
アキは、すぐに戻ってきたサーラが、脱走を諦めたのものだと、やや安堵する気持ちがあった。
しかしこの同じ年頃の少女の取り乱す様に、困惑もしていた。
「逃げるのよ!今すぐ皆を起こして!」
「待って、急にどうしたの?」
「生きたければ逃げるの!」
「確かにそういう話をしたけど、やっぱり私は……」
逃げる勇気はない。そう言いかけたアキも、異変に気づいた。
サーラにつけられた青あざが、ぼんやりと照らされている。
その明かりは、夜明けでも、月夜のものでもなかった。
ボロの小屋の壁の穴から、白煙が流れ込んでくる。
次に木板と木板の間に火が入ってきた。
「火を付けられたの、あいつら私たちを殺す気よ!」
「そんな……」
アキはにわかに信じられなかった。
さんざん重労働にこき使ってきた女を、今度は始末しようというのか。
ありえなくはないが、これも暴虐のひとつなのか。
他の女たちが目を覚まし始めた。
入ってきた炎は大火になり、天井に達して、またたく間に屋内をも焼き始める。
木造の屋根も壁も、そのボロの小屋がすぐに朽ちていくのは、どう見ても明らかだった。
女たちの悲鳴が上がって、炎と煙と恐怖に包まれていく。
眠っていた女たちは、我先にと豪雨の鳴る外へ駆け出ていった。
サーラは、女たちが狂乱しながら外へ逃げる様子を、冷ややかに見遣ってアキに放った。
「あんたもこれで逃げる気になったでしょう?」
「そうね、手を貸して」
アキは、まだ起き上がれていない、歩けない女の腕を、肩に回した。
耐えていればいつか報われるという思いをひとまず置く。
女の引きずる足に合わせて、唯一の出口へと身を進めた。
皆がそれぞれに傷や痛みを抱えていた。
ひとりで逃げるつもりだったサーラも、さすがに見ていられなかった。
逃げ遅れた女の背中に手を当て、押すように歩みを促した。
白煙がこもるすぐ後ろで屋根が燃え崩れた。
「落ち着いて。とにかく外に出ましょう」
そして別の鈍い音がして、その女の膝が落ちた。
火の回った小屋から、ちょうど出たところだった。
アキは、女の足がもつれたのだと思い、立ち上がらせようとした。
しかし様子が違う。
雨音とは異なる気配がして、前を向くと男の姿があった。
男はこん棒のようなもので襲いかかってくる。
アキは崩れこんでいく女に腕をとられて、後ろへとよろけた。
こん棒はアキの腹部をかすめていく。
振り切られたこん棒は、男の手を滑って放られ、小屋の壁を打った。
サーラは落ちた武器に目を遣った。
豪雨と炎とが、鈍い金属にぬらめく光を持たせている。
そしてそれを、男が拾うよりも早く手にした。
「とんだ鬼畜ね。火をかけた上にこんな棒まで」
「おい、武器を下ろせ」
「いやよ」
男の声に、サーラは憎々しく眼差しを向けた。
血肉刺を潰した手で、しっかりと金属のこん棒を握る。
サーラの傍らには、先に小屋を出ていった女たちが横たわっていた。
しかし今は、武器にもならない哀れみなどを気にしてはいられない。
いま生きなければその生は終わる。
「その女は置いて行くわ。あなたも走りなさい」
「でも……」
「私は逃げたいの。こんな死に方は嫌、生き方も嫌!」
サーラの悲痛の叫びにも、アキは決心がつかずにいた。
肩を貸した女は、すでにぐったりと崩れ落ちている。
ここで抵抗したら、もっと酷く扱われるんじゃないか。
反抗には暴力で返されるんじゃないか。
それにこの手荒な山賊たちに、かなうわけがない。
ならばここで服従して、被害を少なくするほうが賢明じゃないか。
サーラはいきり立った。
手にしたこん棒を、重さにまかせて振り回す。
この暴虐を重ねる男たちにも、煮え切らないアキにも、周りのすべてにも、苛立ちが頂点に達した。
「水瓶をご覧なさい、私たちが汲んで来なくても勝手に溢れている!」
男を狙って振っては、重い柄頭が地面に付き、また勢いに任せて振られる。
「人間はああなのよ、苦労には報いなんて何もない。ただの気まぐれで人生が決まる、優劣が決まる!」
戦い方を知らない少女のか細い腕でも、まともに当たれば傷くらいは負うだろう。
まともに当たれば、だが。
その武器を奪われた男は一歩引き、ただ闇雲に振り回している少女の様子を、呆れたようにも見ていた。
「だったら叩き割ってやるわよ!」
サーラのこん棒は勢いよく振られ、男に向けて飛ばされた。
雨で滑ったのか、手の握りが耐えられなくなったのか、どちらにしても運はよかった。
すっぽ抜けたこん棒は、男の腕を直撃する。
「この、女山賊が!」
サーラは駆け出した。
男のたじろぐ、少しの隙を見逃さなかった。
視界の端にもう一人男がいることに吃驚したが、とにかく走り続けた。
どしゃ降りの雨の中を泳ぐように、泥に足を取られながらも次の足を出す。
追いかけて来る男から、必死で逃げた。
それだけが今、サーラにできることだった。
サーラが冷静であれば、他の家屋にも、集落中にも上がる炎を気に留めたかもしれない。
しかし今は、すべてを捨て去るように、何もない暗闇を目指した。
雷雨に二人が残された。
小屋のほとんどを崩し、なおも燃え上がる炎に姿が映される。
そして稲光にも照らされた瞳が、二人を合わせた。
大人とも子供とも呼べる、同じくらいの年頃の少年と少女だった。