39 おいしいのカタチ
店の片付けも終わり、寝るまでの自由を楽しむ時間。
コッツは営業中に浮かんだアイディアを試すために厨房に居た。
そこへチュチュが入ってくる。
「紅茶のおかわりですか?」
「ありがとう。でも、そうではなくて、すこし頼まれごとを聞いてくれる?」
「それはもちろん。できることなら」
「ありがとう。営業中に、すこし相談をいただいたの」
作業の手を止めたコッツは、その注文を聞く体勢に入った。
深刻そうな提案ではなかったけれど、片手間でやれることでもなさそうだ。
頼まれごとを聞いて、コッツはわずかにされこうべを傾ける。
「プレゼント用のクッキーがほしい、ですか?」
「ええ。質は問題ないみたいなのだけれど、ひとつ注文があって」
「ハチミツか砂糖を入れるなら、それだけ別に焼かないと」
貴族用に味のバランスを変えるレシピはできている。
甘くすると焦げやすくなるから、窯を専用の温度にする必要がある。
すこし面倒だけれど、いままでもやっていないことではなかった。
「味はそのままでいいらしいの。注文は、見て楽しいものにしてほしい、と」
「見て楽しいクッキー。……お祭りの飾りパンみたいなものかな」
「贈りものの相手はお子さんみたいだから、その方向でおねがいできる?」
「形作りですから、なんとかなるかと。でも、こういうのは珍しいや」
しかし、注文の中身はちがった。
基本的に店のクッキーは丸いか四角に分けられている。
それなら生地の焼き色も調整しやすく、時間もかからない。
いままでのコッツの研究は、ほとんどが味に関するものだった。
よりおいしいものをつくるための研究成果とは、すこしちがう。
「食べる前に見て楽しめたら、嬉しいでしょうね」
けれど、考えてみれば見た目の重要さはわかる。
芸術品が人の目を引くように、見た目やにおいがよければよりおいしい。
それを体現したのが、花からできた『甘い香り』だろう。
「よさそうなのができたら、型でも作ってみましょう」
コッツは思いもよらない角度から飛んできた難題に、すこしわくわくしていた。
自分のつくるものは、もっともっとよくなれるとわかったから。
02
「それで、クッキーはどういう子に送るものなんです?」
「注文していただいた方が言うには、とても活発な子みたい」
チュチュは、メモを取り出してコッツに差し出した。
コッツは紙片を受け取って、ぽっかりと抜け落ちた黒い眼窩を晒す。
「活発。外でよく体を動かすわけか。好きなものは騎士の物語」
「木の棒を剣に見立てて振り回したりしてて、まねごとをしているんですって」
遠いむかしを思い出すように、彼女の表情はやわらかい。
されこうべを縦に揺らしたコッツは、ナイフを手にとって生地に刃を入れる。
「それなら剣とか盾とか、そういうものはよろこんでくれそうですね」
「ええ、きっと」
話を聞きながら、コッツはからころと転がるアイディアを膨らませる。
単純過ぎるかもしれないけれど、大きく外してはいない。
ただ、万が一ということもあるからそれ以外も考えていく。
「ただ、活発な子でしょう。仲良くしている子も多いと思うの」
「それはそうかもしれないですね。……と、なると」
コッツは広がるクッキー生地に細かくナイフを入れていった。
剣を象ったもの。盾を象ったもの。ヤギなどの動物に、ちいさな花びら。
おおよそ思いつくものをザクザクと切り出していく。
「ともだちが多いなら、いっしょに楽しめるようにいろいろほしい。ですよね?」
そういうコッツに、チュチュは薄い唇を持ち上げてほほえんだ。
誰かのためのプレゼントでも、その子だけが楽しむものとは限らない。
からころと寂しく一つだけ転がっていたアイディアが、いくつも増えていく。
「あなたの思うようなやさしい子だから、お菓子を上げたくなるのでしょうね」
「……はい。もっといろいろ、形を知らなくちゃ」
コッツの活動範囲はそれほど広いわけではない。
昼間に出歩けないもどかしさを、はじめて感じていた。
*
けほん、と乾いた咳がちいさな部屋に響いた。
日に焼けた肌の少年は、ベッドで横になって天井を眺めている。
意識はやけにはっきりしているのに、体だけが泥のように重たい。
流行病にかかったせいで、人に感染させないようにと寝ているしかなかった。
いつもは暗くなるまで外にいるせいか、彼には退屈でしょうがなかった。
静かすぎるせいか、彼の耳はやたら敏感に家のできごとを捉えてしまう。
玄関ドアが叩かれて、母親が出ていく。
知人だったらしく、なにかしらを話し込んでいる。
話の内容までは聞き取れないものの、まぶたを閉じた少年には、その様子がありありと浮かんだ。
すこしして玄関ドアが閉じると、母親が寝室を軽くノックした。
「起きてる?」
返事の代わりに、こほんと咳が転がり出る。
少年の母は、ゆっくりとドアを開けた。
わずかに首を起こすと、彼は見慣れないものを目に止める。
白く清潔な箱が小脇に抱えられていた。
「これね。おじさんから頂いたの。あなたが病気してるって知らなかったから、じゃあ、お見舞い代わりにって。あ、お水なくなってるね。足しとこうか」
母がまくしたてると、少年は年の離れた友人を思い出した。
年に数度しか会わないけれど、その度になにかしらのお土産をくれる。
咳がてらにうなずいて、少年は目を閉じて意図的に呼吸を深くした。
早くよくなって、また会ったときにはお礼を言おうと思いながら。
それから二日ほど安静にしていると、まだわずかに洟は出るものの、喉やあたまの痛みは引いていた。
少年は軽くなった体でベッドから這い出すと、顔を洗って眠気を覚ます。
家の中には彼一人で、母親はどこかへ出ているらしかった。
「……そういえば」
しゃっきりと覚めたあたまで、少年は白い箱のことを思い出す。
特に探そうとする必要もなく見つけると、胸にわくわくが湧いてきた。
少年が宝箱のように慎重に開けると、なかから甘い匂いが鼻をくすぐる。
区切りの入った箱に、ぎっしりとクッキーが詰まっていた。
区切りごとに形も細工も違っていて、騎士兜を模したものや、もこもことしたヤギを象ったようなものまで、両手の指の数ほども種類がある。
彼が好きなのは勇ましいものだけれど、友人の何人かはヤギの方が好きと答えるだろう。
まぶたの裏に、そんな様子が浮かんだ。
「なんだよ。こんなの、一人で食べるのはもったいないな」
おいしそうなバターの香りが鼻先をくすぐる。
その誘惑を堪えながら、彼は箱を元通りに戻した。
空になっていた水瓶を満たして、それからまた自分のベッドに入る。
まぶたの裏には、さまざまな形のクッキーが並んでいた。
それから完全に治るまでのあいだ、退屈している時間はすこしもなかった。




