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22獣

「変事の際は、居室から裏手へ抜ける手筈になっている」


 キルハは、騎士団長の背を浴びて駆けていく。

 見惚れている状況でもないのだが、つい目が行ってしまう。

 眩しいほどに輝く銀装飾の鎧。

 その背に、国章の角笛のマントが重厚にはためく。

 この大柄の、それでいて端正な風貌にこそ相応しいディグベルクの姿だ。


「おそらく財務大臣、それともうひとりいるはずだ」

「見つけ次第すぐに捕らえますか?」

「まずは陛下たちの護衛だ。副団長が勘づけば良いのだが……。裏手からも回らせろ」

「待機の班に知らせます」

 騎士たちはさらに分かれ、王族の住まう居館へと、裏手へと向かった。


 隠し通路で退避した王たち、その中に反逆者が潜んでいる疑いが強いのだ。

 王城にモンスターをけしかけ、混乱に乗じて簒奪(さんだつ)でも画策しているのか。


 人外のモンスターも恐ろしいが、人間にもまた別の恐ろしさがある。

 信望もあっただろう通商大臣のライナーが、今は狂い、逆臣となったように。

 キルハは焦りと、歯がゆさのようなものを感じていた。


「何でお前まで来るんだよ!」

「だって、行く所がないんだもの」

 その後ろをふらふらと走ってついて来る少女にもまた、面倒だと思った。

 牢から連れてきたのは自分の責任だが、城内はモンスターがはびこっている。

 怪我でもされると居心地も悪そうだ。

 どこかの部屋にでもぶち込んで隠しておこうかと考えた時、団長の足が止まった。


「皆さんお急ぎのようですな」

 王室の住まう居館へと上がる階段、そこに待ち構える姿があった。


「陛下はすでに、皆と参りましたぞ」

「……カッツェ閣下。ペール大臣はどちらでしょうか」

 ディグベルクは静かに問いただす。

 いつものように沈着に、しかしその声には重量が乗っていた。


「謀反を企てた者がおります」

「ペール大臣ですか。ならばお気づきですね、陛下と共におられますよ」

 この階段の先に、すぐ居館がある。

 そして王の自室から、安全な城の裏へと下る通路がある。


 ディグベルクは、睨みをきかせながら階段に足を掛けた。

 そしてカッツェが、階段の上に、その先を塞ぐように立った。


「ペール殿を尋ねるのなら、もうおわかりでしょう。邪魔をされても困るのです。陛下を説得してもらわねばなりませんから。そして陛下は、この国を造り直すのですよ」

「戯言はあとで聞きましょう。王家への侵害を謀るなら、捕らえるか、斬るか致します」

「陛下に侵害を加えるなどと、それではまるで弑逆ではありませんか!」

「そう言っている!」


 カッツェの品の良い白髪を、その眼の妖しさが、かき分けていく。

 その両眼は妖しく、モンスターのものよりも紅黒く染まっていた。

 顔つきが険しく変わっていき、それは最早、表情とは呼べないものになっていく。


 ディグベルクは歩みをやめ、大剣を構えた。

 騎士たちも、剣と長槍とを据え構える。

 キルハも、ただならぬ気配にアキをかばうように前に出た。


 白髪はうねりながら、馬のたてがみのように伸びていく。

 そして、肉が骨が、その身体を破った。

 元の身体は血を噴き出し、(こぶ)のように巨大に膨らんでいく。


 品のあった衣服は散り破れ、瘤から爪が牙が鋭く伸びていく。

 豹変、というよりも、人の成れの果てだった。

 さなぎから蝶へ羽化するように、まったく元の造形をなくしていた。

「おお、血の神よ。あなたはこの老体に、恵みをくださる」


 その額に二本の角が、凶悪の象徴とするように生える。


 筋骨隆々とした獣だった。

 全身が、狼のような、虎のような、怪物の姿へと変わった。

 残忍な牙が何本も、上へ下へのつららのように鋭く走り、(よだれ)をたらす。

 紅黒い眼が、険しく妖しく揺らめく。

 それは、まさにモンスターの姿だった。

 いや、キルハの知る図鑑には載っていない。

 モンスターとはまた違う、別の生き物のようでもあった。

「化け物め!」


 カッツェの、その怪物の咆哮に戦慄が走った。

 空気を痺れさせ、騎士をも怯まし、剣先を震えさせる雄叫びだった。

 耳にするだけで意識がくらみそうな重圧があった。


 その紅黒い眼の睨みに、狂気に、我を忘れた騎士が踏み込んだ。

 斬りかかる騎士に、その怪物の腕がうなりを上げた。


 階段を横に断つように、端から端までもなぎ払う爪が、石壁を穿つ。

 斬りかかった騎士はどこか。

 その剛腕に耐えることもできずに、後方の石積みの壁まで吹き飛んでいた。

 鉄の鎧の板はひしゃげ、着込んだチェインメイルをも砕いている。

 どこまで身をえぐられたのか、仰向けの騎士の呼吸に合わせて、血が躍り噴いている。


 もうひとりの騎士が長槍を構え、間合いをはかる。

 勢いよく放った突きは、隆々とした皮膚で止まった。

 それは、岩を針で刺した程度だろうか、騎士のほうが反動に身を退いた。

「私は国の発展を望んでいるのだよ。バンズクラフトはいずれ荒廃を、腐敗を辿る!」

 

