25奉仕
王城の一階、大広間にあたるここは、普段は多くの人の出入りがあった。
領地貴族や各府に仕える官吏、兵士や商人、一部は平民までもだ。
新しく増築されたこの城は、王の意向の表れでもあった。
広く官民に開かれた王政を目指していたからだ。
産業の多くが交易に関わるバンズクラフトで、自由に商売ができることは強みでもあった。
城下町は賑わい、拡大していった。
そんな臣民からの信望を集めたのが現王である。
さらに期待を集めるべく、王政は民よりのものになった。
そして身分を問わず王政に採用し、才覚のある者が登用される。
邪推を廻らすならば、それは王威の弱まりともいえた。
交易で富を築いた貴族や商人が、幅を利かせて王政にも関わってくる。
専門化された府行政が、王室も把握しきれない執務を任されていく。
議会や枢密院でも、王室は決定を聞く程度になっていた。
そして王室の威光の先は、平民の支持に向かったのだ。
さらに言うならば、逃げ場ともいえた。
しかしながら、治世は繁栄へ進む。
バンズクラフト王は、英王として周辺国に名を馳せている。
連盟諸国の中では小国でありながら、連盟主のロワールにも強気でいられた。
表向きは、だが。
何であれ、現王のこの施政が、一枚岩の統治とは違って如何とも崩れ難いものになっていた。
あるべくというよりも、なくては困る君臨の仕方だった。
「そう、なくてはならないの。誰にとっても、こんなことは望まれない」
そのメイドにも、これが国難であることは一目瞭然だった。
まだ王城に仕えて日は浅いが、様々な悪いうわさは耳にする。
そして、幸か不幸か、それを理解できる程度の教育は受けていた。
しかし、実際に動乱を起こす者がいるとは、と目を疑った。
政治のことを勘ぐるのは応分ではないが、これではただの蹂躙だ。
「本当に、大臣閣下の仕業なの?」
「知らん」
三本角の小悪魔は、腹の中にいる。
もちろん姿は見えないのだが、あの憎たらしい表情が目に浮かんだ。
「もうあなたには聞かないわ。いい加減な答えばっかり」
「俺は嘘をついたことはないぜ」
メイドは裏庭から城内へと入り、陰から様子を伺っていた。
おびただしい血の跡、これはモンスターのものだろうか。
その周りにも流血の跡、これは兵士のものなのか。
城内のあちこちから、怒号やうなり声が聞こえる。
耳をつんざく咆哮に、苦痛の叫びもだ。
不本意ながらも、小悪魔に聞いてみた。
「あなたの力で、何とかできない?」
「何とかって何だ」
「モンスターを撃退するのよ。あなたは、血の神の息子なんでしょう?」
「ああ、俺は血の神の三男坊さ。そして愚問の願いを叶えた」
「私の願いは、どうでもいいの。努力すれば叶うことなんだから。それよりも今は、王城を何とかしないと」
メイドの願いは、王女の役に立ちたいというものだった。
今でも、何が気に入られたのか、ときどき王女に呼ばれては、身のお世話の助手や、裁縫の手ほどきをしているのだ。
このまま努力を続ければ、それが王女の役に立っているということなのだろう。
つまりメイドの願いはすでに叶えられている。
わざわざ、この小難しい小悪魔の力なんて必要ないのだ。
「同じモンスターでしょう。鎮めたり、討ち取ったりできないの?」
「おい愚問、俺は神族だ。モンスターと一緒にするな」
「もういいわ、あなたには頼らない。何を言っているのかわからないんだもの」
そう言ったものの、当然のこと自分にできることはない。
せいぜい怪我人の介抱くらいか。
モンスターの暴れ回る状況では、それすらも危うい状況だ。
スフィーダ王女は無事なのだろうか。
駆け回るモンスターが目に入り、壁に身を隠した。
照明の陰からは、大柄の男を、上も横も越える姿が見えた。
獣のような姿だが、その異形さが恐ろしい。
