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31応剣

「キルハは、もうたどり着いただろうか」

 王の護りを任せた少年を頭に浮かべる。

 この怪物を振り切れば、自らも護衛につける。

 だが、この怪物を、獣と成り果てたカッツェを、王に近づけるわけにもいかない。


 その獣はすでに、人の声を失っていた。


 咆哮は、猛獣の鳴き声を何重にもまとめたようなものだった。


 城砦のぶ厚い造りは、その爪で半壊させられていた。

 もはや階段とはいえないくらいに、石段が穿たれている。


「大臣が怪物と化したのか、もともと怪物だったのか、どちらだ?」

 ディグベルクの問いに、カッツェの答えはない。

 挑発すらもう耳に届かないのだと、攻めの剣を急いだ。


 その紅黒い眼は、ひらすらに銀装飾の鎧を睨みつける。


 キルハが王のもとにたどり着いたとして、護りきれるとは限らない。

 王の傍らで、このような怪物の姿に、逆臣のペールも成り果てる恐れが十分にあるからだ。


 ディグベルクは、応剣【ライジング】を、大きく奮い立たせる。

 そのぶ厚く幅広い大剣の重さは、そのまま威力でもあった。

 長身の持ち主ほどの身の丈を、怒涛のごとく振り回す。


 並みの人間では持ち上げるのも困難だろう、その長さで突き、重さを叩きつける。

 力技にして、その乱撃は練達されたものでもあった。

 決して強腕(ごうわん)のみに頼らず、長い柄をさばいて繰り出される。

 そして息もつかせぬ朱鳥(フラマ)の炎も、カッツェを攻める。

 刀身から炎が薙ぎ払われ、切っ先は疾風のごとく、突いては爆ぜる。


 このカッツェもまた、当然並みの獣ではない。

 その怪物は、人で失くしたカッツェは、猛火の術すらも怯むことはない。

 ざっくりカーテンを開けるように前肢(うで)を払い防ぐ。

 硬く隆起した筋肉は、すべての剣撃を、固く止めていた。


 そして、牙をぶつけるべく、石床を蹴り飛びかかった。


 残忍なまでに尖った幾多の牙が、ディグベルクを捉えた。

 ぶつかった重厚な金属音に、大剣が震え、互いの一足が止まった。


 カッツェの動きは、本能的なものだろう。

 瞬時の隙でも嗅ぎつけるように、離れては爪、近づくと牙、そして死角からは尻尾を放つ。

 その一撃が、異常なほどに速く重いのだ。

 いかに防御に徹そうが、一撃で人を屠れるほどの怪物だ。


 その紅黒い眼が横に跳ね、(よだれ)が線を引く。

 ディグベルクの目の端に、カッツェが跳ねた。

 後肢(あし)が石床に踏み込まれ、後方の尻尾が鞭打つ。


 ディグベルクは咄嗟に、片足を剣柄に押さえた。

 うなり迫る尻尾は、その長い柄を激しく叩く。

 身を低くし、両手で、足で、耐える。

 支えていた片脚が、肉の筋がブチリと切れる音がした。

 それも構わずに、大剣をひるがえす。

 下段からの斬り上げは、カッツェの喉元を打ちつけた。


 しかし刃は通らず、またも皮膚一枚で止められる。

 そのまま斬り引こうにも硬い。

 ならばと、ディグベルクはさらに踏み込む。

 大剣を突き立てて押し込み、喉を貫こうとしたのだ。


 怪物であろうとも、獣には近い。

 やはり喉元だろうか、それとも口の中か。

 朱鳥(フラマ)の炎が、喉元を熱く焦がす。

 他の肉よりも、わずかに食い込む感触がした。

 ディグベルクは、もろい部分を探っていた。


 さらに押し貫こうと、懐に潜り込む。

 すぐ右には、怪物の左腕がぶら下がり垂れている。

 こちらの前肢(うで)は、もう動かないのだろう。

 あの少女の放った光、術だろうか、それで穿たれた前肢(うで)だ。

 あれがどういったものかはわからずとも、確実に深手を負わせているのだ。

 ことごとくはね返されようとも、決して斬れぬ相手ではないはずだ。


 ディグベルクは構わず踏み込み、切っ先で喉元をえぐる。

 大剣の手元は、決して緩めなかった。


 紅黒い眼が光り、喉元の刃を睨み落とす。

 カッツェは、猛り狂ったように身体をよじる。

 暴れ転がるように、右腕の爪がディグベルクを襲った。


 ぶちまけられた半身に衝撃が走る。

 一瞬の視界に、中空、そして石壁へと叩きつけられた。


 息が潰されるが、その目はカッツェを睨み捉えたままだ。

 闘志で呼吸をするように、大剣を、応剣【ライジング】を構える。


