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10 こどものくに

        01


 その日、ヴィナ・ノワが経営する二号店は貸し切りだった。

 キュストモンク風の応接間や社交場をちいさく造った空間は、小柄な紳士淑女で溢れ返っている。

 紳士の口に上る話は新しく、淑女を誘う文句は拙い。

 それもそのはず。彼らは、まだ社交デビューさえしていない貴族の子供たちだ。


 話があったのは、月の初め頃の話だった。

 中級貴族たちとの会合があって、重要な話も済み、お茶でも飲みながら雑談に花を咲かせていた。

 なごやかな雰囲気のなかで、たっぷりと髭を蓄えた男は言った。


「今度うちの跡取りが、舞踏会へ出ることになったのです」

「ほう。もうそんな歳ですか。しかし嬉しそうではありませんな」


 隣席の痩せた男は、眼を細めて過ぎ去った年を数えるように言う。

 立場も近く、若い頃から切磋琢磨してきた間柄だ。


「出たばかりの舞踏会というのは、恥を掻きに行くものです」

「それはそうでしょうな。女の誘い方も知っているようで、そうではない」


 髭男のコツコツと床を叩く靴は、ちいさく何度も打ち鳴らされる。

 そのこころが飲み込める痩せた男も、自分の子を脳裏に浮かべた。


「自分はいいですが子が恥をかくとなると、なかなか寒いものでしょう」

「わからなくはない。過保護というものですが、顔もある」


 舞踏会というものは、仲間内以上に広い見聞だからこそ意味がある。

 恥をかけば上級貴族の目にも入るだろう。

 覚えがめでたければいいけれど、そうはならない。


「それを考えると、いまから喉が苦しく狭くなるばかりですよ」

「かといって、私たちが言ってわかる話でもないでしょう」


 舞踏会での良し悪しは、やってわからなければどうしようもない。

 礼儀や遣り方を教えたところで、慣れる水が違えば役にも立たないだろう。


「だったら仲間内でちいさな舞踏会を開いてはどうだ?」

「あっ、ヴィナ・ノワ様」

「これは恥ずかしいお話を……」


 ふたりの会話を、ルスカは聞くともなく聞いていた。

 場の話し合いすべてを拾っているわけではないが、耳に入るものは仕方がない。


「気にするな。それで、どうだ。まずは仲間内だけで恥をかかせればいい」

「それなら、まだ赤くもなくすみますが……」

「同じ悩みを持つ親は少なくない。会場も、俺の店を使えばいい」


 上級貴族にこうも言われてしまえば、それは提案というより命令に近かった

 しかもそれば形式上とは言え、自分たちのためだというのだから断れない。

 首を縦に振ること以外、ふたりにはどうしようもなかった。


「なに、会費は安くさせてもらうさ」


 それが渡りに船だったかどうかは、定かではない。




        02


 キュストモンク風の布をたっぷり使った飾り付けをした空間では、負けないぐらい布を使った衣服が上等とされる。

 本番の予行演習といえる二号店では、ちいさな紳士淑女も以前から用意していた豪奢な礼服に身を包んでいる。

 それらと比べて、明らかに布地の少ない淑女が居た。


「壁の花と借り出されましたけれど、これも勉強ですわね」


 春らしいワンピースに、レースで飾った上着を一枚羽織っただけの姿は、周囲がごてごて着飾った中では浮いていた。

 そのせいか彼女を見る目には、どこの家の子なのか、という色が混じる。

 絡みつく視線を断ち切りながら、シニョンは立食形式でテーブルへ置かれているお菓子を取りに歩いた。

 お皿一枚に乗り切る分だけ貰うと、それを持って自ら壁際へ進んでいく。

 茨のような視線は一層、好奇心の色味を増した。

 彼女と同じく、壁を背中にしている少女が一人、じっと見ていた。


「ごきげんよう。なにか気になりまして?」

「あ……え、ごきげんよう。あの、とても堂々としているから……」


 たっぷりと布を使った衣服が鎧かのように、彼女は自信ないような口調で言う。

 貝のように閉じこもる姿は、自ら望んで壁に張り付いているに近い。


「大人の目がないのですから、怖がる必要もないでしょう」

「誘われなかったらって思うと、怖くありませんか?」

「その時は、お菓子をたくさん食べて帰ればいいのです。お一ついかが?」


 手に持ったお皿を差し出されて、おかしくなったのか彼女はくすくす笑う。

 クッキーを一枚取り上げて小動物のように歯痕をつけると、やわらかに微笑む。


「そうですね。今日は、お菓子を食べる日にしようと思います」

「だったらよかったのだけれど、無理かもしれませんね」

「えっ?」


 自分で勧めたというのに、そんなことを言い出すシニョンが彼女にはわからなかった。

 一歩近づくと、うつむくように自分を見ていた彼女の顔を会場へ向けさせる。


「あなたの魅力に気づいた方が、何人かいらっしゃるようだから」


 まだ今夜のパートナーが見つかってない何人かが、彼女を見ていた。

 間もなく、その足がゆっくりと近づいてくる。


「あの、その、ええと……」

「いってらっしゃい。お菓子はまた今度ですわね」

「……はい。あなたは、どこの方ですか?」


 微笑んでから、ぽんと軽く背中を押して舞踏会へ送り出す。


「見ての通りです。大した家ではありません」

「あの、今度、いっしょにお話しましょう」

「ええ。また会えた時にはいつでも」


 ちいさく手を振った。

 彼女が話しかけられたのを見て、シニョンは安堵の息を漏らす。


「壁の花も悪くはありませんね。こうして見られる景色があるのですから」


