02 試食会
01
「なんですか、これ?」
ミズクが手に取ったのは、指一本分ほどの小さなプレートだ。
表には招待状と書いてあって、裏は日時が記してある。
営業開始前の朝のまかないの時間、チュチュはそれを人数分だけ配った。
「試食会への招待状です。普段は身内で済ませてしまうでしょう」
「そう、ですね。……今回は違うんです、か?」
従業員や、広くてもお世話になっている商人や貴族がその相手だった。
それで十分なアンケートは取れているとミズクは思っている。
「ええ。これは、あなたが気になったお客様へ渡して下さいな」
「……ぼくが」
気になったお客様というところに彼女は引っかかりを感じた。
ホールを広く動き回っていれば、お客様にはどうしても目が行く。
試食させる価値がある人に渡せ、という意味なのだろうかと俯いた。
「試食会は一ヶ月後ですから、先方のご都合がつくように差し上げて下さいね」
「……どうしよう、かな」
顔を覚えている人なら、誰に渡しても喜んでくれるに違いない。
けれどその中で渡したい人、価値がある人ということになると、彼女は悩んだ。
結局、その日の営業中にミズクが試食会へ招きたい人は選べなかった。
「……誰がいいん、だろう」
季節柄、営業が終わったもまだ空は明るい。
照りつける日は暑いけれど、帰り道を思えばそれも我慢出来る。
ミズクが裏通りの住処まで歩いても、太陽は地平線からまだ半分顔を出していた。
「あ、ミズクのねーちゃん。おかえりー」
「た、ただいま」
近所の子供たちが集まって、ごそごそと話し合いをしているところだった。
「これ、おみやげ」
「やった! いつもありがとねーちゃん!」
ミズクはいっしょに暮らしている仲間たちへ、と貰ったまかないの残りを彼らに配ってしまう。
彼らは大喜びで、すこし時間が経って固くなり始めたふわふわ焼きなんかを分け合っていた。
自分たちはそこそこ稼げるようになったけれど、彼らは自立出来るほどじゃない。
酒場や大通りをうろついて、小さなお使いでお駄賃をもらうぐらいだ。
「俺たちもそろそろ店に行きたいんだけど、最近はみんなケチでさぁ」
がしがし頭を掻きながら、彼はふう、とため息を吐く。
みんなでお小遣いを貯め込んで、たまにミズクの働く店へ訪れる。
それが彼らにとって、唯一の贅沢と言ってよかった。
「無理しない、でね」
「してないって。お菓子が食べたくなっただけ!」
もともと人数分に足らないまかないの残りだったから、彼らはあっと言う間に食べ終わってしまった。
「ごちそーさま。それじゃあもう一丁稼ぎに行こうぜ!」
リーダー格の少年がそう言うと、彼らは「おー!」と叫んで続いた。
彼らはあっという間に裏通りを走り抜けていく。
ミズクは、ひらひらと手を振ってそれを見送った。
「……ダメ、かなあ?」
彼女はすこし考え込んで、その日はよく寝られなかった。
次の日も店で働く予定だったから、彼女はいつもより早く起きて店へ向かった。
薄暗い空の下、チュチュはひんやりとした空気を吸って、辺りを見ていた。
「おはようござい、ます」
「おはよう、ミズクさん。今日はいつもより早いですわね」
にこりと笑うチュチュに、ミズクはなけなしの勇気を振り絞る。
「はい。あの、聞きたいことが、あって」
「なにかしら?」
ミズクが自分から主張することはあまり多くない。
小首を傾げながらも、彼女は喜びを持ってその問いを待った。
「……試食会って、何人か呼んでもいい、でしょうか?」
02
「ねーちゃん、変じゃないかな?」
試食会当日、店の一階は、テーブル三つほどの客で満たされていた。
その内、ミズクが招いた少年の一人が、着慣れない服をしきりに弄っている。
借りてきた立派な服だと、彼は落ち着かないようだった。
それは他の少年少女も同じようで、どこか持て余しているように見える。
「大丈夫、だよ」
給仕服を着る彼女は、姉のような気持ちでそれを見ている。
ミズクも初めて制服に袖を通した時、同じような気持ちだったことを思い出す。
「うーん、なんだか落ち着かないや」
「お呼ばれ、だもんね……そう、だよね」
誰かに招待されるような経験もないから、彼らがそう思うのも無理はない。
