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37 しっとり焼き菓子

 オルデ・ヴィナ・ノワは目の前に並ぶ三つのお菓子をじっと見ていた。

 小麦粉とバターと卵と砂糖を同量だけ混ぜ合わせて焼いたものだ。

 味に問題はないものの、いずれも一口しか手を付けられていない。


「たしかに温度がちがうだけで、食感も変わってくる」


 チュチュたちのレシピが改定された時、その原因が温度にあったのを聞いてからというもの、彼女は些細なちがいに着目していた。

 今回のお菓子は焼く温度ではなく、焼く前の温度を変えたものだった。

 やや膨らみが悪かったり、生地が膨らみすぎていたりさまざまあるが、いい方向に狙って変化させるのは難しい上に、季節によってどうしても失敗が出てくる。

 温度の変化をバリエーションに取り入れるのは、まだ早すぎた。


「混ぜものをするにしても、干し果物や木の実では新しくもない」


 貴族の子たちのあいだで広まっているお菓子作りの噂は、彼女も聞いていた。

 彼女たちが真似をしたところで、完成度で言えば店に敵うものではない。

 けれど後追いになるのはなんとか避けたいのも、オルデたちの本音だった。

 かといって、アイディアがポンポン浮かぶほどかんたんな話でもない。

 十分なクオリティを持ったものでなければ格が下がる。

 これがレシピ発売から、彼女たちを悩ませている問題だ。


「そういえば以前、あの子もいろいろと試していたことが……」


 オルデは、チュチュが栗をどうにかお菓子にできないかと試行錯誤していたことをふと思い出す。

 悩みごとは誰も彼も似たようなものなのだと口角を持ち上げたところで、その味も記憶から引き出していた。

 平民が小麦のパンを買えない時に代替品として食べる栗の味は、決してお菓子にしてまずいものではなかった。


「小麦。そこだけは変えられないと思っていたけれど」


 小麦粉を使っているというのはすなわち上等品の証だった。

 別の粉を使うというのは、ある意味で格を下げることになるだろう。

 けれど、その先にあるものが新しいお菓子だとしたら。


「価値観ごと作る。そう、こういう気持ちになるの」


 自分の手が、何かを掴みかけるような感覚。

 その輪郭に触れたような錯覚に、オルデは身震いした。




       02


 オルデに料理の才能はないし、やるつもりもなかった。

 彼女たちには、優秀な手足となる料理人という存在が居る。

 貴族が自分の手足を動かせば、誰かの仕事を奪うことに繋がるからだ。


「乾燥させた豆の粉は、いずれもあまりよろしくない、と」

「おいしいとは思うけれど、食事の趣が強いと思って」


 小麦粉の半分を豆の粉にしてお菓子を作らせてみたものの、期待に沿う結果にはならなかった。

 他に蕎麦なんかも試してみたものの、彼女の琴線に触れるものはなかった。

 香り高く、味がいいのは確かだけれどそのままでお菓子らしくはない。

 栗のように穀物に近いものなら、という安易な発想は打ち砕かれる。


「粉でなければいけないということはありますか?」

「言うなれば意地があると思って」

「意地ですか」

「そう。論理的じゃない人間の感情だけ」

「それは……仕方ありませんね。意地と言われたら」


 にこりと微笑んで、料理人は快く承った。

 彼にとって、オルデがここまで意固地になるのは初めて見た。

 強い執着と興味こそ結果に結びつくものだと、経験から知っている。

 彼女にそれだけの感情を持たせるものを、彼は喜ばしく思った。


「そう。苦労人なのね」

「前向きな主人に仕える人間にはよろこびですよ」


 料理人は、苦笑するオルデに胸を張った。

 それから試作を続けるための材料を見習いに取りに行かせる。

 しかし、しばらくして帰ってきた料理人見習いの表情は芳しくない。


「すみません。ミルクが品切れです。代用品でもいいでしょうか」

「むう。ここのところ入り用だしな。そういうわけで、万全とは行きませんが」


 ヤギなどがどうしてもミルクを出さない日というのは存在する。

 日持ちするものでもないから、仕入れたものが切れればそれで終わりだ。

 それは貴族の厨房でも変わりない。

 申し訳なさそうにいう料理人に、オルデは一つうなずいた。


「こちらが負担をかけているのだからそれはいい。それに、代用品」

「はい。ミルクのかわりに使うものですが……」


 彼女のあたまに、ピンと突き刺さる感覚があった。

 栗はそもそもパンや小麦の代用がお菓子に向いていたとわかった。

 もしもそれが使えるものなら、あるいは代用品こそいいのかもしれない。


「代用ミルク。ええと、作り方は……」


 その作り方を聞いて、オルデは自分自身の感覚が正しかったと理解する。

 彼女はいつ身近にあったそれを思いつかなかったことに苦笑した。


「なら、水に漬けないで粉になるまですり潰してみてくれる?」

「それはいいですが……アーモンドをですか?」

「ええ。アーモンドの粉でやってみたくて」


 食後のドラジェでも食べていたアーモンドに、彼女は可能性を感じていた。




        03


「どうでしょう?」

