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29巨人

 途中には、小部屋があった。


 石壁を伝うと、手が照明に当たる。

 備え付けの火打金はなく、携帯している雷板(ライター)で火を灯した。


 古いランプ獣油だろうか、やや(すす)が立つが、一応の明かりにはなる。

 念入りに壁を照らしていくと、さらに奥へと続く穴がある。

 そしてまた、下への階段を駆けて進んだ。


「陛下、ご無事でしょうか!」

 キルハの声が響くが、入り組んだ壁に阻まれて返事は聞こえない。

 避難用の隠し通路だけあって、だいぶ使うことがなかったのだろう。

 急ぐ呼吸に、埃やカビのにおいが鼻につく。


「キルハ、どこ……?」

 後ろからアキの声が聞こえる。

 いくつか通る小部屋で、抜け道を探しているたびに情けない声は近づく。

 放っておいても追い付いてくるので、無視した。

 この動乱が終われば、少しは聞きたいこともあった。

 どういう経緯で山賊にさらわれたのか。

 あの術、みたいなものは何なのか。

 そして、これからどうするつもりか。


 そのどれもが、今は聞く必要がない。

 なによりも、王の、王家のの無事を思っていた。


 またもやの階段を下っていくと、空気が冷えてきたことに気づいた。

 そして、かすかに声が聞こえる。暗がりの先の明かりも。

「陛下!」


 キルハは呼び叫び、駆け出しを速めた。

 返ってきた声は、女の悲鳴だった。

 恐ろしいものをみたように、身の危険に怯えるように。


 階段の先の、明かりを目指して駆け下りる。

 その大きな、倉庫のように開けた部屋では、避難した人々が集っていた。

 やってきたキルハをよそに、騒がしく慌てふためいている。

 今のは、この侍従の悲鳴だろう。

 そして、副団長と官吏、その先に、王を見つけた。


 王妃、王女も副団長の背に護られ、そして怯えている。


 とりあえずの無事に、息を吐き出した。


「陛下、殿下も、ご無事で!」

「少年、キルハか」

 長剣を握った副団長は、キルハを厳しく睨みつける。

 揺らめく明かりに、その刀身がギラリと光った。


 異様な雰囲気に、キルハの胸が鳴った。

 副団長の長剣は、こちらにも向けられそうな気迫を放っている。

 その殺気にもみえる大半は、ある男へと据えらていた。


 そして、理由を察した。

 副団長は、当然のこと、王を護ろうとしている。

 剣が、警戒が、キルハに向けられても無理はない。

 重臣が、裏切ったのだから。


 その男は、ぽつりと、皆の前に佇んでいた。

 壇上の演説者のように、役者が舞台にでも上がったかのように。

 薄暗がりの中、そのうつむいた表情に陰りが見える。

 そしてその眼は、赤黒く染まっている。


 閉ざされた倉庫の、吹くはずのない生温い風の先。

 黒い、いや、闇そのものが、煙の渦を巻いている。


 やはり、ペール大臣だった。

 騎士団長の読みでは、少なくても三人の反逆者がいる。

 王座の間で捕らえたライナー、獣の怪物と化したカッツェ、そしてこのペール。

 この副団長からすれば、兵士のキルハも疑うのは、王室の護りとして当然だろう。


 そして相手は、おそらく、怪物だ。


 キルハはやや声を落とした。

 王の耳に入れるべきか、迷うことだった。

「副団長、謀反があり、陛下をお護りに参じました」

「そのようだな、それでなぜお前が来る?」

「ディグベルク団長が、賊臣のカッツェと交戦中です」

「カッツェと交戦……団長であれば相手にならぬだろう?」

「それが……」


 おぞましい叫びが、狂気のうなり声が放たれた。


 ペールの太った腹が、さらに、異常なほどに膨れだす。

 のけ反りをこらえるように手足を震わせ、人とは思えない絶叫を絞り出す。

 たるんだ喉は、二つに破れ、新たな顔が生まれてくる。


「陛下、この力を、この姿をぜひともご覧ください!」

 さっきの、カッツェのような、変貌ぶりだ。

 もはや人ではない。

 手足の肉を、関節を骨が突き破る。

 その骨は、みるみるうちに伸びていき、さらに肉は裂ける。

 その肉は、のたうつように骨をおおって、太い手足になる。


 血管からは血が噴き上げ、それを追いかけるように骨肉が、体中が巨大化していく。

 ペールの、怪物の顔は、苦痛を超えて異形のものに変わりきった。

「これが、今の国なのです。これが、危機なのです。血の神の力をもってなら、おわかりでしょう!」


 (せき)を切ったように次々と悲鳴が上がる。

