19騎士団長
夜空にも色があるのだなと、窓際に銀装飾の鎧がたたずむ。
その通りに星々は、眺めるほどにいくつかの色を放っている。
彼女ならば宝石に例えるだろうか、花にたとえるだろうかと、やはり窓の木戸を閉めた。
室内の照明のみが、きらびやかにその鎧を輝かせる。
大柄の男は、宮内府の騎士団長室にいた。
自室にも充てられているが、荒っぽく積まれた石壁はとても古く、とても居住には向いていないように誰もが思えた。
まだ若くして、王家直属の騎士部隊の長が、このような部屋に閉じ込められてと、不憫に思う者もいた。
騎士団長というのは、王国の閣僚に次ぐ序列にあった。
政治への干渉はできないものの、王政の最高機関、その大臣たちを中心とする枢密院の一員でもあり、意見を求められることもある。
ディグベルクにとっては、だからこそ、このような古びた、伝統のある城砦の居住まいを、我が誇りとしていた。
単純に、王室に近い居館の住まいなら、報国に尽力できるだろう。
統治者の剣となり盾となるには、ここが一番だろうと。
その通り、君主の威厳を形にしたように、傍らに居立つだけで存在感のある男でもあった。
「では、例年通りに二手で城下を周り、大通りから王城への行進に致します」
「ああ、編隊については年功で交互に分けよう」
「お任せください。それでは失礼します」
ディグベルクは、深い礼をした男に目配せで仕事の終わりを告げた。
この副団長は相当に鍛えた立派な体格だったが、ディグベルクの前では小柄にも見えた。
さらに鍛え抜かれた身体は、筋肉がしっかりと締まり、かといって厳つい風貌でもない。
流れるような黒い長髪と整った容色は、見惚れるほどの気品までも感じさせた。
副団長から見たら、十ほど年下にかかわらず、素直に従えるほどの色気があった。
副団長の置いた書類を手に取ると、扉が恭しく閉められた。
黒い鉄の枠がギシリと重く響く。
この男は、たまに自分の容姿を眺めまわす癖があるが、騎士としての品格でも見定めているのだろうか。
なんにせよ上に立つ役として格式高く振る舞おうと、なお心掛けた。
だいぶ静かな部屋に、紙のめくる音だけが鳴った。
祭典の進行表はいつも通りで、騎士団が城下町をただ行進するものだ。
最後に王城でバンズクラフト国王が迎える。
古くから町で行われる、山の神への感謝祭の、余興のようなものだ。
これだけのことだが、練り歩く角笛の旗に、街中は歓喜に沸く。
騎士たちにとっても、我が国への誉れと慰労を思うだろう。
それは現王の、民に開かれた王政を目指す、王から民へ与える歓楽であった。
騎士に憧れ、信頼する民は多く、後援者もいる。
間近に騎士隊列を見た民は、それを従える国王へ親愛を向ける。
事実、毎年この祭典の後に、王国兵へ、そして騎士団への志願者は増えるのだ。
ディグベルクは、こういった王の、臣民への配慮を誇らしく思い、胸の内に微笑んだ。
「キルハといったか、騎士への志が高い少年だ。あのような忠義ある兵士がこの国にいることが、陛下の思われる国のあり方を表しているのだな」
そしてその彼よりも少しばかり年下の、王女からの賜りものに目を移す。
その棚には、クマやイヌなどのぬいぐるみが所狭しと並べられていた。
どれも王女のように可愛らしく、童話の絵本の中から出てきたようだ。
それらは、スフィーダ王女が、殺風景なこの部屋を、せめてもと飾ろうとしたものだった。
趣味で作ったもので、実はこの部屋を訪れる口実でもあったわけだが、ディグベルクは手作りのぬいぐるみを渡されるたびに、恭しく受け取っていた。
団長室を訪れる騎士たちからは、どうにもこの団長の風貌に似合わず、幾多の武具すら立ち並ぶこの部屋にも合っていないのだが、さも国宝のように大切にしている騎士団長に、誰も口を出せずにいるのだった。
今夜もまた、そのぬいぐるみがひとつ増えたことに身が引き締まる思いがした。
王女はイヌのぬいぐるみを持って訪れてきた。
