表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/40

18王女

 王城の二階は、謁見の間が広がる。


 元々が起伏の入り組んだ城砦であって、実際ははっきりとした階層ではない。

 ただ建て増されたこの部分はこの限りではなかった。

 開放的に造り変えられた王城の広さは、現王の、臣民に開いた王家の象徴であった。


 惨状は、その王家への冒涜である。

 大広間から、階段を駆け上がる。


 走り抜けてきた王城は、さながら騒乱だった。


 キルハがざっと横目にしたので六、七匹。

 耳に届く叫び声も合わせると十を超えるだろう。


 そのひとつでも、この先に進ませるわけにはいかない。

 モンスターはすでに一階を蹂躙しているのだ。

 せめてこの王座の間は、汚される前に死守しなければならない。


 二つ並んだ王座に、人影があった。


 その影は、王座にその腰を着かせていた。

 悦に浸るようなにやけた笑み、その男に見覚えはあった。

「ああ、いや、違います。血で汚されていないか確かめていたんですよ」


 キルハに気づいたその男は、慌てて王座から立ち上がった。

 キルハの目に険しさが宿る。

 この男は、この騒乱の中に何をしているのだ。

 混乱に乗じて、王座に腰を掛けていたのか。

「閣下。許されることではありませんよ」

「ああ、そうですね、その通りです。愚かでした」


 その男は通商大臣、王領内の経済すべてを取り仕切る長、ライナーだった。


 彼は、確か下級貴族の出自だったか。

 それながら王政の府大臣、枢密院の一員にのし上がったのは、本人の能力と、そして王の裁量によるものだった。

 王は、世襲色の強い官の習慣を破り、実績をもって昇進させた。

 いずれ城下町の自治会も、臣民議院として創り上げようともしているくらいだ。

 この大臣のように、身分を問わず能力さえあれば、王政にも召し上げるのだ。


 そのライナーが不遜を、ということに、煩わしくも思いあぐねた。

 一兵士に過ぎないキルハは、何から片付けばいいのかと眉根を寄せる。

「決して簒奪(さんだつ)だとか、そういうのじゃありません。ほんの少し魔が差しただけです」

「あとで報告します。それより、陛下はどちらでしょうか」


 キルハは、悩みながらも、優先すべきことを心に据えた。

 ライナーのにやけた顔は、なかなかに(しゃく)に障るものだった。


 王城の三階部分、古くは砦として、今は王族の居室が並ぶ。


 星空が美しく、フクロウが鳴き渡る。

 窓を開けるときっと夜風も気持ちがいいだろう。

 しかし今夜は、その星を見るのも忘れていた。

 