 カッツェは、怒声を浴びせながら何度も突きを打っている騎士を、冷たく見据える。


「ペール殿は、この国の希望なのだ。害するならば、お前らこそ逆賊だと言えるぞ」

 耳から腹にまで響く獣の声が、人の言葉を放つ。

 その獣は、怪物は、階下を蹂躙しているどのモンスターよりも強圧があった。

 残忍なまでに硬く盛り上がった筋肉は、腕は巨木に岩が生えたように、地を擦る足は、鉄塊のように強固なのだ。

 なにより恐ろしいのは、壇上を塞ぐように泰然と待ち構える立ち居だった。

 上階を遮り、占拠でもするように、こちらの行く手を阻んでいる。

 見境なく喰い狂うモンスターとは違い、こういった我執をもった獣こそ、より脅威なのだ。


 ただ一歩の威圧が、長槍の騎士を襲う。

 顔を近づけただけ、とも見えたカッツェの牙が、騎士を突き飛ばす。

 一瞬だった。

 階段を中空に、そして踊り場の壁へと吹き飛ぶ。

 石積に叩きつけられ、床へと、投げ捨てられた藁人形のように落下した。

 連日の訓練を積んでいる騎士がだ。

 どんな鎧であれば防げただろうか、鉄の板は粘土のようにねじ曲がり、ガタリと鳴り崩れた。


 カッツェは、額に生えた二本の角を、残酷なまでにぬらめかす。

 尖った牙をしゃくりあげて、天井を仰ぎ、人と獣の入り混じった声で吠える。

「国というものは、この牙のように、この身体のように、強くあってこそ存続するものなのだよ!」


 たまらずキルハは、剣を、足腰を低く構えた。

「そのために騎士団が、兵士団がいるじゃないか!」


 恐れも、怒りもあった。

 その紅黒い眼に全神経を注いだ。

 いつ来るか、その一撃で人を屠るほどの襲撃が。


 恐怖が汗に変わり(あご)を垂れる。

 手に馴染んでいるはずの剣が、重く感じた。


「陛下は牙を取り戻さねば、ならぬ。そして、この国を強く、正しく、導くのだよ……!」

「何を言っているんだ、こいつは。怪物が陛下に成り代わる気か!」

 カッツェの咆哮は、段々と獣の色が濃くなっている。

 言葉も呂律が回らなくなってきているようだ。

 その足が、もう後ろ足と呼んだほうがいいだろう、床を蹴って掻いている。

 太く鋭い爪は、石床をがっちりと掴み震えている。

 鉄をも穿つ牙からは、生々しい(よだれ)が垂れていく。


「陛下を、国を、強く、強く!」

 もはや狂気そのものだった。

 暴力の体現であった。

 畏怖が実体を凌駕して、その体躯をより巨大に見せる。

 荒々しく白毛が逆立ち、なおも筋肉が盛り上がる。

 どの獣よりも猛々しく、暴力の嵐のように吠え狂う。

 紅黒い眼光は狂気を振り撒き、その暴虐さを剥き出しに放っている。


 この獣に誰が怯まずにいられるだろうか。

 この怪物に誰が立ち向かえるというのか。

 この紅黒い眼を前に、誰が歩を出せるというのか。


 その場に、ひとりだけいた。


「キルハ。戯言に耳を貸すな、すでに乱臣だ」

 銀装飾の鎧が、壁の照明に輝く。


 白く明るく照らすオリウム灯油の光は、古い石壁を歴史深く映している。

 そして、伝統と格式をもったバンズクラフト王城、その王家に仕える騎士を映す。


 角笛の紋章がはためく。

 黒くなびく長髪は揺れ進む。


 その胸には、銀の獅子が、その牙が、勇ましく誇りを咥えている。

 騎士団長の証である、銀の勲章(メダリオン)とともに光沢を奏でている。


 キルハとアキは、その瞳にしっかりと映していた。

 躊躇うことなく忠勇を踏み出す、ディグベルクの姿を。

 怪物の恐怖をも凌駕する、その勇敢な闘志を。


 身の丈ほどの大剣が、すべてを断ち切るように構えられた。


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