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09 ごちそうのできたて

        01


「焼きあがったよぉ」


 という声を聞いて、近くに居た子どもたちがぱっとキッチンへ駆け寄る。

 ここは三号店、アンペザント家の子らが主軸になって運営する店。

 スカートとエプロンをふわり揺らして、甘い香りをテーブルへ運んでいく。

 バターとミルクを練り込んだ生地がキレイに焼けて、アツアツの湯気が漂う。


「お待たせしました。焼きたてふかふか焼きです」

「ああ、ありがとうねえ」


 受け取ったのは、齢六十は越えようかという老婦人だ。

 一生懸命頑張る小さな店員に、やわらかい笑みを浮かべる。

 彼女は表面がまだ香ばしいふわふわ焼きを千切ると、先に来ていた紅茶に浸してから口に運んだ。


「その食べ方、おいしいんですか?」

「ええ、おいしいわ。……ほんとうはそのまま食べたいんだけれどねえ」


 そういって彼女は、恥ずかしそうに頬に手を添えた。


「歯がもうダメになっちゃって。こんなにやわらかいのにダメねえ」


 白パンのようにやわらかくても弾力性はある。

 だからパリっと歯ごたえのある焼き菓子なんて、とても食べられない。


「おいしいなら、今度真似して食べてみますね」


 あんなにおいしいのに、と小さな店員はすこしだけ残念に思う。

 そんな感情を、表面でにこりと浮かべた笑顔に隠して。




「ってことがあってさ。それだと食べられるものがほとんどないよね」


 営業終了後、彼らはアンペザントの合同学習室で集まっていた。

 仕事がない日はここで座学を頭に入れながら、すこしずつ成長している。

 いまは寝るまでの時間を喋って楽しもうという、まったりとした狭間だ。


「それだとミルクのフルフルとか果物を煮崩したものぐらいだもんなあ」


 まわりよりすこし大きな子が、腕組みをしながら唸った。

 店では大人に混じってキッチンで働いていて、料理人になろうとしている。


「おいしいけどさ。やっぱりできたての温かいものって特別だよ」


 そう返す少年の言葉に、彼も頷いた。

 焼きたての、なんとも言えない香りの魅力を紅茶に沈めてしまう。

 それはそれで、おいしいのかもしれないけれど、もったいなくもある。

 事情を知った彼らは、なにかないかと頭を捻ってアイディアを出し合っていた。

 

「温かくてやわらかいお菓子ねえ。作りたてのクリームそのままとか?」


 ああだこうだと言っているところに、眠そうな男の子が口を挟む。


「それはお菓子の材料でお菓子じゃ……な……い?」


 彼の言葉にくすりと笑いながら、彼は否定しようとして目を見開いた。


「どうした?」

「いや……そうだよ。そういうことだ。これならできるかもしれない」


 バン、と机を叩いて立ち上がったところで、消灯に来た執事の声がかかった。

 騒がしかった学習室は、すぐに静かになった。




        02


 テーブルに着いた老婦人は、すこし落ち着かない様子でいた。

 すこし周りに目を配ると、何度か姿勢を正して唇を引き締める。

 三十も四十も若い乙女のように、頬がうっすらと紅葉している。

 すこしすると彼女を招待した小さな店員がやってきた。


「こちらからお招きしたのに、おまたせして申し訳ありません」

「そんな、いいのよ。こちらこそ呼んでいただいてありがとう」

「いえ。それでは説明の前に、まずは見ていただきたいと思います」


 両手のトレイにあたたかな湯気を連れた彼は、申し訳なさそうに目を細めた。

 落とさないようにしっかりテーブルへ品物を置いていくと、立ち位置を直す。

 彼女が首を回さずに済む位置へ移動しながら、喉の調子を整えた。


「これは……ミルクのスープかしら?」

「はい。バターとハチミツを混ぜて、すこしとろみが出るまで煮たものです」

「それでこんなにいい香りがするのね。でも、どうして?」


 一匙飲めば、ほっと一息吐くような味がすることは想像できる。

 けれど彼女は、どうして自分が招かれたのかわからなかった。


「以前、歯があまりよろしくないとおっしゃられていましたよね」

「ええ。そうだけれど……それでスープを作ってくれたの」

「はい。お菓子とは呼べないかもしれませんけれど」


 笑みを返す小さな店員のはにかんだような表情を、彼女は直視できなかった。

 なにも食べていないのに、満ち足りたような気分でテーブルへ視線を向ける。


「いいえ、ありがとう。わたしのためだなんて。……飲んでもいいかしら」

「もちろん。温かいうちにどうぞ」


 勧められて、彼女はおずおずと手を伸ばした。

 すこしだけハチミツとバターの黄色がかったスープがなめらかに喉を通る。


「……やさしい味ね。なんだか、母親に甘えているような気分」


 目を閉じてむかしを思い出したように、彼女の目が遠くへ向けられた。

 温かな記憶の邪魔にならないよう控えめに、彼は他の店員に声を掛けた。


「ふわふわ焼きもどうぞ。紅茶の代わりにつけてみてください」

「もしかして、そのために?」


 思い出から帰ってきた彼女は、またすこし前の記憶を呼び覚ます。

 世間話のようなことまで覚えてくれてたことが、また胸をいっぱいにする。


「甘いスープにつけたら、もっとおいしいかなって思ったんです」

「そう。たしかにこれなら、クッキーだって食べられちゃいそう」


 若い娘のように言う彼女に、同じ調子で彼は口端を持ち上げた。


「でしたら、こんなのもどうぞ」


 ちらりと傍目で店員がやってくるのを確認して、うやうやしく頭を下げる。

 テーブルへ置かれた深い器から立ち上る湯気が、甘くて香ばしい。


「これは……グラタン?」

「はい。甘いスープで煮たふわふわ焼きを、窯で焼いてみたんです」


 スープでふわふわ焼きを煮ただけだと、パンのミルク粥のようで、見た目が良くなかった。

 それをグラタンにしようと提案したのは、料理人志望の一回り大きな子だ。

 スプーンを入れればすこし抵抗はあるものの、すっと通る。

 古くなったパンをミルク漬けにして焼くのではなく、新しいものでやっているからなおさらだ。


「そうなの。とてもやわらかくて、おいしそうね」

「できたてですから、おいしいですよ」


 老婦人のためのできたてのごちそうは、この店の名物の一つになった。

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