 酒の香りがする干しぶどうを混ぜたクッキーを齧って、また壁の花を見つけた。




        03


 小さいとは言えきらびやかな舞踏会の裏側、飾り気のないスタッフルームでは、オルデ・ヴィナ・ノワがあれこれを気をもみながら報告を整理していた。

 入れ代わり立ち代わりでキッチンと会場の様子を報告する給仕が現れては、彼女の指揮を受けてキビキビ動き出す。

 「こどものくに」をつくるためには「おとなのちから」が必要になる。


「お菓子の捌けがいいものは情報をまとめて置いて下さい。酒入りのものが出すぎるようでしたらすこしずつ制限をお願いします」


 いくつもの紙が机を動き、インクをつけたペンがその上を滑る。


「わかりました。いまのところ問題と言える事態は起きていません」


 擦れないように一枚ずつ乾かしながら、書類で埋まりそうな台を片付ける。


「それはいい報告です。小競り合いぐらいでしたら放置して、あとで各家への報告書に細かく載せて下さい」


 参加している家の数だけ、情報をまとめた資料を作らなければいけない。

 ルスカが直に手をかけるほどではないけれど、適当でも困る。

 そのためオルデが現場で、あれこれこなさなければならなかった。


「わかりました。それでは持ち場に戻ります」

「ええ。あとわたしにも甘いものをお願い」


 二号店の経営や管理などは手伝っているものの、あくまでお手伝いの範疇に限る。

 きっちりと陣頭指揮を取るというのは、想像以上に彼女を疲れさせていた。


「すぐに届けさせます」


 頭を下げて給仕係が出ていくと、彼女は冷めた紅茶を口に含む。

 たっぷり砂糖が入った紅茶は温かい時よりも甘く感じられる。

 けれど、それでもいまのオルデにとっては十分ではなかった。


「……もうすこし、お兄様にはやさしくしてあげましょう」


 自分の兄が、趣味に時間を作れるほど効率的に仕事していることを、いまさらながら彼女は驚いていた。

 隙あらば革を買うルスカがそれを楽しみに生きているというのなら、それは過度にうるさく言うほどではない、と。


「結局のところ、わたしもまだこどもなのでしょうね」


 合図があって、ドアから給仕係が入ってくる。

 手に持ったトレイには、果物の蜜漬けをタルトにしたお菓子が乗っていた。

 「おとなのちから」は、スタッフルームにも十分使われていることを、彼女は認めなければいけなかった。




       04


 つつがなくというには、いくらかの語弊があるうちに小舞踏会は終わった。

 幾輪かの壁の花を中央へ送り出す仕事は、シニョンにとって不快ではなかった。


「シニョン。今日出かけた用事のことで話をしたいって、執事さんが」

「用事を終えられたのね。すぐ行きます」


 心地よい充実と疲労感に包まれていると、報告のために学習室へ呼ばれた。

 四角四面のカッチリした学習室は、ダンジョン製のおかげかうっすら明るい。

 並ぶ机と椅子の向こう、教卓の前に立つのが執事ではなくディアボラだったことに、彼女の心臓がすこし飛び跳ねる。


「アンペザント様。ご自分でいらっしゃるとは、お待たせいたしました」

「重要な情報は自分で聞いたほうが信頼性が高い。座るといい」


 言いながら、ディアボラは自分も手近にあった椅子を引っ張って腰掛ける。

 勧められた彼女が断るわけにもいかず、話が聞こえるように近くの席についた。


「頼まれた仕事は果たしてくれたと見えるが、関わった人間は覚えているか?」

「はい。名前を聞きそびれた方もいらっしゃいますが、顔はしっかりと」

「では覚えている分は名前を書き出していって貰おう。顔だけの方は服装と身につけていた装飾品の紋や容姿を」

「わかりました」


 ディアボラが差し出した白紙に、シニョンは覚えている限りの情報を書いていく。

 壁の花として動いていた彼女は、男性にほとんど誘いを受けなかった。

 直接関わったのは少女が多いけれど、物好きな男性もすこしは居た。

 あたまの中身を探っても、彼女から搾り取れる果汁はもう出てこなかった。


「こんなところか。次は、誰と誰がうまく行っていたか、それと動きだ」

「関係はわかりますが、動き、ですか?」

「子供というのは親の影響を強く受ける。身についた仕草は教育だ。子を見れば、親もある程度はわかるだろう」

「子を見て、親を知る……。思い出せる限りはやってみます」


 言われて、彼女は不思議なぐらい小舞踏会を鮮明に思い出すことができた。

 渦中に入り込まなかったせいか、俯瞰したような視点で全体を捉えていた。

 ぼんやりとした印象は、焦点を当てることですこしずつはっきりしてくる。

 今度こそシニョンという果実からは一滴もなくなって、ようやく彼は頷く。


「こんなところか。シニョン、今日、関わった人間はよく覚えておけ」

「……はい。しかしどうしてです?」

「いずれお前が貴族社会に顔を出した時、売った恩義が役に立つ」


 言いながら、ディアボラは今回関わった貴族たちの地位や家の状況なんかをさらりと口にしていく。

 家と子の情報が分かれば、そこから透けてくる実態なんかもあるだろう。

 話が一つ耳に入ってくるたび、シニョンの碧い瞳が丸くなる。


「アンペザント様。あなたは……?」

「芽が出れば、育ててみる気にもなる。あとはお前がどうなるかだ」


 ディアボラは、明らかに後継者を意識した仕事を彼女に期待していた。

 シニョンは、キツく自分のスカートを握りしめた。

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