「見てよ。子供なんてアタシたちだけだ。これってちょっとすごくない?」
少女は他の招待客を見ながら、試食に出されている新作のクッキーを齧った。
水分を多目にしたやわらかめのもので、口の中でほろほろ崩れていく。
「そう思ってくれれば、嬉しい、な」
ミズクはにこりと笑って、他の従業員が招待した客たちを見る。
グリムが招待したのは、商人の取りまとめ役のような人物だった。
アザムとミルカだけでなく、他にパイプを用意しておきたいという考えで選んだ。
ワールが選んだのは、彼女の冒険者時代の友人たちだ。
お菓子を食べそうにない風貌の男たちだけれど、窮屈そうな服を着て喜んでいる。
アンペザントの子供たちは、普段から店に来ているお客さんの中から、気が合いそうな人を選んで、友達になろうとしていた。
「そうだよ! ぼく、お菓子食べられるのうれしいもん!」
彼らの仲間内の弟分が、テーブルから取り皿を持ってきた。
そこには少女が気に入って食べているほろほろクッキーの他に、ふわふわ焼きをもうすこしもっちりさせた、もちもち焼きというのもある。
中にたっぷりチーズを入れて焼いて、とろとろ溶けてくるものもあった。
「……だよな。ごめんよ、ねーちゃん。ちょっと緊張しててさ」
パチン、と両頬に気合を入れて、少年たちのリーダーは笑顔になる。
「ううん。……いっぱい、食べていって、ね?」
「もちろん。こんなことそうはないしな! で、どれがうまいって?」
彼は弟分が持ってきた取り皿から選びながら聞いた。
03
がっしりした体の男たちが、指先で抓むようにして取り皿を持っていた。
頑丈な歯には物足りなさそうな、やわらかいクッキーを齧りながら、テーブルに目を寄せる。
「ぜんぶにバニラが使われているわけじゃないんだな」
立食会形式だから、テーブルには大皿でどっさりお菓子が盛られている。
招待客は、その中から自分で好きなだけ取り分けて食べられた。
思い思いのテーブルに散った彼らは、滅多に食べられないお菓子に喜ぶ。
「そうだよー。香りが強いから、間違うと邪魔になっちゃうでしょー」
自分の招待客をもてなしながら、ワールは接客の勉強をしている。
主人のように振る舞うことは難しくても、求められたものを返すぐらいは出来た。
「ふうん。それでバニラを使ったオススメってどれだよ?」
冒険者時代の友人たちは、まだ入手困難な状態が続いているバニラを使ったお菓子を堪能しようとしていた。
満面の笑みを浮かべて、ワールはテーブルに置いてあった皿を指差す。
「これこれー。あたしのアイディアを使ってもらったんだー」
「へえ。バニラ入りミルクジャムの木の実和え? ずいぶん甘そうだな」
もふもふ焼きを一口大にしたものに、やわらかく固まった木の実和えが乗っている。
砕いた木の実はくるみやアーモンドや色々と香ばしく、キャラメル状に煮詰められたミルクジャムは、濡れたように光沢が出ている。
「栄養がいっぱいだからさー、冒険行く時、持ってくといいよー」
彼女は冒険者をしていたときに、手軽に甘いものが食べられたなーと思ったことは、一度や二度じゃない。
蜜や砂糖を煮固めた飴も美味しいけれど、それだけでは寂しくもなる。
だから、このミルクジャムの木の実和えは彼女の念願の一つだった。
「どれ。……なるほど。味気ないパンもこいつがあればごちそうに早変わりだ」
一つもぐもぐとやった彼は、じんわりととろけるミルクとバニラの奥から、カリカリと小気味よく砕けるナッツの香ばしさを味わった。
もしこれがあれば、炙るかスープに入れるしかなかったパンがもっとおいしく食べられる。
その価値は、彼にもよくわかる。
「そーそー。甘いものはやる気でるよー?」
「うまいもの食えば元気になるわな。うし、売る時は一声かけてくれよ」
もう一つ大口で頬張った彼は、すっかりワールの作ったものが気に入っていた。
栄養価もあってかさばらないし、軽いところが冒険食に合っている。
それも、ワールがこだわったところの一つだった。
「わかったー。その代わり、みんなに宣伝しておいてねー?」
にっと笑うワールに、彼はガリガリと頭を掻いて苦笑する。
「あいよ。ったく、ワールってば立派に商人になっちまったな」
「へへへー。褒めろ褒めろー」