そしてここで話し込む王女は、夜勤のメイドが大臣室に呼ばれたとか、城の隠し部屋に財宝が眠っている噂だとかを語る。
特に他愛もない会話だったが、ディグベルクは思慮深く聞いていた。
おそらく、侍従らの勤務の改善や、避難経路の把握、それに加え、徴税以外の歳入に目を向けよ、という指導だろうと、ディグベルクは肝に銘じた。
「だいぶ増えたな。殿下は、サルやネズミを作ったらピクニックをすると仰っていたが、やはり軍事の想定なのだろう」
大きな手で、その手作りのぬいぐるみを慎ましく並べ直した。
これらを駒に据えて、戦術を学べということなのだろう。
王女の身でありながら、すでに国防までもを考えている。
その才知あふれる王女の期待に応えるべく、より一層の忠義を、鎧に刻まれた紋章に手を当てて誓った。
再び扉が鳴った。
今度のそれは騒々しく粗暴な開きであり、ディグベルクは急を察した。
「階下にモンスター出没とのことです!」
「全騎士に出動を伝えよ、兵士団と連携して迎え撃て」
指示としては曖昧だが、猶予のない事態だ。
詳細がないのは、この副団長もまだ把握していないのだろう。
まずは現場に兵力を出して、押さえなければならない。
「騎士団は王室の守りを最優先とする。それ以外の者には避難を呼びかけよ」
ディグベルクは自ら階下へと向かう。
連絡を任せた副団長が、城内を上へ下へと奔走する。
しかし現場、とは、釈然としない。
城内にモンスターなど、ならばどこから攻め込んだというのだ。
城下町からならば、もっと前に知らせが来るだろう。
夜襲とはいえ、裏手の城壁も簡単に侵入できるものではなく、騎士団の警備も厚い。
まだ賊であれば、人間であれば、何らかの知恵を使って忍び込めるのかもしれない。
モンスターというのは見間違いではないかという可能性も頭に入れた。
しかしその考えは、その目に映る光景に覆される。
大広間を見渡せる回廊に足を出すと、一階の広間はすでに戦場であった。
推し量ったよりもずっと残酷だった。
人と思えぬ奇声に、怒号や悲鳴が混じる。
その紅い眼は、異形の姿は、紛れもなくモンスターのものだった。
床に壁に血が塗られ、兵士らが騒乱としてモンスターに向かっている。
剣が振られ、術が飛ぶ。
爪や牙が襲い、噛みちぎられ、苦痛の声がまた上がる。
立ち向かう兵士たちの気負いは、恐怖に飲まれていた。
そして誰かが血を流し、また誰かが倒れ行く。
明らかに王城への蹂躙であり、王威を畏れぬ蛮行ある。
兵士に囲まれたモンスターが暴れ狂う。
我が物顔で駆け回り、怒りに狂った獣のように、丸太のような腕をなぎ払う。
その爪で、怪力で、兵士たちはなすすべもなく吹き飛んだ。
その士気が、木の葉のように容易く踏みつけられる。
さらに咆哮を立て、その巨体が跳ね上がる。
ディグベルクの立つ、二階への階段へと襲いかかる。
ディグベルクは怒りに震えていた。
少しばかりでも、考えの甘かった自分にも憤った。
黒く長い髪が、その場に揺れた。
応剣【ライジング】の一閃だった。
モンスターの、紅い眼と眼が、左右に離れて行く。
雷鳴が空を割るように、その大剣は振るわれた。
縦に裂かれた巨体は、絶叫も立てられずに崩れていく。
分かれた半身に、その血が降って落ちる。
狂ったままのその表情は、斬られたことも気づかなかったようだ。
「我らがバンズクラフトの勇を見せよ!」
その声は、王城に射した一条の光だった。
モンスターは沈んでいく。
鎧の銀装飾が眩しく輝いた。
その胸には、銀の獅子が勲章を咥えている。
持ち主のように、誇り高く、格式高く、堂々と。
その場の、すべての恐怖を打ち消すように。
「敵を討て、蛮行を許すな。ここで侵略を食い止めよ!」
兵士たちの悲鳴はかき消えた。
顔の悲痛は晴れ、士気が、鬨の声に変わる。
立ち向かう心を取り戻したのだ。
皆がその姿を、その声を、胸に焼きつけて奮い立った。