26窮地
王城の入り口は、大きな前門がそびえている。
城としては、あまり実用的な造りではないが、これは攻城を仕掛けられたことがないために、特には誰も気に留めていなかった。
そして城下からの、人々の出入りも多い。
貴族や官吏に限らず、城下町の臣民さえ行き来する場合もある。
そのため、入ってすぐに大広間が広がり、休憩所や食堂などもあった。
さすがに夜間の門は、ぶ厚い木の扉で閉じられる。
今夜はさらに、太い鉄の格子が落とされていた。
ただし、侵攻に備えるものではない。
中のものを、城外に出さないためにだ。
「ようやく跳ね橋が上がったか」
「やつら、堀くらい越えるんじゃないですかね。山賊と違って」
軽口を叩くシーマに、ツェンベルクが疲れきった顔で答えた。
「山賊退治に連れて行かなかったことを、根に持っているのか?」
戦鎚【スラッガー】を手に取り、ひしゃげた剣を投げ捨てた。
何本目だろうか、術による武器への反動もあるが、モンスターの硬さのせいでもある。
その皮膚は固く、並みの剣では歯が立たない。
クロスボウすら致命傷にはならず、狙い損ねると余計に怒りに暴れ狂うのだ。
そう思いきや、逆に、粘液をまとったような弾力のあるものも襲い来る。
生き残った兵士たちは皆、体力を消耗しきっていた。
情けないことに、モンスターが湧いて出る直前まで、酒を飲み酔いつぶれている兵士たちもいる。
石床に伏している者は、生きているのか、死んでいるのか、酔いつぶれているのかわからない状態を見遣った。
その者にも容赦なくモンスターは襲い、動ける者が囲って仕留めるしかなかった。
ただ血のしぶきが、蹂躙を物語っていた。
「あいつに、キルハにいいところを持っていかれたな!」
ツェンベルクは戦鎚を振り下ろす。
四角い果実のような柄頭が、重い音を放った。
腕を広げて滑空して襲い来るモンスターを直撃し、ドサリと床に落下した。
この戦鎚【スラッガー】なら、多少の損壊があっても叩くぶんには使える。
「まったくですよ。あいつ女まで連れてやがった」
シーマの長槍がとどめを刺した。
槍を逆手に突き下ろし、紫蟲術の雷がモンスターを襲う。
いくらか痙攣を起こし、流れ出る血に、その身が沈んで消えていった。
この長槍も何本目か、果てた兵士の物だ。
あと何匹、残っているのか。
「あいつが女、何だ?」
「さあ、何ですかね!」
いくらかは、確実に仕留めた。自らの血だまりに沈んで消えたのだ。
だが、モンスターのほとんどは、驚異的に皮膚や骨肉が硬く、刃をなかなか通さない。
その爪は剣より鋭く、牙角は槍よりも尖る。
異質なものも多く、乱戦では対処に混乱した。
ため息混じりに、二人の見据えた先。そこには、ひとまずの蹂躙を終えたモンスターが、赤い眼を点々と光らせていた。
本当に、あと何匹いるのだろうか。
「……数えますか?」
「いや、気が遠くなる……」
歴戦の兵士であるツェンベルクも、これには窮地を感じた。
戦えばいい、それだけならば簡単だ。体が動く限り。
勝てばいい、それは工夫次第だ。頭を使えばいい。
だが、守るということが、何よりも難しいのだ。
モンスターたちは、この一階で狂ったように暴れている。
城外に出すわけにはいかない。
そして、上階にも行かせるわけにもいかない。
あの階段の上には、避難した者や王政に関わる部屋も、そして王座の間もある。
さらにその上の城砦部分には、王族の居館まである。
「おい、わかってるな、行かせるなよ!」
ツェンベルクは大声を張り上げた。
階段前で、迎撃に構える兵士たちに届くように。
並列した隊が、上階への道を固める。
ここは開けた広間だから、まだ戦い方があるのだ。
散開と包囲を繰り返し、兵を減らしながらも隙をついては攻撃できる。
しかし上階の狭い通路で暴れられると、近づくことも困難になる。
尋常でない俊敏さと、怪力を振るうモンスターに、少人数で挑まねばならない。
恐怖も、疲労すらも見せない相手にだ。
騎士団もいるとはいえ、待ち構えているところに飛び掛かられでもしたら、一気に崩れるだろう。
なにより、これ以上の侵攻は、王室の権威をも脅かす。
ツェンベルクは胸の内に、城外と上階とを天秤に掛けていた。
「どっちを守ればいいんですかね」
ツェンベルクの胸中を読んだように、シーマが軽口を叩いた。
しかし口調とは裏腹に、いつもの飄々とした顔はない。
恨めしそうにモンスターを睨みつけ、長身の肩が呼吸を打つ。
体力を温存するために、長槍の穂先を下げていた。
「どちらを守りたいかくらいは、聞いておこう」
「そりゃあ深窓の姫君、と言いたいんですがね。あいにく俺は雇われ兵でして、放浪旅が俺の国なんですよ」
「戦場の身の上話は聞かんぞ。縁起が悪いからな」