「おい、なに盛り上がってんだよ。除け者にするなよなぁ」
照れたように笑う彼女の元へ、別のテーブルへ行っていた友人が帰ってきた。
04
「それでは、なにかありましたらよろしくお願いします」
唇だけで笑うグリムが手を差し出すと、肉付きのいい商人がそれを握った。
五十を超えて、まだまだ活力のみなぎる男だ。目に強い光がある。
「ああ。こちらこそよろしく頼むよ。いいお付き合いがしたいものだ」
試食会という機会を利用して、二人はこの店で扱う商品の約束をしていた。
いつまでもアザムたちだけを贔屓していては、彼らの顔色も変わってくる。
他の商人たちとも手を握り合うのは、彼としてもやぶさかではなかった。
「まったくです。では堅苦しい話も抜きにして、あとはお楽しみください」
今度は目でも弧を描いて、グリムはわざとらしく慇懃にテーブルへ手を向ける。
商人も強く頷き、自分たちが関わるものを吟味するつもりだ。
「そうさせてもらうよ。どれ、バニラとやらを見てこようかな」
この辺の取りまとめをしている商人は、首の骨を鳴らして去っていく。
細く息を吐くと貼り付けた笑みを落として、グリムは周囲へ目を配る。
アンペザントの子供たちは、ほとんど接客を忘れていた。
優しそうな老淑女やすこし年上の若い男性客と、親しげに話している。
「ほら。こうすると花みたいになるでしょう?」
「ほんとだっ! とってもキレイ……」
老淑女は、編み棒を使って少女たちに飾り編みを教えていた。
紅茶を飲んでお菓子を食べながら、少女たちが不器用にやるのを見守っている。
やさしい眼差しは、ほんとうの孫を見るようなあたたかさがあった。
「うわあ、町だといまそういうのが流行ってるのかー」
「見事なもんだろ。やってみると意外と出来るぜ。教えてやるよ」
若い男はテーブルに町で流行っているボードゲームを広げた。
貴族のやっているものが伝え聞きで町に降りてきたものだ。
彼が持ってきた盤と駒は、木を削って自作してある。
石造りのものは値が張り、彼の収入では手が出なかった。
「いいの!? ありがとう、にーちゃん!」
「はっはっは。いいってことよ」
目をキラキラさせて、少年たちは手作りの駒を眺めながら説明を聞いていた。
仲のいい兄弟にも見えるところは微笑ましい。
「……任せておいても問題はなさそうだな」
グリムにはとても出来ないが、あれも一種の接客だと認めた。
彼はすこし身を引いて、ホール全体が見渡せるような位置に立つ。
冒険者たちは、元気になった子供たちを相手取って、競うように食べている。
姉のような眼差しをするミズクと、騒ぎが広がり過ぎないようにそれとなく誘導しているワール。
商人同士でああだこうだ言いながら、まさに試食をしているところ。さまざまだ。
「グリム。あなたはどうして商人の皆様をお呼びになったの?」
背後から話しかけられて、半身だけ振り返る。
そこには今回はほとんど裏方に徹しているチュチュの姿があった。
「キスキィ嬢か。アザムとミルカがふいに消えれば問題が出るから、その対策だ」
「それはなんとも頼もしい話ですわね。……ねえ、この光景をどう思うかしら」
問われて、彼はもう一度この光景に目を通す。
「どうと言われても、少々、騒がしいとしか言いようがないな」
くすりと笑いながら、彼女はすこし羨ましげに同じ光景を見た。
「あなたらしい解答。わたくしは、幸せそうだと感じます」
「家族のような温かい空間か。その願望には似つかわしいだろうよ」
紅茶のおいしいダンジョン。発想の原点を思って彼は頷く。
家族を失って、一人きりでいたチュチュが求めた安らぎの空間だ。
「ええ。あのね、グリム。わたくしはあなたにも持って欲しいの」
背中に手を当てられたまま話しかけられて、彼は細く息を吐く。
「……騒がしくなれる相手をか? あまり楽しくは思わないな」
すこしだけ彼は想像してみたが、具体的なものは思い浮かばなかった。
あるいは、その断片には彼女の姿があったかもしれない。
「でも、いつか必要になりますわ」
「必要になったら用意させてもらおう。いまはここだけで十分だ」
グリムは騒がしい店内をもう一度見て、そっと口角を持ち上げた。
商人とわざわざ面倒な話をまとめてでも続けたい、彼の世界があった。