海-大地 国境の洞窟(ソーラ)
足かせはやせた足首には大きいが、それでも逃げることは叶わない。
必死で手でちぎろうと試みたが駄目だった。
(……あ!)
いつもの足音が聞こえる。
ソーラは襲い来る恐怖をかみ殺そうと唇を噛む。
両の手で震える自分の肩を抱きしめたとき、かたんとドアの開く音がした。
風がついっと通る。
見上げると冷たい漆黒の瞳。
何の感情も表に出さずに、こちらに歩み来る。
「やっ!」
つかまれた手首を無我夢中で振り、そうして相手の顔にダメージを与えようと試みる。
だが、力が足りない。
そうしてベッドに押し倒されると、相手の体重が身体に乗りかかって息ができなくなる。
「やだっ!」
もう一度空いた手を振り上げると、ばしっという小気味のいい音がした。
「こらっ、何を暴れてる?」
「いやっ!」
「おい、ソラ、やめろっ!」
「…………え?」
わずかな松明の火に映るナイトの顔。
「あれ?」
ソーラは辺りを見回す。
そこは真っ暗な洞窟の中だった。
思えば歩き疲れたので、少し仮眠を取ったのだっけ。
「僕は何を?」
「また、嫌な夢でも見たのでは?」
その無表情に見える黒い瞳は、さっきの怖い夢を思い出させた。
ソーラはわずかにナイトから離れてぶるっと震える。
「どうされました?」
不思議そうな声。
少し恥ずかしくなってソーラは首を振った。
「ナイト、敬語」
「ああ」
……ああ、と言いはするが、なかなかナイトのくせは直らない。
「ありがとう、起こしてくれて。それとごめん、叩いてしまって」
「それは構わない」
そっけない言葉だが、ほんとうに何とも思っていないことが伝わる誠実さが嬉しい。
「僕、うなされてた?」
「いいえ」
「じゃあ、どうして怖い夢を見たってわかったの?」
ナイトはソーラの足首に目を落とした。
「足かせが光っていた」
「え?」
「この前も、宿屋で足かせが光っているのに気づいたとき、悪い夢がやってきていたようだったから」
「……そうなんだ」
十四年も生きてきて、初めてそんなことを知った。
それではいつも見る悪夢は、この足輪が見せているのか?
「そんなに怖い夢だったのか?」
「……うん」
「また腹を減らして、馬の人参取ったのか?」
ソーラは首を振る。
「それはなかった」
「……まあ、同じ夢を見ることなんて普通はないな」
わずかにどきりとしてナイトを見る。
「そうなの?」
「え?」
驚いた風のナイト。
「見るのか?」
今度は頷く。
「いつも同じ場面ばかりって訳じゃないけど、悪い夢の時はいつも同じ人間になってるのは間違いない」
いつだって自分は、あの手足の細い少年に化している。
「それは妙な話だが」
ナイトは首をかしげた。
「やはり、その足輪のせいなんだろうな」
言いながら彼は立ち上がった。
情報が少なくて判断がつかないことは、深く考えない性質のようだ。
「では、そろそろ行くぞ」
「……うん」
暗闇は好きではない。
嫌な夢は全て闇からやってくるから……
「ここに入ってからどれくらい経ったんだろ」
「まだ一昼夜程度だ」
足の血豆がじんじんする。
軽い回復魔法では直らない程度には悪化しているようだ。
加えて、胃の辺りが頼りない感じもする。
「……お腹すいたね」
ナイトが黙って栗を渡したので、ソーラはため息をついた。
「どうして僕、こんなに栗ばかり拾ったんだろ。ザクロとかアケビとか探せば良かった」
「栗の方が小さくて日持ちする上に、栄養価も高い」
ナイトは根っからの合理主義者のようだった。
ソーラもその方がやりやすいが、こういうときには無条件で「ほんとだね」と言ってくれる弟王子が懐かしい。
「チーズを食べてもいいんだぞ」
「……いや、いいよ」
食べたいのは山々だったが、ナイトが遠慮して口を付けないので、ソーラも何となく遠慮気味にせざるを得ない。
「いただきます」
歩きながら栗を口に入れ、逆にこんなところをスカイが見たらさぞかしうるさいだろうと思う。
スカイは女はこうでなければならないという思いこみが激しかったが、多分それは幼いときからずっと聞かされていた一の姫の思い出話から来るところが多いのだ。
父の中では姉は聖女のように気高く美しく優しく完璧だったし、それが自分の姉だと思うことは、ソーラやスカイにとっても誇らしいことではあったので……
