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34女王

 自分はすべてを失った。

 得られたもののすべてが、消え去った思いがした。

 もう、何が得られるのだろう。

 今までに、何を得られたのだろう。


 思いの何もかもが言葉を越え、ただ号哭に吼えた。


 煌びやかな、夢を見ていた。

 石床の炎が、涙に光り、燦然と輝く。

 敵を討ち、勇ましく凱旋し、王は誇らしく迎える。


 すべてが夢のようだ。今も、今までも。


 石積みは、しばらくの落とせるだけの欠片を落とした。

 ただ咽び泣くだけの音を残し、明かりは薄くなる。


 暗闇が永遠に続くなら、何も見なくても済むのだ。

 ほんの少しの明かりが気になって、目を開けてしまう。

 それは希望なのではないかと。


 鬱陶しくも、期待してしまう。

 眠り続ければ、悲しまずに済むのではないか。

 その光は、残酷なものでも映してしまう。


 それでも人は明かりを求める。

 なぜなのか、なぜ照らすのか、このまま目覚めなければいいのに。


 苦難の道を歩ませたいのか。

 暗闇を動かなければ、(いばら)の道も踏まずに済むのに。

 暗闇を照らすから、恐ろしいものが現れるのに。


 ただ風に、水に、なりたい。

 世界を巡って、この地に還り、渇きを潤し、また流れていく。

 朽ち果てることなく、苦しみもない。


 美しく吹きわたり、滾々(こんこん)と湧き出る身になれたら、すべてを忘れることができるだろうか。


 何も混じらず、穢れも、淀みも、濁りもない。

 気高く冴える風のように、透明に湧き出る泉のように。

 清らかでいれば、心を澄ましていれば、そうなれるだろうか。

 悲しみを感じずに、いられるだろうか。


 明かりがまぶたの幕を開ける。


 慌ただしく靴音が鳴っている。


 目を開くと、ディグベルクがいた。

 悲愴な面持ちで、ただしこちらが微笑むと、安堵するように。


 この肩に、寄り合っている少女は誰だろうか。

 知らないが、どこか肌が触れることに安心した。

 人の温もりを、確かに感じたことに、現実を呼び戻した。

 そして、息を深く落とした。

 どう、ことの顛末を話そうかと。


 ディグベルクはキルハに声を掛けている。

 ぐったりと項垂(うなだ)れていたキルハは、その顔を見て、再び嗚咽に苦しんだ。

 飛び飛びの言葉に、ディグベルクの顔は血の気を引かす。

 そして、その有様を見てしまった。


 血だまりの中の、王と王妃を。

 その変わり果てた主君の形骸を。


 慟哭が吼えわたる。

 いつまでも鳴り響くように、戻らない時間を呼び返すように。

 血だまりを拳で打っている。

 何度も、何度も、何度も。

 悲しみを、憎しみを、嘆きを、憤りを、あてもなく吐き出すように。

 

 そのすべてを吐き出せるわけもないのに。


 ディグベルクだってそうなのだ。

 どうにもならないことに、耐えられるわけがない。


 呆然と打ち崩れたディグベルクに、騎士が、兵士が駆けて来る。

 その誰もが、この部屋の惨状に目を疑った。

 明かりのせいだろうと、照明を増やすような声がする。


 光は、増えれば増えるほど、ありのままを映す。

 誰もが足を止め、考えを止め、気力を落とした。


 君主を失った臣下とは、何と脆いものか。

 皆がうろたえ、戸惑い、指示を待っている。

 少なからず、涙を流す者もいる。


 その顔は怒りなのか、迷いなのか、よくわからない者もいる。

 共通しているのは、驚きだろうか。


 大の大人が、うろたえている。

 普段から身体を鍛えた兵士が、どうしたらいいのかわかっていないのだ。


 この者たちは、この国の民は、父親に付き従っていた臣下は、自身の感情ですら、ろくに決められないものなのか。

 忠誠とは、いつまでも子供のようにいることなのか。


 生き方を与えるものを、待っているのか。


 ディグベルクは、立ち上がった。

 その瞳に覇気はなく、足を引きずる姿も痛々しい。

 そして、目の前にひざまずいた。


「耐えがたきも申し上げます。陛下、王妃殿下、共に崩御されました」


 現実が、ずしりと胸を絞めつける。

 その低い声が、今はまったく心地良いものでない。

 この大男ですら、救いを求めるように、乞うようにしている。

 あの勇ましい姿を、また見たいと思った。

 この男は、勇ましくなければ、いけないと思った。


 つい、さっきまでの夢は、どこへ行ったのだろうか。

 星など見えない、この石積みの部屋で、ふと空を仰いでみた。


 夢も巣立つのだろうか。

 どこかへ羽ばたいていったのだろうか。

「王女殿下こそ、お世継ぎになられますことを……」

「わかっています」


 たった一言で、誰も彼も救われるのだ。

 父親の姿が、そうでなかったか。

 その瞳に、光が戻ってくる。

「わかっています。時を開けず、後継に即しましょう」


 戻らないものを求めても、悲しみが増すだけだ。

 氷の中に閉じ込めるように、炎を吹き消すように、そうしてしまえばいい。


 アキの手を、少女がするりと立ち上がる。

 そこにいる誰もが聞き、その姿を目にした。

 呆けていた者も、ひとり、ひとりと片膝をつく。


 頭を垂れた臣下を見渡し、精一杯に凛々しく、背筋を伸ばす。


「我が名、スフィーダ・セリナ・バンズクラフト。女王の即位を以って、ここに王代の替わりを宣します」


 そして彼女は、女王になった。


 反対はあるかしら、と小さな唇が跳ねた。

 異を唱えるものはいなかった。


 自分は風のように、水のように、振る舞えばいい。

 誰も、これ以上傷つかないように。


 新緑の森を、フクロウが鳴らす季節だった。


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