33 晴れ
街へ商品を売りに来た少女は、ひさしぶりに文明を見た気分だった。
彼女の村はまだちいさくてほとんどが、シンプルな木造の家になっている。
大通りを歩くおなじ年頃の女の子たちは、みんな、裾の擦り切れた服なんて着ていない。
手もきれいにしていて、彼女のように爪が傷だらけということもなかった。
それがすこしだけ恥ずかしくて、少女は手を背中で組んだ。
「えーと、たしかこっち……だった、よね?」
少女は、とにかく人の流れが早いからそれに圧倒されていた。
ぼんやりとした記憶を呼び覚ましながら、彼女は商会へ向けて歩きだした。
「あっ、ここだ……って、すごい人」
以前、彼女が訪れたことがある店は、人でごった返していた。
いい店だとは思っていたけれど、これほど繁盛していた記憶はない。
店の前で列を整理していて女の子が、馬車を連れた少女に気づいた。
「あっ、商売のお話です?」
「うん。買ってもらいたいんだけど、だいじょうぶ?」
「買いものじゃないならこっちに回ってください。商品はなんです?」
アザム商会と看板のある店の脇を通って、少女と女の子は裏手に入った。
店内では、店主のアザムともうひとりが商品を捌いている。
「野菜とか、果物とか、畑で作ったものなんだけど。それと、小物とか」
「それじゃあ、ちょっと見せてもらいます」
そういって幌を開けて中を見ながら、彼女は品定めをした。
どの商品もしっかり育っていてサイズも揃っているし、新鮮だ。
ただし、かなりこぶりな果物を除いて。
他の個体もそんなに大きくないから、ちいさい品種なのだろう。
つやつやした皮の中身はやわらかくて、表面につぶつぶと種がついている。
「この辺じゃあまり見ないけれど、あなたの土地で採れるもの?」
「うん。ほかの村だと、こういうの作ってるのは見ないと思う」
希少な商品というのは、それだけで価値を持つ。
商人見習いの女の子の興味を引くには、それで十分だった。
この果物は以前、少女が街を訪れたときには、まだ十分ではなかったから、持ってこなかったものだ。
「この果物、まだ他のところには出してない?」
「売れるくらいになったのは、今年からだから……」
そう言われて、商人見習いの女の子はいっそう興味を惹かれた。
裁量を任せてもらえるなら、買い占めるのもやぶさかではない。
彼女がそんな気分になっていたところで、裏手のドアがコンコンと叩かれた。
「ミルカいるー? バニラの補充にきたよー」
「っと、ごめんなさい、ちょっと外すね!」
ドアを開けて、ミルカと呼ばれた商人見習いは裏口へ小走りで駆け寄った。
少女がちらりとドアの先を覗き込んで、あっ、と息を呑んだ。
背丈ほども大きな剣も背負っていなければ、鎧の一式も身に着けていない。
けれど、貴族の家で働いているような上等な衣服を人を、彼女は覚えている。
どれくらい前か、彼女が住む開拓村にやってきた冒険者のことを。
その時の恥ずかしさと申し訳なさは、忘れようがない。
「お客さんいたんだー。ごめんねー、すぐ終わるからー」
ワールは、ところ狭しと小瓶が詰められた木箱を軽々と運び込む。
空箱を運んでいるかのような手際で、ほんとうにすぐ作業は終わった。
「よし、っとー。……んー、これ仕入れるのー?」
「味はまだ見てないんですが、香りがいいからそうしたいんですけどね」
「あの、味見、どうぞ」
舌がもつれて、少女はうまく話せなかった。
もともと言葉遣いが丁寧なほうでもない。
けれど、商品をたしかめてもらうのは当然のことだとわかっている。
「はい。よさそうだったら、ワールさんも買ってくださいよ」
「それなら味見させてもらおうかなー」
ワールとミルカは、ちいさな果実をつまんで口に運ぶ。
噛んだ瞬間に、甘いようで爽やかで、華やかな香りがふわっと広がった。
目をつぶってしまうような酸っぱさの奥から、じんわりと甘みが出てくる。
独特のいい香りと味わいに、二人は目を見合わせた。
「森の味がする。豊穣の季節の木の実を齧ったみたいな。でも、ずっと上品」
「どこかで食べたことある……っけー? 酸っぱいけど、おいしーね」
脳裡を記憶が掠めた気がして、ワールは頭を掻いた。
けれど、うまいこと香りとそれが結びつかない。
それも当然だ。彼女が以前食べたものは未成熟で色も青くて、香りもこれほど上等じゃなかった。
うつむいて、少女は震える手で拳を握る。
あの日に受けた忠告は、村の人々に刻まれている。
ギルドに報告されなかったから、開拓村はいまでも存続しているのだから。
そんな人に、やさしい冒険者に、おいしいと言ってもらえたから。
「……ありがとう。村の、自慢の果物なんだ」
続けてきたかいがあった。少女の内は、その感動で満たされていた。
罪の意識はずっと突き刺さっていても、そこから先の景色がずっと暗いということはない。
洞窟を抜けた先に、晴れやかな空が広がっていることもある。