「あれ?」
ソーラは暗闇の中、目をこらした。
枝分かれした左の道の奥に何かが見えたのだ。
だが、そちらに一歩足を踏み出すと同時に、服を後から掴まれた。
「この洞窟は右へ右へと進むと出口に当たると言ったろ? 勝手に進むな」
「でもね、何かありそうなんだよ。」
気になると確認しないではいられないのがソーラの性質である。
「君、ここで待ってて。あれが何か見てくるから」
「だから、勝手に行くな。こういうところで分かれたら痛い目に遭う」
言いながらナイトは、進むソーラの後を服を掴んだままついてきた。
恐らく信頼していないのだろう。
(ちょっと悔しい)
しかし、格下のスカイと違い、ナイトは現実に力も技も経験も全てソーラより優れていた。
それは自分も認めるところだ。
「あれは?」
しばらく進むと、気になった物がはっきりと見えてきた。
赤い箱に金の縁取り。
「宝箱だ!」
「……ほう」
ナイトが驚いたように小さく声を出した。
「何度もこの道は修行で往復しているが、こんなところにこんなものがあったとは」
ソーラはわずかに笑う。
「君って、目的以外のものが見えないたちなんだね」
ちょっとむっとしたのか、ナイトが勝手にずいっとソーラの前に出た。
そして宝箱の前に屈む。
「ねえ、僕が見つけたんだし、僕が開けたいんだけど」
「宝箱に化けている魔物もいますから俺が開けます」
「そんなのずるいよ!」
「中に入っているものは差し上げます」
「あのね、僕の楽しみは箱を開けることで、中に入ってるものが欲しいわけじゃないんだ。だから……」
膨れたソーラに構わず、ナイトは蓋を開けた。
と、
「……レイピア、か」
呟きながら、ナイトは美しい細身の剣を取りだした。
「貴方にちょうどいい」
一所懸命不平を言ったのに、彼はどうやら聞いていなかったようだ。
何事もなかったように、手に持ったそれをこちらに差し出す。
「魔法以外に身を守る術がないというのも困りものだと思っていました」
ソーラはそれを手に取り、少し振ってみた。
「見た目より随分重いね」
「腕に筋力がないからでしょう」
むかっとしてソーラはナイトを睨む。
「ナイト、敬語」
「……ああ」
ふと、ナイトが笑ったような気がしたのは気のせいだろうか。
「フェンシングの経験は?」
「フルーレを少し」
「この剣は両刃だ。と言っても、突きが基本なのは変わらない」
ナイトはソーラから剣を取り、綺麗なフォームで短い型を披露した。
「差し支えなければ、エペを少し手ほどきしよう」
この国ではエペはフェンシングの中でも男性だけの競技であり、胸しか有効が取れないフルーレと違って全身が的だ。
それだけより実戦に近い。
「うん」
ソーラは喜んでナイトの申し出を受けた。
が、
ナイトの少しばかりの手ほどきを受けるという約束をした自分をすぐにソーラは呪った。
「何をしている、腕が上がっていない!」
「だって重いんだもの……」
もう、同じ反復練習を何時間やらされたことか。
「なら、剣を置いて腕立て伏せを百回だ」
「えええっ~」
どうやらナイトは剣術のことになると、人が変わったようにドS……いや、しごきの鬼になるらしい。
「ねえ、ちょっと休憩しよ?」
「まだ早い」
「喉が渇いたんだけど、よく考えたら洞窟で水がなくなると大変だよね。ここを出てから手ほどきを受けた方が良いような……」
「その心配は無用だ。ここから十キロほど歩いたところに泉がある」
「十キロ、そんなに?!」
「ぐずぐず言わずに、腕立て伏せだ!」
「だから喉が渇いたって……」
「なら、全力疾走で泉まで行くぞ!」
「えええっ~」
そんなこんなで五日経った。
お陰で夢も見ないでぐっすり寝られるのは良いことだが……
「……洞窟、まだ終わらないのかな」
「そろそろ出口だ」
「こんなに長い洞窟だとは思わなかったよ」
「特訓のために、遠回りをしたからな。本当なら四日前の今時分には外に出ていた」
「えええっ!!」
そういえば、右ではなく、まっすぐや左に進んだことも数度あった。
てっきり、ナイトも宝箱探しに目覚めたものだと思っていたが……
「ぷう」
この洞窟のモンスターは強く、一人では無理だ、ソーラの助けがいると言ったのは思い切り嘘だったらしい。