 猛攻もとどまることはない。

 暴風が吹き返すように、後肢(あし)が石床に弾ける。

 その右腕が、太い爪が、再び勢いをつけて迫りくる。


 ディグベルクは、これを狙っていた。

 応剣【ライジング】の刃を、襲撃に合わせる。

 一点を狙いすまし、身を捻り、迫りくる爪を目がけて斬撃を走らせた。

 雷鳴のごとく一閃だった。


 爪と爪の間、わずかなすき間に、その刃が食い込む。

 カッツェの猛撃を捉え、その勢いに斬撃を浴びせたのだ。

 重さが、速さが、衝撃がぶつかり合う。

 大剣の幅は、確実に前肢(うで)を裂いている。

 そして牙が、ディグベルクの眼前に押し寄せる。

 それでも互いに退くことはない。けたたましい咆哮が耳をつんざく。


 カッツェの紅黒い眼に、一瞬の怯みが見えた。

 研ぎ澄まされた闘志は、それを見逃さない。

 朱鳥(フラマ)の爆火が、裂傷に追い打ちをかけて爆ぜる。


 苦痛に負けたカッツェの、錯乱の甲高い声が暴れた。

 その叫号は、爆音よりも猛り、鼻先が痺れるほどだった。

 血脈はほとばしり、白毛は逆立ち、額の二本の角は脂汗にまみれる。

 食い込んだ刃は、やっと骨までに達していた。


 刃が血でズルリと滑り、刀身が強引にひねられる。

 ディグベルクは渾身の力で、前肢(うで)の押しに耐える。

 大剣を離さぬように、勝機を逃さぬように、柄を押し遣った。


 すでに極度を超えていた。

 自分でも出せるはずのない、限界を超えた力を死中に掴んでいた。


 そして、応剣【ライジング】が割れた。


 刀身を真っ二つに、鍛え上げた大剣が叫びを上げた。


 数々の攻撃に、防御に使った刃は、限界を迎えたのだ。

 もちろん術による負担も大きかった。


 切っ先は宙を舞い、剣柄は空を切る。

 そして流血にまみれた前肢(うで)が、太い爪が、ディグベルクを襲った。


 折れた刃は宙を巡る。

 回旋し、踊るように、輪舞曲(ロンド)のように。


 戦友は死んでいなかった。

 鋼鉄の剣の刃は、空中からカッツェの角を襲う。

 額の二本の片方に、その刃が食い込んだ。

 あれだけの硬い骨肉が、嘘のように、その角だけは(やわ)かった。


 ざっくりと刺さった剣先は、血しぶきに包まれる。

 そして、これまでにないほどの絶叫が上がった。

 角からの血にまみれたカッツェの顔は、真の怪物の形相だった。


 悶え狂い、額を押さえ、のたうち回る。


 その苦悶の叫びには、人の声も混じっていた。

「おお、ペール殿、ライナー、助けてくれ!」

「……この期に及んで、まだ戯言を……!」


 息をつかせながら、ディグベルクは迫った。

 残った大剣を、握りしめる。

 震える前肢(うで)を踏み台に、(よだれ)にまみれた牙を跨ぐ。

 その鼻先に足を掛け、あふれ出る流血を目がけて、大剣の根元を打ちつけた。


 さらなる絶叫が吹き荒れる。

 カッツェはぶちかますように突進し、石壁に頭を叩きつけた。

 ディグベルクは必死に角を掴み、死を抗った狂奔に振り回される。

 荒れ果てた階段を駆け、踊り場の石壁にぶち当たり、再び階段を転げ落ちる。


 ドスンと、生肉が放り投げられたように、巨体は石床に落ち伏せられた。

 ぐったりと階下へと崩れ倒れたカッツェに、表情はなかった。

 (よだれ)が醜く垂れ、体中が痙攣している。


 ただ、その牙の奥から、人の言葉がもれる。

「我々は、国を、陛下を、強くしようと、救おうと……」


 紅黒い眼が虚空を見つめる。

 ディグベルクは後ろ腰から、研剣【ダイバー】を引き抜いた。

 二本の角、もう片方に刃を当てる。

「獣に救われる国など、聞いたこともない。陛下も、人間も、そんな力に頼らずとも」


 怪物の、その角だけは、粘土のようでも、脂肪のようでもあった。

 ()き斬った短剣に、血しぶきが上がる。

 それもすぐにどろどろと、カッツェは血だまりに沈んでいく。

 海に溺れ行くように、布が糸にほどけるように。

 紅黒い眼が、自らの血に浸り、闇に沈んでいった。


「陛下、どうかご無事で……!」

 ディグベルクは上階を目指した。

 全身の痛みなどないものとし、歩かない脚を歩かせた。


 王の居室へ、その先へ、忠誠のもとへと心身を急かした。


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