11モンスター
城内にいくつか隠し通路がある。
ライナーはそこを走っていた。
彼にしか知らない通路を。
それらは王城と旧市街とを、地下で繋いでいた。
そして城下町、つまり新市街の地下にも、もうひとつの町があった。
交易と商業で栄える、バンズクラフトのもうひとつの顔である。
その地下には、いわゆる闇市が広がり、無法地帯となっている。
地下では、禁止されている金塊や麻薬も手に入る。
モンスターを戦わせる娯楽もあった。
王も官僚も民も、それを知っているはずだ。
しかし誰も口にしたがらない。法の取り締まりも滅多にない。
一言でいうなら、そこで興じる貴族や商人を敵に回したくないからだ。
通商大臣を務めるライナーだからこそ、ここでどれだけオーラム金貨の流れが止まっているか詳細にわかった。
それがどれだけ王国の汚点になっているか。
どれだけ表経済に負担を与えているか。
本来は王家に入るはずの富が、恥知らずの貴族や商人の利益になっている。
それを放置している王政への不満も募る。
首にぶら下げた小袋を確かめる。
この中には灰が詰められている。
モンスターを生きたまま燃やした、その成れの果てだ。
この灰を恐れて、モンスターは寄ってこない。
これも地下の闇市で仕入れた、というか没収したものだが、今まさにこれがなければ、すぐさまモンスターの餌食になるだろう。
「これは血の神ロゼウスの獣ですね、そしてこれは獣の神ガルゼッタの怪物……」
闇商売の取り締まりをしているうちに、すっかり詳しくなってしまった。
同時に憤りが湧いてくる。
「それも今日までです。さあ、うまく暴れてください!」
ライナーは檻を開いて回った。
頑丈な鉄の扉を開くたびに、自分の鬱憤までも解放される気分だった。
ある獣は牙を剥き出し、またある獣は拳で胸を叩き威嚇している。
爪や角の出番を今かと、気が狂ったように暴れ出した。
「おっと、危ない。まあ同じ怪物、みたいなものです。仲良くやりましょう」
そしてモンスターが解き放たれた。
このモンスターたちは足止めでいいのだ。
王が危機に気づき、心を入れ替えるまででいいのだ。
あの王には、ここまでやって、ようやく考えが変わるのだろう。
血の神の儀式を終えた今も、高揚感は静まらない。
自分もこのような、いやそれ以上の加護を得たのだと、力を試してみたくもなる。
その前に自らが襲われないように、ライナーは地下通路を走って戻った。
「ああ、痛い。これがあっても狂暴は狂暴ですね」
いつの間にやられたのか、手の甲には、引っ掻かれた傷が血を垂らしていた。
王城の裏手にはフクロウが鳴いている。
その声も届かない、前門に近い所に食堂広間があった。
王国専属の兵士はみな宿舎に寝泊まりしていたが、食事はここで済ませる。
そして今晩は、宴会さながらの賑わいであった。
「そこで俺は山賊の頭に斬りつけたわけよ!」
「でも避けられたんだろう?」
「馬鹿言うな、翠竜の術で竜巻をだな、こう放ったんだ!」
エールの入った木のジョッキが転がる。
酔った兵士たちは笑い飛ばし、大層な武勇伝に花を咲かせていた。
「そういや、一番の戦功者のキルハはどうしたんだ?」
「帰ったんじゃないのか。そういう奴だよ」
「冷てえ言い草だな、お前は親友だろうに」
「俺は、酒と馬とが親友なんだよ」
「気が合うな、俺もだ!」
酔いどれの兵士たちをそろそろ締め出そうかと、料理長は腕を組んでいた。
食堂広間には、はしゃぎ浮かれて、酔いつぶれて眠った者もいた。
昨夜の雷雨が嘘のように晴れ渡る。
澄んだ月光の風に、ひんやりと静まった旧市街を歩いていた。
門番とは見知った仲だったので、すんなりと城を出れた。
キルハは市政舎の一画に向かっていた。
城下全体の警備を執り行う官舎だ。
あの少女が気に掛かった。