(……嘘つき鬼)
そうソーラが文句を言おうと思った時だった。
「ナイトっ!」
ふと見上げた天井近くに、黒い影が動くのを見てソーラは叫んだ。
ひょうきんなコウモリといった感じのモンスターが三匹、二人の側まで舞い降りてくる。
ソーラはナイトの手ほどき通りに剣を構えた。
「とやっ!」
真っ直ぐに突いても、コウモリ型モンスターはふわふわ逃げるだけだとわかっていたので、高い位置から低い位置にくるりと剣先を滑らせ、惹きこまれたモンスターがスピードを上げこちらに来る瞬間を狙って、後ろ足を蹴りそのまま下から腕を伸ばしてアタック。
横目で見ると、ナイトも二匹倒していたので一回の攻撃で敵はあっけなく倒れたようだ。
「……剣技に向いているとは思っていたが、これほどとは」
ナイトが何故か呆気にとられたようにソーラを見ている。
「そりゃそうだよ」
ソーラは小さく肩をすくめた。
そうして、再び歩き出したナイトの隣をソーラは進む。
「こんだけ特訓つまされたら、普通は誰でも付け焼き刃程度には上手くなるよ」
「……いや」
しかし、ナイトは真顔で首を振った。
「今のような技は見たことがない」
そんな風には思えないが。
「それなりに色々な剣技は学んでいるが、その中に今のと同様の動きをするものはない」
「そうなの? だったら技に名前をつけられるね」
冗談で言っているのに、ナイトは神妙に頷いた。
「お前には腕力がなく、軽いはずの突きなのに、相手の力を利用しているから一発で致命傷を与える」
ソーラは笑った。
(……お前、ね)
どうやらナイトは剣の話をするときには敬語を使わなくなるらしい。
「一度半月のように剣で半円を描き、そしてその後ステップを使って相手を突く」
「決定、じゃ、今のは半月切りね」
「いや、技の名前はもう少し慎重に決めた方が……」
「あ」
思わずソーラは声を上げる。角を曲がると、百メートルほど先に光が見えたのだ。
「出口だ!」
本当に嬉しくて、ソーラはかけ出す。
「待てっ!」
ナイトが後から走りきて、ソーラの腕を掴んだ。
「そういう無防備な状態のときに、モンスターがいきなり襲いかかってきたり、岩盤が崩れたりなどのイベントが発生するんだ」
「……そうなの?」
首をかしげはしたが、特に意義を申し立てる程ではなかったので素直に頷き、ソーラはナイトと共にようやく明るい外に出た。
「わあっ!」
そこは一面の砂漠。
ソーラが初めて見る黄色い大地だった。
「すっごーい」
「ああ」
いつもながら感動のない声に、ソーラはナイトを見る。
「君、修行で洞窟を行ったり来たり、よくした訳でしょ?」
「ああ」
「大地の城には行かなかったの?」
ナイトは頷く。
「未成年者は国境を越えるのに親の許可がいる。それがもらえなかったんでな」
「じゃあ、いつもここまで来て引き返したんだ」
「ああ」
「だったら、ここから先はどっちに向かったらいいかわかんないんじゃないの?」
ナイトは肩をすくめた。
「地図なら完璧に頭に入っている。何の備えもなく、ただ大地の城に向かって歩いていけばいいなんて思っているお姫様とは違うからな」
ソーラは頬を膨らませた。
もちろん言い分はある。
だが、
(言われてることは間違いじゃない)
膨らんだ頬から空気が抜けるとともに、ソーラの心もしぼんだ。
旅をする上で知識がないのは、どんな理由があろうとも許されない。
無知は罪悪なのだ。
それを自分はここ数日間で思い知った。
だから、ナイトに反論できない……
「そう言ってやるな、サリヴァン家のご子息」
「!」
声に驚いて振り返ると、洞窟の穴の上の少し平たくなった岩盤に、銀縁眼鏡をかけた華奢な少年が立っているのが見えた。
「姫は父王の差し金で地理の勉強を受ける機会を奪われていた。しかも、君のように地図を見ながら実際の地形を歩いてみるなどという経験をしたこともない」
「……お前は、誰だ?」
ナイトの言葉に、砂色の髪に緑の目をした少年は手に持った薄い革表紙の本をぱたりと閉じ、そして洞窟の上からスタッと飛び降りた。
「初めまして。俺はエルデ・カッセル」
エルデはこちらに視線を移す。
「久しぶりだね。五年半ぶりかな」
「覚えていてくれたんだ」
ソーラは嬉しくて、懐かしいその相手に飛びついた。