 目の前の醜悪な怪物と、解釈不能な恐怖とを見てしまった声だ。

 部屋中に叫喚が巻き起こる。


「団長も、コレと交戦中です」

「そうか……理解した」

「かなり、危険です。騎士も二人やられました」

「そうか……お前は、陛下とお二人を死ぬ気でお守りしろ」


 キルハと副団長の前にいるのは、巨人の怪物だった。

 ペールもまた、血の神の力とやらで、怪物へと成り果てたのだ。

 それとも、怪物が大臣の皮をかぶっていたのか。


 頭は天井を狭しとこすりつけている。

 額の一本の角が、ようやく届く明かりに、ぬらめいている。

「陛下、お目覚めくださいませ、そのためになら、私めは悪になりますぞ!」


「皆、退避せよ、部屋から出るのだ!」

 王の呼号が上がる。

 侍従たちは、たいまつをランプを放り捨て部屋を飛び出す。

 官吏たちも我先にと駆け出した。


 副団長は長剣に術をかけ、キルハも構える。

 巨人の腕が、なぎ払われたのが見えた。

 一瞬にして、姿が消えた。


 鎧のきしむ音はしただろうか。

 守りの姿勢はとれたのだろうか。

 副団長は吹き飛ばされ、キルハの視界の外まで飛ぶ。

 壁に叩きつけられた音が、強く響いた。

 それがわかった時に、キルハは、手の握りの力が抜けていった。


 自分の心臓の音が、こだまのように鳴った。

 副団長が石壁に叩きつけられた音が、耳に繰り返されるように。

 低く重い音が、幻聴のように耳にこびりついて離れない。


 紅黒い眼が、恐ろしく揺れている。

 天井すれすれに、夜に見上げる星のように。

 獣の怪物と化したカッツェよりも、さらに大きい。

 そして、力強く、恐ろしく速い。


 何なのだ、これは。

 何をしているんだ。

 こんな怪物と戦おうとしているのか。

 キルハは、のどを振り絞った。

「陛下、お逃げください、早く!」


 部屋から通路へと殺到する混乱に、アキが飲まれる。

 逃げ惑う人々をかき分けて、ようやくキルハに追いついた。

 そこには、巨人の姿があった。

 まるで眼前にいるかのような圧迫感が、部屋中を埋めたようにそびえている。

 そして、人々が小さく見える。

 その中にはキルハと、その背中に押されるように、王だろうか、それと二人がたじろいでいる。


「お逃げください、奴には誰も敵いません!」

「ペール、お主なのか、その姿は……」

「お父様!」

 少女が王の腕を引く。

 しかし王は動かず、退かず、巨人に語りかける。

 決して、怯んでいないわけではない。

 呆然としながらも、懸命に事実を受け止めようとしているようだ。


 巨人の紅黒い眼が、王を捉えた。

 天井から、はるか見下ろすように。

 そして耳まで裂けそうな、その口が開く。

 やはり、人と獣の混じった声だった。


「話してわかるものなら、話そうではないか。ペール、わしへの不満がそうさせたのか?」

「不満、話してきました。これまでもずっと、進言を重ねた、ではありませんか」

「しっかりと聞いていたぞ、ペール。お主の提案は、ずっと国を思ってのことばかりだった。枢密院でも、誰からも一目置かれているではないか。これからもその知慮を貸してくれないだろうか」


「そう言って、何度も、何度も、何度も、何度も!」

 巨人が狂ったように地団駄を踏んだ。

 いや、とうに狂っていたのか。

 大きな足が石床を何度も叩きつけ、地鳴りが幾度となく打ち響く。

 壁から天井から、積まれた石が落ちてくる。

 今にも崩れそうに、部屋中が揺れる。

 もはや、誰も立っていられない。


 王は、妻と娘をかばうように肩を寄せ合う。

 そしてペールに、哀れむように、語りかけるように目を向ける。

「ペール、わしは聞くべきことを聞き、受け入れるべきことを受け入れてきた。お主の望まぬことがあれば、わしも残念に思っている!」

「それを信じたい、信じたい、信じたいのです!」


 子供のようだ。

 キルハは、今度は両手をついて泣き崩れた巨人を、駄々をこねる子供のように感じた。

 他の二人の大臣も、王政への不満を言っていたか。

 だが、いくら大層なことを言っていても、弑逆に正義などない。

 しかもこれは、自分の思い通りにいかずに、暴れているだけじゃないか。

 この幼稚さが、謀反の正体だというのか。


「こんなものに……」

 キルハは、剣を握り直した。

 今度はしっかりと、力を込めて。


「こんな奴に、国が蹂躙されていいものか!」


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