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23勇気

 アキには区別がつかなかった。


 この階段にそびえる怪物と、階下にいるモンスターの違いが。

 ただ、どちらも恐ろしく暴力的だと、そういった程度の捉え方だった。

 自分が襲われたなら、その力量を比べてどうかなど、関係のないことだからだ。

 戦いを知らない少女にとっては、あらゆる力の前には、ただの弱者になるだけなのだ。


 アキは、メリデュナス山脈の峰のひとつ、その山間にある小さな村で(はた)を織っていた。

 ただひたすら毎日、日付というものを知らぬほどに働かされていた。


 この村のヘンプ彩布という生地の衣服は高く売れた。

 主に貴族にとって、その上質な布地と細やかな刺繍が、財をひけらかすものだった。


 年端のいかない少女にとって、外の世界は憧れでもあった。

 仕事の合間に読む本が、さらにそうさせた。


 山間には捨て子を交換して渡る山者がいた。

 人手の少ない村では子供を買い、余れば売ってオーラム金貨にするのだ。

 そうして村々を往来する山者に、アキもそうやって連れて来られた。


 だからこそ、村人にとってはただの労働力だった。

 いつか子を産ませる程度にしか思われていなかった。


 初めて村を出たのは、そのヘンプ彩布の密輸だった。

 より高く売ろうと、それだけの理由で、危険な山間に出されたのだ。

 結果、山賊にさらわれ、城下では捕らわれることになるのだが。


 アキにとってはこれが村の外の世界とは思っていなかった。

 もっと理想の土地があるはずだと、期待できる幸福があるのだと、本は教えてくれた。

 だから耐えることにした。

 我慢を続ければ、苦痛の分だけ、報われるものだと。

 ページを開いていけば、いつか救われるものだと。


 そして、それまでに命を落とすのは、こでまでの希望を捨てる行為だと。

 希望を諦めないためにも、動かなければならない。


 救いを求めるなら、生きなければならない。


 懸命に、精一杯、できることをすべきだと。


 この先の上階は明るい。

 オリウム灯油が、古びた石壁や床を照らしている。


 それを遮り、怪物が立ちふさがる。

 今日、これまでに襲ってきたモンスターは、どれも恐ろしかった。

 目に入る惨状は、生々しく血を流していた。


 それに果敢に立ち向かうキルハと、大柄の騎士団長とが目に映る。

 彼らは今まさに、この眼前の危機を理解している。

 しかしアキからすれば、階下のモンスターとこの怪物が、どれくらいの力の差かは及びもつかない。

 及びもつかないから、ここにきて新しい恐怖に塗り替えられることもなかった。


 それが良かったのか。


「キルハ、上階に走れ」

「団長、俺も戦いますよ、戦えます!」

「その少女も連れて、どこかの部屋にでも入れておけ」

「団長!」

「我々の義は戦うことではない、陛下をお護りすることだ!」


 はっと我に返ったキルハに、ディグベルクは背中越しに告げる。

「王の居室に書架がある。一番下の本だ」

「……わかりました」


 キルハは階段の先、王室の居館を見据える。

 優先すべきは、何よりも王族の保護なのだ。

 弑逆を企てる者が、今まさに、王の傍らにいるかもしれないのだ。


 だが、この眼前の怪物を抜けることができるだろうか。

 残虐を体躯にした獣、通商大臣の変わりようが、行く手を阻んでいる。

 恐ろしくも二本の角が、紅黒い眼光が、こちらを見据えて離さない。

 怪物の牙から言葉が、うなり声が放られる。

「行かせぬ。陛下と、ペール大臣は、この国、造る!」


「行け!」

 キルハが隙を探る前に、ディグベルクの大剣がうなりを上げた。


 この大剣ならば、怪物の巨腕も断ち切れるだろうか。

 その振りは重く素早く、怪物を捉えた。

 岩の砕きを思わせる衝撃が放たれる。

 怪物の太く鋭い爪を打ち、さらに押し切ろうとする。


 キルハは威圧にたじろいだ。

 その気迫のぶつかり合いに、圧倒されていた。


「キルハ、行こう!」

 背中を押したのは、アキだった。


 アキにとっては、どれもが恐ろしい。どれもが敵わない。

 この状況すら、ろくに把握できていない。

 ならば、考えることはないのだ。


 行く道があるなら、憶し方を選ぶ必要はないのだ。

 行く道を前に、憶する必要もないのだ。


「少年騎士よ、失望させるな!」

 ディグベルクの激に、覚悟を思い出した。

 キルハはアキの手を取った。

 身体のすべてに力を込めて、ただ前を見た。

 この先こそ、忠誠の道なのだと。


 そして、力強く踏み出した。

 どんな剛腕が振るわれようとも、耐えてみせる。

 前方に剣を構えて、階段を駆け上がる。

 カッツェの、獣の後肢(あし)が、その爪が、石床を掴む。


「行かせぬ!」

「足か!」

 キルハは行く先、蹴りの衝撃に備えた。


 違う。

 地下牢でモンスターと対峙した時は、違った。


「伏せろ」

 キルハは、アキの身を押さえこんだ。

 身を低くした頭上を、衝撃がかすめた。

 怪物の尻尾がなぎ払われたのだった。


 身を起こし、さらに駆け出す。

 アキの手を引き、ただ見つめる先は、忠誠のもとだ。


「行かせぬと、言った!」

 なおもカッツェは咆哮を浴びせ、前肢(うで)を振り立てる。

 隆々とした筋肉の、両腕が盛り上がった。

 ディグベルクの大剣は弾かれ、その巨腕が下ろされる。


「振り向くな、突っ込め!」

 ディグベルクの大剣から、炎が噴き出る。

 朱鳥(フラマ)の術をまとわせた一撃が、その巨腕に向かう。

 大剣は落雷のように衝突し、猛攻が炎の壁を放つ。

 熱波が、衝撃が、すべてを包んだ。


 キルハは炎に立ち向かう。

 片手に剣を、もう片手にアキの手を引く。

 怪物に、その炎の埋もれに恐れることなく、その足を踏み込む。


 この男たちにとって、希望とは切り開くものなのだ。

 期待して待っているものとは違う。

 自らの信念を貫くことなのだ。


 だから、常にその手の中にある。

 希望は耐えていればやってくると、そう思っていた自分とは違う。


 いつだって、勇気は持てるものなのだ。


 希望は、常に生み出せるものなのだ。


 この手にある限り、怯むことは何もない。


 今はただ、前に進めばいいのだ。


 炎の向こうから、怪物の影が迫る。

 牙か、爪か、尻尾か、燃え広がる炎熱が行く手を阻む。


 片手はキルハの手を握り、もう片方の手は、行く先に伸ばされた。


 その蹂躙を、炎の壁を、打ち払ったのは、ひとつの光だった。


「ガランサス!」


 アキの掌が輝く。

 少女の華奢な手から、光の枝が広がる。


 そして、刃のような光の筋が、一条の道を貫く。

 突き出した光は、煌々と白く輝き、氷の鏡のように美しかった。


 輝きは雪を割るように、炎の壁に穴を(ひら)く。

 その先に、虚を衝かれた怪物が、その光に、巨腕に穴をえぐられた怪物が、立ちすくんでいる。


 誰もが説明できないことだった。

 その本人のアキですらも。

 しかし、その必要はなかった。

「抜けるそ!」

「うん!」


 キルハとアキは、炎の渦を走り、怪物の脇を抜けた。

 階段を駆け上がり、振り向くこともなく、ひたすら王のもとへと走る。


 炎は消え、ディグベルクとカッツェが残った。


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