焦らされるように、モンスターが階段へ、そして前門へと分かれる。
何匹かは、手負いのモンスターもいるが、紅い眼の光は決して衰えてはいない。
にじり寄る紅い眼に、それぞれが武器を、覚悟を構えた。
そして一匹が、ツェンベルクに飛び掛かる。
異・猛臨だ。
戦鎚【スラッガー】の打ち下ろしを横にかわし、そのまま壁へ飛ぶ。
シーマの長槍が追い打ちをかけるが、穂先は石壁を打った。
異・猛臨は、石壁を俊敏に走り回って避け続ける。
四本の足が縦横無尽に動き、そして再びツェンベルクに飛びついた。
その口は体躯以上に、人ひとりを飲み込むほどに広がって降ってくる。
翠竜の術がうなりを上げた。
竜巻風が異・猛臨の口を揺らし、動きを緩める。
すかさず戦鎚が、その頬を狙う。
重い柄頭が当たった。
しかし滑るように、その皮膚をヌルリとすり抜ける。
シーマの長槍が突きを放つ。
異・猛臨の上顎へと、大きな口の中から貫通した。
そして穂先は折れ、残った柄を返し、のけ反った赤い腹へと、石突きの打撃を加える。
しかしそれも皮膚でぬめり、確かな威力にはならない。
異・猛臨は甲高く怒りの声を上げ、尻尾を暴れさせる。
痛打を受けながらも、ツェンベルクは前肢を掴みこんだ。
乱撃をこらえながら、戦鎚が掴んだ前肢に叩きつけられる。
前肢は潰され、鍋底を打ち鳴らすような絶叫で、のたうち回る。
ツェンベルクは、腰の短剣を、逆手に当て払い、その掴んだ前肢を断ち切った。
翠竜術で切れ味を増した風の刃だ。
「触れるのも危険か」
「年季の入った色男が台無しですね」
ツェンベルクの、異・猛臨に触れた肌はひどくただれていた。
指先の痺れが、持ち上げた戦鎚をゴトリと落とす。
うるさく転がった異・猛臨は、体勢を戻す。
手負いのモンスターにして、その紅い眼はなおも妖しく光る。
シーマは横たわった兵士の、まだ息はあるようだが、鞘から長剣を引き抜いた。
異・猛臨の離れた前肢を、もがいて暴れる肢を、踵で蹴り飛ばす。
疲労を、そして苛立ちをぶつけるようでもあった。
モンスターというのは、いい加減うんざりするほどに、異様な生き物だ。
その前肢の持ち主の、断ち切られたはずの肢が、生えてきた。
粘液のようなものが飛び散り、新しい前肢は、網で揚げられた魚のようにビチビチと激しく動いている。
そして再び石壁に走ると、全肢を跳ね返す。
抜け目のないほど俊敏に、大口を広げて飛び降ってくる。
ツェンベルクは戦鎚を握り、力を込めた。
長剣を突こうと構える、そのシーマの狙いに応えたのだ。
「頼んますよ、兵士長」
「今日で引退かもしれんがな。ああ、長い兵士人生だった」
「身の上話は聞きませんよ?」
「終わったらたっぷり聞かせてやるさ」
戦鎚【スラッガー】がうねりを放つ。
握りの利かない手を押し込むように、歯を食いしばっての一撃だった。
渾身の翠竜の疾風が渦を巻く。
異・猛臨の生々しい口の中が、旋風に荒れ狂う。
大口の中に空気の渦が巻き起こり、より膨み広がった。
戦鎚は術に耐えきれずに柄が曲がり、弾き飛ばされる。
ツェンベルクの腕も、ギシリと悲鳴を上げた。
そして、開いたまま動きの止まる大口を、シーマは狙いすます。
紫蟲の電光が身体中に走り、疾駆の踏み込みを晒した。
瞬く間に身体が、長剣が、粘っこい口腔内に突き込まれた。
異・猛臨は絶叫にのけ反り、口からは粘液が吐き出される。
半身を飲まれたシーマは、全霊を込めて術に集中する。
空気の渦が膜を張り、粘膜から身を守っていた。
赤い模様の腹が、悲鳴を上げる。
そして、その腹の中から、激しい放電が繰り出された。
身体の内側から、落雷に遭ったように、電光は刃のように散る。
異・猛臨の肢体が裂かれ、粘液は弾け、血が肉が散った。
なおもそれぞの肢体が、ビクビクとうごめいている。
胴だった部分から、血の海が広がる。
そして異・猛臨は、血だまりに沈んでいった。
小刻みな痙攣をしながら、息絶えたのだ。
「ああ、老体にこたえる」
ツェンベルクは腰を落とした。
手持ちになりそうな武器はもうない。
身体への損害も疲労もある。
シーマは血しぶきを受け、血だまりから這いずって出てきた。
黒焦げになった長剣は、ボロボロと朽ち果てる。
いつの間にか、長剣は三本も手にしていた。
「鉄の剣一本だと、この放電には耐えられないですからね」
「どこからくすねた物だ。そっちの才能のほうがあるんじゃないのか?」
ツェンベルクは笑いだす。
伊達男が台無しだと、シーマは顔の体液を拭う。
ともかく、モンスターどもに一太刀浴びせたことに一時の鬨の声を合わせた。
そして、目つきを戻す。
立ち上がり、再び残ったモンスターを睨み据える。
まだ、幾多の紅い眼は、こちらを狙っているのだ。
「こんなのが、あと……」
「命が十個分くらいだな」