海-大地 国境の村2(ナイト)
「もう寝なさい、明日は早いから」
「チーズ、まだたくさん残ってるよ」
「包んで袋に入れておけば、明日からの役に立つ」
「わかった!」
風呂も食事も済ませ、ようやくけだるい身体を布団に滑り込ませようとしたナイトだったが、
「ねえ」
どうしてかソーラが枕元に立った。
「一緒に寝てもいい?」
「…………は?」
「ここんとこずっと嫌な予感がするんだ」
「嫌な予感とは?」
「悪い夢をみるっていう……」
ナイトはきっぱり首を振る。
「ダメです」
そんなことをされたら自分が寝られない。
「どうしても?」
「ダメです」
「……今、敬語使ったから罰として一緒に寝て?」
「駄目だ!」
ナイトはベッドに大の字になった。
「寝るときは明かりを消すように。以上だ」
思っていたよりも疲れていた。
多分、身体ではなく気疲れだろう。
目を閉じたらそのまま睡魔が訪れ、そのままぐっすりと眠りにつく……
「………………」
はずだったが、すごすごと隣のベッドに行ったソーラが何故か気になりナイトは目を開けた。
ちらりと見ると、枕を抱きしめてそのまま掛け布団も掛けずに丸まっていた。
(……甘やかしたら駄目だ)
起きて、布団を掛けでもしたらあっちに引きずり込まれるかもしれない。
ナイトはまんじりともせずにソーラが寝付くのを待った。
やがて、小さな寝息が聞こえ始める。
(いや、演技かも知れない)
それでもしばらくの間、じっと我慢すること三十分。
(もういいか)
そっと起きあがり、掛け布団を掛けにソーラのベッドに行ったナイトだったが……
「?」
ぼおっとした光がソーラの足下に見えた。
改めてよく見ると、それはくだんの足かせである。
どうやら、それ自身が発光しているようだ。
(……?)
と、突然ソーラがうめいた。
「!!」
まるで、殴られるのを恐れる子供のように、腕で顔を庇って。
そういえば、今日は悪い夢を見そうだとかさっき言っていた……
「起きてください」
肩をつかんで揺り起こすと、ソーラの身体がびくりと大きく震え、ナイトの手をはねのける。
「っ!」
「姫?」
がばっと跳ね起きたソーラは、声も上げずにベッドの隅に逃げた。
そうして気丈ないつもと違って肩をふるわせる。
「怖い夢でも見られたのですか?」
暗闇の中、ソーラが枕をぎゅうっと抱きしめるのが見えた。
何となく怯える小動物のような哀れさを感じ、ナイトはそっとその頭に手をやる。
「……!」
額に汗で張り付いた髪がべったりとナイトの指にからまった。
あの、わずかな時間に?
「どんな夢だったのです?」
ベッドサイドに座ると、ソーラはわずかにナイトの肩にすりよった。
「あんまりひもじかったから、馬小屋に忍び込んで餌の人参を盗もうとしたら見つかって、表に引きずり出されて裸にされて、皮のムチで何度もぶたれた」
「……は?」
ナイトはわずかに首をかしげた。
上流階級のお姫様が見る怖い夢とはやや性質が違うような気もする。
「何か、昔お読みになった本に書かれていた話なのでしょう」
「ううん」
震える肩を抱くと、少し落ち着いたのかソーラは枕を抱く力を弱めた。
「時々、見るんだ。妙にリアルな夢を。本で読んだ事もない情景なのに……」
「不思議ですな」
「ナイト、敬語」
「……あ」
慌てて腕を放して距離を開けると、ソーラは驚いたようにナイトに顔を向ける。
「君、ほんとに言葉が通じないね」
不敬に気づいたのだから仕方がない。
「とりあえずは、まず水でも……」
だが、言いかけてナイトは顔を上げる。
わずかに開いた窓から聞こえる微かな物音。
「……!」
ソーラの側により、その口に指を当てて耳を澄ますと、密かなざわめきが階下から聞こえた。
わずかに鼻につく松明の燃える臭い。
武術者としての勘がナイトの行動を俊敏にした。
「姫、いつでもお発ちになれるように装備を」
小声で囁くと、自分も荷物と剣を装備し、そのまま扉の前に立つ。
そうして待つこと約五分。
「観念しろ、賊!」
突然、ドアが開いて大勢の男達が部屋に入ろうとしたので、ナイトは抜きはなった剣をその前にかざす。
「わあっ!」
二人が起きているとは予想もしていなかったのだろう、先頭の男が後向けにのけぞり、背後にいた数人が一緒にこけた。
「ふ、ふてえ野郎だ!」
「そりゃそうだろう、姫君をかどわかした悪党だからな!」
言われた言葉を頭で反芻し、ナイトは目を見開く。
「かどわかした?」
スカイ王子はどんな話を空の王にしたのだろう。
それにここはもう海の城の領内だ。空の城の王が追っ手を差し向けるにしても、村人を使うことは法律上できないはずだ。
「隠し立てしても無駄だ、空の城、海の城の両王の連名で、手配書が回っているんだからな」
「なんだと?」
さらにナイトは驚いた。
「海の城の王が?」
事情を一番わかっているのは海の王だろうに。
「そうだ、お前の首には三万Gの懸賞金がかかってるんだぞ」
「……それはすごい」
思わずナイトは呟く。
指名手配の極悪海賊でも、通常一万や二万程度だ。
「違うよ!」
叫んだのはソーラだ。
「それ、間違ってるって」
男達が首を振る。
「お姫様、すぐにお助けいたしますからしばらくの間、ご辛抱を」
「ねえ、僕の話聞いてる?」
「脅されてそのようなことを言わざるを得ない状況、お察しいたします」
言いながらも、誰もナイトの前に歩を進めるものはいない。
剣先を見つめて固まるばかりだ。
「あのね、ナイトが僕をかどわかしたんじゃなくて、僕がナイトをかどわかしたんだって父上に伝えて」
「姫!」
何という男のプライドを逆なでするような言葉か。
「誤解を招くようなことを仰られるな!」
「だからナイト、敬語!」
「馬鹿を言いなさいっ!」
こんなときに姫にため口を利いて、嫁入り前なのに変な噂が立ったらどうする?