 スフィーダは、母方の姓を名乗っていた。

「スフィーダ・セリナ・バンズクラフト」

 そしていずれ来る名前を口にして、がっくりと肩を落とした。

 両親、つまり現バンズクラフト王に、ようやく授かったひとり娘だった。


 王位に就くことは、ある程度の分別がつく歳には理解した。

 そして、そのまま歳が過ぎていくものだと。

 勉学を重ね、王政の跡を継ぐことが、自分の人生を全うすることだと。


 大切に実を育てるように、膨れていった心が、国に捧げるはずの心が、いつしか今にも弾けそうに、胸の内を踊らせている。


 今日の最後の会話が、ディグベルクとのものだったので、そのままベッドに滑り込んだ。

 侍従のメイドが出ていくと、足をばたつかせて枕に顔を(うず)めている。


 なぜかはわからない。まだはっきりと、気持ちを整理できるほどの歳でもなかった。

 まだ周りには、子供扱いもされる歳だった。

 ただひたすら、騎士団長を思い浮かべていた。

「ああ、弟でも生まれたらいいのよ。王領にもいない親族なんて、当てにもならない。王位を継がせて、私は補佐をするの。地方行政官でもいいわ。ディグを近衛にするの」


 柔らかい綿の詰められたベッドは、バタバタと音を立てている。

 スフィーダはシーツの上で転がり、手は宙を掴む。

 くるくると、輪舞曲(ロンド)を踊るように、想像の相手を膨らませた。

「ああ、メイドの話なんてするんじゃなかった。もっと自分のことを話したかったのに」


 それをかき消すように、忙しくノックが鳴った。

 楽しい夢を見ていた最中に起こされた気分だ。

 枕にこもった声が、誰かに聞こえでもしたのかと、遠く離れた扉を見遣る。

「ええ、どうぞ、何かしら」


 息を整えて、姿勢を正す。

 今日最後の会話が、これで塗り替えられるようで残念に思った。

 王女の部屋を訪ねる者は限られていたので、またその侍従が何か用なのかと迎える。

「変事でございます、陛下のお部屋へ」

「そう、わかったわ」


 スフィーダは両手を広げ、侍従が寝間着を解く。

「着替えたばかりなのにね」

「痛み入ります」

 いつもより気持ち手早く、着替えは済ませられた。

 長い衣装をひるがえし、身なりを確かめる。


「変事って?」

「お伝えしてよいものか……」

「仰って」

「副団長は、モンスターだと騒いでおります」

 ふうん、と素っ気なく返し、それ以上考えもしなかった。

 騎士団長ではないのかと。

 ならば知る必要もなく、言われたままに身を隠せばいいのだと、扉へ向かった。


「どうぞ、こちらへ」

 額に汗を浮かべて、息も切れつつの声だ。

 その騎士団の副団長だった。

 いい歳だろうに、走り回った汗が(しわ)から垂れている。

 余程の急を告げることだとわかり、スフィーダは素直に、父親の居住いへと足を速めた。


 この王室の居館は、入り組んだ城砦部分にある。

 古びていながらも、しっかりとした石積みが、歴史を感じさせるものだった。

 建て増されて新しく広がる階下とは造りが異なり、石の作りも骨董品のようにそびえる。

 窓も少ないぶ厚い石積みを、星空は見えるのだろうかと考えながら早歩く。


「殿下、お早く」

「ええ」

 最近取り付けられたオリウム灯油の明かりが、階段の下に伸びていた。

 それは当たり前のことだが、この下は大臣らの執務室だ。

 スフィーダはなぜか気に掛かって、もう一度その下を見遣ったが、副団長に急かされてそれを後にした。


 王の居室には、いくらかの人が退避していた。

 両親である王と王妃に加えて、その侍従や、この時刻まで残っていた官吏らもいる。

 スフィーダの入室に扉が閉まると、王が髭をなでた。

 少しばかりの騒がしさが納まる。

 これが、王が何かを言わんとする癖だったので、皆は静まり言葉を待った。


「少しばかりの、騒動があったそうでな。階下は我が騎士団と兵士団に任せてある」


 誰もが表には出さないが、動揺しているだろう。

 それらを推し量るように、子供にでも語りかけるように、王は皆を見渡した。

 それこそが、現バンズクラフト王の特徴だった。 

「不時の事態だが、大したことにはない。だが万が一に備えて皆を呼んだ。誰もが欠けてはならぬ思いからだ。人こそ、この国の宝だからな」


 王の言葉に、侍従や官吏も、皆が胸をなで下ろしている。

 笑みさえ浮かぶ落ち着きようだ。

 こういう姿こそ国を治める者、官民の上に立つ統治者の姿なのだろうと、スフィーダは目に焼きつけた。

 そして、騎士団長の姿がないか、そっと目で見回したものの、さすがにその姿はなかった。

 スフィーダはその身を案じ、そっと思いを胸にしまった。


「我が王国騎士団に任せれば、案じることはありませんな」

 王の言葉を追うように、一歩を出したのは財務大臣のペールだった。

 同じように、堂々とした振る舞いを並べるように、首を縦に振っている。

 それに合わせて腹についた肉も揺れている。

 彼も王政に仕えて長いが、常に初心改めるように政務にあたっている。

 ゆえに官僚からの信頼も厚く、次期の宰相とまで言われている。


「うむ、その通りだ。だからこそ、我々は邪魔にならぬように、集められたわけだ」

 頬をほころばせた王に、笑い声まで咲き出す。

 副団長は、これに苦笑してもよいものかと、渋そうにしていた。

 気丈に振る舞っていた母親も、緊張がほぐれたようだ。


 だがスフィーダはわずかに引っ掛かるものがあった。

 今期の徴税も終わり、後日にある祭典は、財務府の管轄でもない。

 その府の長が、何の居残りをしていたのか。

 彼は秘書官長も兼ねているが、外交の予定すらしばらくはない。

 居残りまでしてこなす仕事が、何かあっただろうか。

 そもそもペールは、王の自室に招かれて、こうも無遠慮にしている気質だったか。


 そして、メイドがひとりいない。

 新人だがよく気がつくメイドだ。

 裁縫を教えてもらった後、仕事に戻った。

 今日は夜勤だったはず。

 ディグベルクと話し込まなければ、彼女を呼んでお喋りでもしていただろう。


 そのメイドは、財務室に呼ばれた。

 ワイングラスを三つ運ばせたのだ。

 少なくてもあと二人、執務室に残っていた者がいるはずだ。

 だが、ここにいる官吏の中に、大臣室に呼ばれるほどの人物はいない。


 勘ぐりすぎだろうかと、スフィーダは悪い癖をやめた。

 なかなか胸のざわつきは止められない。


「さあ、我が家へ案内しましょう」

 おどけてかしこまる王に、皆が目を向けた。

 そして木製の書架へと視線が移る。


 目一杯にぶ厚い本の詰まった書架が動き出す。

 王は装飾を好まないので、壁には簡単な風景画が描かれていた。

 書架はその壁に沿って、ズルズルと横へと滑っていく。

 そして、隠れていた通路が現れた。


 この部屋には、他のいくらかの部屋にもだが、隠し通路がある。

 昔からの城砦だけあって、隠し部屋や外への逃げ口が多く、そのすべてを知る者はもう存命していないくらいだった。


 若干のどよめきは、隠し通路があったことではなく、王の戯れを盛り上げるものだった。

 この城に仕えるものでも、そうでなくても、隠し部屋の噂くらいはどこにでもあった。

 ただ具体的に発見できたものは少ないのだが。

 この書架のひとつも、どの仕掛けで動いたのかと尋ねる官吏に、王は笑って返すのみだった。


 副団長を先頭に、列を作って階段を下っていく。


 隠し通路は、ごく普通に歩いて通れるほどの広さで、この入り口を見ていなければ、非常用のものなどとは思わないだろうものだった。

 侍従たちはたいまつを持たされ、それのみの明かりが、古い石壁を照らして歩いた。


 列をなした歩みの中、スフィーダは積もっていた猜疑心を口にした。

「お父様、ここにいる者で、すべてなのですか?」

「見回りを出したからな。声のあった者はすべてのはずだ」

「そうですか」

 

 ならやはりお気に入りのメイドは、その変事とやらに巻き込まれたのだろうか。

 スフィーダは胸の潰れる思いがした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