15檻
たいまつの炎が揺れる。
地下の石壁を、その崩れた先を、届かない手を伸ばすように、ゆっくりと照らす。
キルハはその少女と、崩れた壁の先にあった通路を歩いていた。
地下牢に現れたモンスターが、壊した、そして出てきた壁の奥だ。
「妙な真似はするなよ、しないでくれ」
「しません。しませんし、連れてきたのはあなたでしょう。そう思うなら、私を置いて行けばよかったのに」
「愚・猿怨はここから出てきた。この先にもいるかもしれない」
「私を盾にでもするんですか。それとも生贄ですか?」
少女の手には、壊された石壁の破片が握られていた。
それはキルハが持たせたものだった。
あのとき、山での討伐のときだが、山賊の頭領を刺した短剣の光は、まだ脳裏に残っている。
あの光は明らかに術によるものだ。
その光で、武器で、巨漢を怯ませたのだ。
キルハは術を使えないので詳しくもないのだが、何らかの術、つまり精霊の力を借りたものだと思うしかない。
せめて身を守るものとして、石くれを持たせた。
精霊の力は、何か道具がなければ、生身の身体から使うのは負担が大きい。
行使した分だけの損害が、使ったものに掛かるからだ。
「同じ奴かもしれない、別のモンスターかもしれない」
「この石は何に使えば。あなたを殴ればいいの?」
そしてもうひとつ明らかなのは、この少女がひどく不機嫌だということだ。
わけもわからず連れて来られたことへか、ただひとりだけ牢から出したことへか。
あの騒がしい少女、サーラといったか、彼女の性格が少しうつったように言葉が鋭い。
あの愚・猿怨は、確実にこの少女を狙って攻撃していた。
剣を向けた自分や他の女たちには目もくれずに、この少女を容赦なく叩き潰そうとした。
そして地下とはいえ、いきなり城下に現れたのだ。
人里離れたところに潜んでいるはずのモンスターが。
たまたまこの少女が狙われたか、それともこの少女を狙って現れたのか。
キルハには判断がつかないが、もしこの奥にモンスターがいるのなら、それを地下から出すわけにはいかない。
愚・猿怨を討った後、夜勤の兵士は応援を連れてきた。
たいまつに照らされた血だまりを見て気味悪そうにしていたが。
城下に、それも王城近くの旧市街に、モンスターが現れるなんて誰が思っていただろうか。
半信半疑の兵士たちは、指示をあおるべく市政舎を行ったり来たりしているが、その判断を待ってはいられない。
城下町の警備は、おおよそ人間相手にするものだ。
しかもこんな夜更けだ。戦専門の兵士を有する軍事府か、王家管轄の騎士団かに連絡がいくのは、まだ時間が掛かることをキルハは知っていた。
また同じように、あんなモンスターが出てきたら押さえきる自信はない。
「自分の身を守るんだ。術を使えるんだろう?」
すでに地下牢からの明かりは届かない、この手のたいまつだけが頼りだ。
少女を連れたのは間違いだったのかもしれないと、キルハは思い始めた。
しかしこの少女が、どんな理由であれ狙われた。
ならばあの場に置いておくとまずい。
さらなるモンスターが、引き付けられて来る可能性を考えた。
地下から出たらそこは官舎も並ぶ旧市街、そして王城は目の前だ。
王の住まう城内に、モンスターが踏み入ることは決してあってはならない。
城下にいることが、すでに王家への冒涜だ。
様子を見るつもりで、この壁に隠されていた通路に入ったのだが、思ったよりも奥が深い。
長い長い通路のようだ。先もよく見えない。
「術なんて使えない。そんな私をなぜ連れて来たの?」
「お前は知らなくていい」
水の滴る通路に、少女の深呼吸が聞こえた。
「本当、不運が続いてる……」
哀れだとは思った。
だが、だったらどうしたらいいのか。
キルハにしてやれることなどない。
せいぜい明日の取り調べで、少女たちは山賊ではないと、弁護する程度しかできない。
少女がこちらを見遣り、不安にしているのを横目に感じた。
「生きて帰れればだけどな」
そして前方に、石積の壁とは違った照り返しが目に入った。
剣を握り構え、少女を下がらせる。
たいまつをゆっくりと前に持っていき、それに神経を向けた。
「檻……なぜこんな所に?」
それは、それらは、鉄の檻だった。
狭い通路から、少し開けたところに、いくつもの檻が置かれていた。
そして中は、すべて空だった。
近づくと、それらの大きさはまちまちで、人がひとり入れそうなものから見上げるものまである。
開かれた扉だけが、そこにいたものを思い浮かべさせた。
モンスターはここにいたのだろうか。
何者かによって、檻に閉じ込められていたのだろうか。
凶悪なモンスターを、閉じ込めるのはわかる。
だが、ならば、なぜ開いているのか。
「やつはここから逃げ出したのか……?」
「誰が開けたのかな?」
少女の何気ない言葉に、キルハは身の毛がよだった。
そしてたいまつを周囲に向ける。
ただ静かな水の滴りが鳴り、目を凝らしても特に変わったものは何もない。
「馬鹿なことあるか、誰かが開けた?」
そしてもうひとつ、恐ろしいことを連想させた。
「きっとモンスターが暴れでもして、勝手に開いたんだ。そいつらが閉じ込められた、この際わけは置いておいて、ここにある檻がすべてモンスターのいたものだったらどうする!」
緊張に心が折れそうだった。
このいくつもの檻に、それぞれモンスターが入っていたら。
さっきのように、それらが城下に放たれたら。
それを開けようとするものがいるものか。
もしいたならば、それは狂気の沙汰だ。
誰が放とうというのか。
「怒鳴らないで。ちょっと言ってみただけ」
「そうだな、そうだ。現にここにモンスターはいない」
いくら見回しても、滴る水の音しか聞こえなかった。
それに自分たちの声だけが響く。
そして声を静めた。
滴っていた水の音が止まった。
紅い眼の光が、そこにあった。