遠雷の轟くようなうなり声、たっぷりと筋肉のついた足は石床を軋ませ、その体躯ほどの巨大な尻尾をどっしりと振り歩く。
確か、死・毬巣というモンスターだ。
武器を持った兵士に、死・毬巣の紅い眼が向けられた。
そして轟音に重ね突進し、巨大な尻尾が大槌のように舞う。
しま模様の体毛がうねり、なすすべもなく兵士は、その尻尾に潰された。
悲鳴もむなしく、メイドは耳を覆った。
「王女が心配だわ、逃げおおせていらっしゃればいいけど……」
小悪魔が、腹の中で嘲り笑う。
「おい愚問、俺には愚問が何を言っているのかわからないんだぜ。その、何とかって王女の役に立ちたいんだろう?」
「あなたの言葉は聞かないわ」
「こそこそしてないで、やつらを倒せばいいじゃないか」
腹の中が動き、モンスターを指さしたような感触がした。
「できればね。私はただのメイドなの。愚問さん」
「そのただのメイドに、力をやったんだがな」
メイドは、ふう、とため息をついた。
この小悪魔の言いたいことが、何となくわかってきた。
自分のできること、それが与えた力だというのだ。
「はいはい。私はメイドとして、できる願いを叶えるわ、自分の力で。つまりあなたは必要ない。だって、私のできないことは叶えられないんでしょう?」
腹の中で、手を打った音がした。
気味が悪くて、エプロンの上からでも掻きむしりたかった。
「ああ、そうか。武器だな。何か持ってないか?」
馬鹿馬鹿しくて、呆れてきた。
小悪魔とのやり取りは、はたから見たらくだらない一人芝居だ。
メイドはポケットから、ソムリエナイフと、編みかぎ針を取り出した。
「ええ、いい武器ね。これで王女のお役に立てるわ。ワインの栓を開けたり、編み物を教えてさしあげたり。あなたの偉大なる力のおかげでね」
「ああ、いい武器だな。愚問の望みを叶える武器だ。戦うにはちょうどいい」
悪夢に幻覚まで見ているのかと、目を疑った。
手に握ったそれらが、ソムリエナイフと編みかぎ針が、水のように、粘土のように、動き出したのだ。
それは手にずっしりと、しかしそう重くはない。
「忌まわしい氷の神、名前は忘れたな。そいつが持っていた、聖剣だ。ガランサスといったか。もちろんニセモノだがな」
粘土細工が勝手に動くように、それらは形になった。
ひとつは、美しく白い鏡のような剣に。
「そして我が血の神、ロゼウスの魔剣、リリウムだ。これももちろんニセモノだ。本物が欲しければ、俺の親父に頼むんだな。まあ、その時は俺は逃げるが」
そしてもうひとつは、美しくも怪しげな、黒く斑点をもつ剣に。
ソムリエナイフと編みかぎ針が、二対の剣になったのだ。
「偽剣だが、愚問にはちょうどいいだろう。ストゥルと呼んで使え。それと鞘はプレゼントだ」
「待って、私は剣なんて持ったこともないの!」
その声でも嗅ぎつけたのだろうか、近くで兵士を貪っていたモンスター、死・毬巣がメイドに気づいた。
紅い眼が向けられる。
「戦うのも無理だわ。使い方もわからない!」
「そいつで、役に立ちたいんだろう?」
死・毬巣が重心を低くする。
巨体を構え、一気に突っ込む姿勢だ。
瞬間、その体躯は飛び掛かる。
巨大な尻尾がメイドを襲う。
不気味なしま模様が目に入った時、鮮血が飛び散った。
「役に立つ力を、やったんだぜ?」
腹の中の小悪魔がせせら笑う。
偽剣【ガランサス・ストゥル】を右手に。
偽剣【リリウム・ストゥル】を左手に。
「もう、あなたの言葉なんて聞かないわ」
メイドは、その二本の剣に滴る血に、呆れてため息をついた。
早く平穏を取り戻して、王女の無事を確かめよう。
また裁縫の手ほどきに呼ばれたら、よろこんで馳せ参じよう。
どんな雑用でも、スフィーダ王女のためなら、誠意をもって働こう。
死・毬巣は自らの血だまりに、深く沈んでいた。