食堂広間で、ここへ拘留されていると聞いて、つい来てしまった。
ならず者が城内の牢獄に入れられるのはわかる、当然だ。
しかしあの集落の女たちは、みな山賊たちに捕まっていたのだろうと思っている。
だから傷を負い、心までうなだれていたのだろうと。
だったら保護されるべきではないのか。
取り調べるにしても、拘留まですることはない。
もしかしたら自分が弁護できるかもしれない。
話程度は聞けるはずだと、賊の仲間でないことを確かめようとしていた。
あの少女の口から、はっきりとそう聞きたかった。
ほんの少しの疑念でも晴らしたかった。
「少しだけですよ、さっきまでまた騒いでいたんだから」
「すいません、様子を見たら帰ります」
夜勤の兵に連れられて地下へと入ると、一層と空気がひんやりとする。
軽い程度の容疑者を、一時的に捕らえて置いておく拘置所、要は牢部屋だ。
今は彼女たち以外にいなかった。
縦横の鉄の棒が交わる一室に、少女たちはいた。
壁かけのたいまつの照明が、石積の牢部屋をなんとか照らしている。
女たちは、また兵が来たのかと、うんざりとした顔を浮かべたようだった。
「何よ、もう騒いでいないでしょう」
強気な眉間を放つ少女を見遣って、あの少女の顔を捜す。
そして、見た顔だと気づいた少女と目が合った。
「腹は減っていないか?」
少女は、投げられた言葉の意味を考えるようにして、遅れて返した。
「はい、パンと水をもらいました」
「えっと、じゃあ要るものはないかな」
キルハも、実際なにを言っていいのかわからずにいた。
それに答えたのは、強気の少女だった。
「新しい壺が欲しいわ。これだけ人数がいると困るのよ、わかるでしょう?」
「ああ、わかった。頼んでおく」
キルハにわかるはずもないが、とりあえず頭に入れた。
わずかな明かりが揺れる。
壁に備えられたたいまつの炎は、時折なびいている。
水がどこからか滴って鳴っている。この通路と、それとどこからだろうか。
「それで、他に用があるわけ?」
キルハは確かめたかったことを思い出した。
だとしても素直に肯定するものだろうかと思ったが、こういった言葉の駆け引きは苦手だった。
「ああ、えっと、君たちは山賊、じゃあないのか?」
「しつこいわね。ずっとそう言っているわ。そう言っても出してくれないんでしょうけど。兵士って無実の哀れな臣民を牢に入れるのが仕事みたいだから」
騒いでいたというのは、この勝ち気な少女なのだろう。早口でまくしたてている。
自分が腕にした少女は、もっとこう、はかなげだった。
その声を聞きたかった。
「君はどうなんだ?」
「違います。さらわれてきた……だけです」
少女の物言いは、何か後ろめたさがあるようにも聞こえたが、少なくても山賊の仲間とはどうしても感じなかった。
その言葉を聞きたかったのだ。
「明日の取り調べで、はっきりと言えばいい。きっとわかってくれるさ」
「じゃあ今、取り調べてもいいわよ?」
強気の少女の横やりにため息を落とし、はかなげな少女を見遣る。
「俺も口添えはしてみる。一応は現場にいたんだから証人になるはずだ」
アキは、この少年を、他の兵士と違うのだと思った。
いたわるような笑顔を向けてくる者は他にはいなかった。
少しは信用してもいいのだろうか。
たいまつの炎が大きく揺れた。
一瞬ばかり明かりが消えそうになって、再び炎を取り戻す。
その瞬間だった。
轟音が鳴る。
それとともに、通路の壁が崩れる。
この地下の奥、明かりのやっと届く所の壁だ。
割れた石壁が床を打ち、にわか雨のような低い音が散る。
そしてそれらすべてかき消す大音が、うなり声のような音が、地下に響き渡った。
そして穿たれた壁の向こうから、耳をつんざく程の蛮声が上がった。
開けられた暗闇の向こうには、赤い眼が光っていた。