「思ったより油があって、しっとりしている。悪くは、ない」


 人をくたびれさせて挽いたアーモンドパウダーを使って焼いたパンのようなものは、たっぷりのバターを使ったように水分を含んでいた。

 ボソボソ感がうすくて、やさしい口当たりとアーモンドの香ばしさがある。

 混ぜものではあるけれど、パンとしては上等の味わいだろう。


「ミルクの代用品にするくらいですから」

「なるほど。……だったらいっそ、濡れるほどしっとりさせてみる、とか」

「焼き菓子を、ですか?」

「焼き菓子だから、やる意味があるのでしょ」


 水分を感じたいだけなら、それこそ剥きたての果物でも乗せればいい。

 そうではなくて、焼き菓子がしっとりしているからこそ新しい。

 オルデの偏屈とも言えるような思いつきに、料理人は眉間にシワを寄せる。

 近道があるのに遠回りをしているような感覚が拭えなかったからだ。


「やってはみますが、ものになるとは言えません」

「もの珍しければひとまずはそれでいいのだから。貴族にはね」


 最初に手にするという栄光と名誉は、なんであっても喜ばしい。

 特に格や外聞を気にする貴族なら、と自分自身を皮肉るようにオルデは笑う。

 笑っていいのか悪いのか判断しかねて、料理人は顔をひきつらせた。


 それから二日ほど経って、ようやく試作品ができあがった。

 連絡を受け取ったオルデは、使用人にさっそく私室まで運ばせた。

 皿の上の焼き菓子は、油分で表面が照っている。

 フォークを刺してみると、やや重たい感触はあるものの、すっと通る。


「押し返してこないから、こういう風になると」


 削るようにひねってみても、パンのような抵抗や粘りが弱い。

 クッキーやパイのようにサクっともしていないのに、かんたんに割れる。

 ちいさなかけらだというのに、見た目以上にずっしりと重たい。

 彼女は、感触だけでも新しいお菓子を浮ついた気分で口に運んだ。


「……なるほど」


 そして、すぐに紅茶を手にとった。

 たっぷりのバターとアーモンドパウダーを使った生地は手にも口にも重たい。

 その一口で辟易するぐらいの重量級だ。


「けれど、先は見えた。食べられるように軽く、しっとりと重たく」


 方向はまちがっていなかったと、彼女は確信を得た。

 あとはその割合と探るだけだと思えば、重たいお菓子も羽のようだ。

 調子に乗ってもう一口食べて、オルデはすぐに紅茶を含んだ。




        04


 代用品から発想を得たお菓子は、ようやく形になった。

 一つのレシピを練り上げるために使った時間は短くない。

 自分主導でやってみて、オルデはその難しさをほんとうに知った。


「気まぐれも役に立つんだから、わからない」


 しっとりさせるというのはつまり、水分や油分を多く含むということだ。

 そうなれば、自然と生地は重たくなる。

 それを解決したのは、彼女が以前、チュチュに気まぐれで送った果物だ。

 レモン自体を入れたのでは酸味ばかりが主張するから、風味だけを入れる。

 レモンピールを使ったお菓子を参考にして、オルデのお菓子は完成を見せた。

 重たくなる前に食べ切れるよう、サイズも手頃なアーモンドとレモンを象ったような、赤子の手ほどの楕円形。

 試食で手頃でなくなりかけた自分を振り返りながら、彼女はため息を吐く。


「こんなことをポンポンやるあの子たちは、まったく……」


 感心よりも、呆れが強いニュアンスで彼女はつぶやいた。

 二号店の事務室に居るのは、彼女と少数の使用人くらいだ。

 貴族としてはあまりに素直過ぎる感情を捨て置くのも、手慣れている。

 それもこれも、彼女が柄にもなく緊張しているからだろう。


「自分が関わったものが手心なく評価されるって、けっこう怖いものだけど」


 今日は、彼女が作ったお菓子の販売が開始される日だ。

 スタッフが帰ってきていないから、出ている数と評判はまだわからない。

 オルデのなかでは会心の出来だと思っている。

 ――もしも、自分自身でも頼みたいほどのものが酷評されたら。

 机の下で、彼女は冷たい拳を強く握りしめた。


「紅茶を淹れて。すこし熱めに、たっぷりと」


 彼女はそうオーダーしたあとで、書類に目を落とした。

 すくなくとも、仕事に意識を奪われていれば、緊張からは逃げ出せるから。

 しばらくオルデがそうしていると、ドアが叩かれた。


「報告にまいりました」

「どうぞ、入って」


 店が前半の営業を終えて休憩に入るところで、スタッフがやってきた。

 急に緊張を思い出したオルデは、冷めた紅茶で唇を濡らす。

 必要なやりとりを終えたあと、彼女は確信に迫る。


「それで、どうだった?」

「よくはけてます。追加で作ってるところですよ」


 にこりと笑うスタッフの表情に嘘はない。

 そこだけは事務的な印象より、家族を褒めるような色が混ざっていた。


「……そう。……それは、よかった」


 胸の中のむず痒いものがなんなのか、オルデにはよくわからなかった。

 けれど、彼女が考えたものが通じたことに、握った拳が熱くなっていた。

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