(……いや、そんなことより海の城の王、だ)
事情を分かった上で、ナイトを賞金首に仕立て上げたのなら、高度な政治的判断からそうせざるを得なかったのかもしれない。
(なら、王のためにも、捉まるわけにはいかん)
考えつつ、ナイトは姫を後にじりじりと下がった。
同時に男達がゆっくりと同じ間合いを保ったまま、部屋に入ってくる。
「とうっ!」
そこを一突き、前にむかって踏み込むと、男達はなだれるように後に下がった。
瞬間の隙に、ナイトはソーラを横抱きにして、窓を蹴破り一階まで飛ぶ。
先に窓から外をみていたので、草の多い場所は把握していた。
(……つうっ)
少し衝撃が足にきたが、余裕がないのでそのままナイトはソーラを抱えたまま走った。
「ちょっ、ナイト!」
ソーラが暴れる。
「下ろしてよ、でなきゃ、君、犯人に間違えられちゃうよ!?」
「すでに賞金首だ」
「ずるいや!」
「なにが?」
「ナイトだけ三万Gで、僕はただなんて!」
ソーラを無視してナイトはかなりの距離を走った。
馬で追われるとやっかいなので、姫を抱えたまま崖を登る。
そしてまた数キロ走る。
(……ここまでくれば安全か)
ナイトは目の前にそびえる頂を見上げた。
ここは海の城の領内で一番高い山のある域だ。
「ふう」
ソーラを下ろしてナイトは木の根元に座りこむ。
(修行が足りんな)
この程度のことで、肩で息をしている自分の弱さに腹が立つ。
「ねえ、ナイト」
腰に手を当て、仁王立ちになったソーラがナイトの前に立った。
「どうして僕を抱えて逃げたのさ」
「それが一番いい方法だと思ったからだ」
「僕だって走る足ぐらいあるよ」
「海の城の領内は、俺の方が把握している。今一番怖いのは、途中ではぐれることだと考えた」
ソーラは肩をすくめる。
「どうだろ」
悔しげな顔でソーラはため息をついた。
そしてナイトに立ち上がるよう促す。
「取りあえず、いこっか」
ナイトはうなずき立ち上がった。
「この山は大地の城と海の城の領内の国境にある」
「じゃあ、これを越えるの?」
「いや、」
あまりに険しくて、鳥のように飛ぶ術でもない限り、登れぬ山というのがこの世界には存在する。
「徒歩では無理だ」
ナイトはやや南西を指さした。
「だが、少し行けば、大地の城領につながるトンネルがある。そこを抜けよう」
「追っ手はくるかな?」
「多分来ない。そこはここいらで最も強いモンスターの巣窟だからな」
「結構、レベル高い?」
「ああ」
頷きながらナイトはソーラを見た。
「だから、担いでソーラの体力とMPをここまで温存した。ここからは俺一人では無理だ」
月の光の下で、ソーラは満面に笑みを浮かべる。
「うん!」
(……よし)
ここにきて、ようやくナイトはソーラの扱い方のこつをわずかではあるが会得した。
「行くぞ」
ナイトは道々に枯れたアカマツを探し、油が芯によく溜まったものを選別して袋に入れる。
洞窟は暗い。
昼間なら時折、わずかに天井に空いた隙間から太陽の光がわずかに差し込むことはあるが、それでも松明がないと思わぬ怪我をしたり、道に迷ったりする。
「あ、栗だ!」
気がつけばソーラが栗の木の下に行き、イガを踏んで栗を出していた。
お姫様のくせに食料確保に余念がない。
しかも存外器用だ。
「ここで煎っておこうよ」
たき火を起こし、栗を入れる。
「はぜるから気をつけて」
栗を煎り終わったら少し寝よう。
重いまぶたを無理にこじ開けながら、ナイトはそう思った。