2討伐隊
キルハは風を生温く感じていた。
それは生きていた者の、まとわりつくような匂いのようだった。
白日の下に晒された惨劇に、暗然とした思いでまぶたを閉じる。
息を潜めて、奴らが生業を終えるのを待っていた。
「行ったか」
ツェンベルクの目くばせに、黒狼の術士が奴らの後を追う。
術士は短剣を引き抜くと、足元から草木が生えて、瞬く間に自身の体中を包んだ。
土の術で草木をまとった塊が、わずかに音を立てて山道へと消えた。
自然物に紛れると、もう姿の見分けはつかなくなる。
キルハは、術とはこうも便利なのかと見送ると、班長のツェンベルクの後ろに付いて進む。
低木の茂みをくぐると、枝葉とレザーアーマーとが擦れて音を出した。
思わずかぶりを振った。さっきの断末魔の声のように聞こえたのだ。
二人の兵士は、身を伏せながら崖道を下っていった。
「こうもすべて持っていかれるとはな。これ以外に何も残っていない」
崖下まで下りたツェンベルクは、つま先で蹴るように、地面の鮮血を指した。
まだ温かさの臭ってくる血だまりだ。
ロバと、それを引いていた者の始終を、しっかりと看視していた。
キルハは谷底を見遣って、その顔をそむけた。
「憐れむなよ。死ぬはずだった罪人だ」
「わかっていますよ」
キルハは釈然としないものを飲み込んで、縦に並んで通れるほどの山道を再び下って行った。
メリデュナス山脈は、バンズクラフトの南の国境でもある。
牧歌的な全貌とはうって変わって、近づくと分け入るのは難しい切り立った崖や、低木のやぶが道を塞ぐ。
だからこそ、ならず者の隠れ場であったり、関所を避ける密輸のルートにも使われていた。
それは法の及ばないことを如実にしている。
先ほどのように、厳密には異なるが、大した用意もなく通る者は、山賊に略奪を受けるだろう。
そうでなくても野生の獣や、化け物であるモンスターは当然にも潜む。
王国はこれを、被害者が被害者なだけにさほど問題視していなかった。
この道を恐れるからこそ、正規の街道が使われて、税収が増える事実もあったからだ。
貴族の中には、山賊から強奪された物品を買い集める者のうわさまであった。
善良な山間の村人が襲われようとも、バンズクラフト王家は長年この腫れ物に触れてはこなかった。
しかしそれを困る貴族もいた。
表向きは王国の秩序をうたいながらも、裏のルートからの密輸品に手を染める者は後を絶たない。
特に金塊や麻薬の闇取引は城下町にも広がり、看過できないものになっていた。
そして皮肉にも、そういった貴族ほど正義の名のもとに権力を増していく。
法と実情、立場と派閥を天秤に掛けた王は、ようやく動き出した。
そうして王命のもとに、今回の討伐隊を出すことになったのだ。
山道を下った先でツェンベルクはもうひとつの班に待機場所を告げると、同じく軽装備の角笛の紋章が動き出した。
二つの班によるバンズクラフト王国の小隊だ。
「大雨になるのだな」
「はい。アルセド神官のお告げに間違いがなければ」
「雨の神か」
ツェンベルクは、ぽつりと始まってきた雨粒を掌に受けた。
雨の神であるアルセドの託宣なら間違いはないと確かめた。
ツェンベルク班は、といっても今は二人だが、それに合流した数人と再び山道を登った。
雨に消される前に、さっきの血だまりを目印に向かうと、それぞれ岩や草の陰に潜んで日没を待った。
キルハは、なぜ自分がこの隊に組み込まれたかの理由を考えていた。
夜目がきくからだけではなく、術を使えなくても構わないからである。
雨の中では火や雷の術は扱いづらい。ならば半端な術よりも、多少は剣の腕が立つほうが役に立つ。
実際この隊は、風の力、翠竜の術を使える兵士がほとんどだった。
キルハのように、剣の腕だけでの専属の兵士は、大陸中でも少ないのではないか。
「難儀な初陣だな」
「やるのみですよ」
「焦ってケガでもするなよ。騎士になりたいんだろう?」
「目指してはいますがね」
ツェンベルクの励ましに、騎士を目指すキルハは苦そうに返した。
剣や馬の扱いなら現役の騎士にも引けは取らない。
しかし術の試験が、決まり事ではないにしても、慣例になっていることに気が重かった。
野犬の遠吠えがこだまする。いや、モンスターだろうか。
山岳は、薄暮とも雨雲ともいえる暗さに覆われていく。
次第と強くなっていく雨がレザーアーマーを打つ。
その音に耳を沈めていると、葉のこすれる気配にうっすらとの術士が現れた。
山賊の後を追っていた、その黒狼の術士はツェンベルクに告げる。
「やはり高台の上です」
「見張りは」
「川にひとり。ですが集落に戻ったようです」
「大雨を待つ。皆に伝えろ」
数日前、谷に倒れていた男が羊飼いに発見された。
その運よく助かったひん死の男は、山賊の棲み処から決死の思いで逃げ切った者だった。
山賊たちは、高台にあった集落を乗っ取って隠れ家にし、街道を避ける裏ルートである山間を通る荷物や人を強奪している。
その男は、隠れ家のおおよそ辺りの情報と引き換えに、密輸の罪を免れた。
もっとも、その密輸していた金塊は奪われており証拠はないのだが。
貨幣をすべてオーラム金貨とした連盟国内で、金塊の密輸は重罪だ。
そして彼は、さらわれた女たちのことは言わなかった。
免罪の取引のために情報を小出しにしていたのだが、その前に釈放されたのだ。
それでもこの情報がなければ、討伐隊を出せずにいた。
この入り組んで連なる山脈の中には、登記のない村落もまだ多いのだ。
村落ひとつを狙って捜すのは至難の業だろう。
この闇夜に星を見つけることくらい難しい。
すでに星月の出ている時刻だろうか、予言通りに大雨となった。
ツェンベルクを小隊長に、それぞれが身につけた光りコケを頼りに山道を登る。
大雨は豪雨に変わり、夜の山脈に稲妻が走る。
枝葉をかき分け、濡れた岩肌を踏みしめて、ときおりの雷光だけが一行の影を浮かばせた。
川を過ぎると草やぶが覆ってはいたが、うっすらと人の踏み跡のようでもあった。
「ここから一本道です」
「ならば都合がいい。逃げ場を塞げるからな」
草木をまとって山賊を尾行した術士を先導に、ツェンベルクは攻め戦に慣れたように、平然とした声を落とした。
隊列の中ほど、四人目に続くキルハは、顔に叩きつけてくる豪雨を拭って気の迷いを落とした。
敵は略奪を重ねる悪人なんだと。
王命に失敗は許されないのだと。
王家に仕える身として正義があるのだと。
先頭の術士が歩みを止めた。
目前には、大ざっぱに草わらの束が立てられていた。
明らかに見せかけの偽装である。
「山賊らしいな」
ツェンベルクが草わらの隙間から目を凝らした。
その暗闇の先に、小さな集落が広がっていた。
「情報通りだな。奇襲を始める」