海-大地 国境の村1(ナイト)
「ところで」
軽快な足取りのソーラがナイトを下からのぞき込む。
大型ツノ兎との戦いで、体力、魔力ともに消費してしまったソーラは、実際かなりぎりぎりの状態だったが、そこからそう遠くない場所に質のよい薬草が生えていたことや、出会い頭に二人を襲った大猪をナイトが倒し、しばらく肉にことかかなかったことなどが幸いし、今ではすっかり回復していた。
「君、どうしてウサギの気持ちがわかったの?」
「ウサギの気持ち?」
「あの、守りたいっていうやつ」
「ああ」
ナイトは頷いた。
海の城領内を縦断し、最近になって、ようやく敬語を使わずに姫君と話すことに少し馴れはじめてはいる。
だが、まだ多少ぎこちない。
「何故かはわからないが、あの黒い石を持った瞬間に、見たこともない風景を懐かしいと感じ、同時に何かを守らなければならないという気になった」
言いながら、ふとあのときに聞きそびれていた疑問を思い出す。
「そう言えばあのとき、黒い石があのツノ兎を支配したとか何とか言っていたな?」
「うん」
「実は、その意味があのときわからなかった」
ソーラは頷く。
「随分前に聞いた話なんだけど、世の中には感情を持つ石が時々あるらしいんだ」
「石に感情?」
不思議な話ではあったが、鏡が喋る世の中だ。
そんなことがあってもおかしくはない。
「あれがそうかどうかは知らないけどね」
言いながらソーラはにこにこと笑った。
「大地の城についたら、それも一緒に確認してみる」
(大地の城で一緒に確認?)
言われて初めて、ナイトはソーラが大地の城に何をしに行くかを全く聞いていなかったことに気づく。
「大地の城に、知り合いでも?」
「うん、ずっと前、空の城に遊びに来た子と友達になって」
ソーラはわずかに小首をかしげる。
「って言っても、最後に会ったのは九歳のときで、向こうが僕を覚えているかどうか」
間違いなく相手が姫を覚えている方に、ナイトは持ち金を全部賭けた。
「とっても物知りで、図書館のどこに何の本があるかも全部知ってて、いっつも何かしら調べてる子だったんだけど」
ソーラは空を見上げた。
「元気かな、エルデ」
ナイトは眉を寄せる。
どこかで聞いた名だ。
「そのエルデがね、今度会うときまでに、この足輪を外す手だてを調べておいてやるって約束してくれたんだ」
「足輪を?」
ナイトはソーラのほっそりした足首にぴったりとついているそれを見た。
継ぎ目のないその足輪には、それでも拘束することを前提にしたものなのか、鎖をつけるための小さな輪が下部に別についていて、ソーラが歩くたびに一個だけ残っている鎖が揺れてしゃらしゃらと鳴った。
「ということは、その足輪は、塔に幽閉される時につけられたものではないのか?」
「うん。これは僕が産まれてすぐに、なんか偉い魔法使いが僕につけたらしい」
そんな話もあったような……
「空の城の城下町では色んな噂が出ていたが、その足輪をつけたのは、老ウィザードという男なのか?」
「詳しいことは教えてもらえないんだけど、老ウィザードは父上とけんかして出て行った悪い魔法使いで、この足輪を僕につけた偉大な魔法使いっていうのは父上と仲良しの別の人だよ」
「……そのとき、足輪をつけることに誰も反対はしなかったのか?」
「わかんないけど、多分」
「赤ん坊の時についていた割に、足首にぴったりな気がするが」
「年々、足に合わせて大きくなってる。本当に変な足輪なんだ」
ナイトは眉をひそめた。
「いくら偉大な魔法使いが言ったからって、そんな禍々しいものを、親が子供につけるなんて……」
少し疑ってみようとか思わないものなのだろうか。
ふと、ソーラが不思議そうにこちらを見る。
「……そういえば、君、初めてこれを見たときに哀しいって言わなかった?」
はっきりと覚えてはないが、言ったような気はする。
「僕、それを聞いて君を信用する気になったんだ」
「え?」
「だって、そんなこと言ったの、君が初めてだから」
意味がわからずソーラを見ると、彼女……いや彼は微笑んだ。
「僕もね、ずっとこれを哀しい色だと思ってたんだ。だから、小さかった頃に誰彼なしにそう言ったんだけど、みんな不思議そうに首を振って、真珠のように綺麗なリングでございます、とか言っちゃってさ」
ソーラが可愛い唇を少し尖らせた時だった。
丘の向こうにきらっと光るものが見えた。
「あ」
同時に気がついたらしいソーラもそちらを指さす。
「あの高いの、教会の屋根だ」
ナイトは頷く。
「どうやら村についたようだな」
村の名の書かれた表札を見て、ソーラは嬉しそうに笑った。
「この村の特産はチーズなんだよ。いつも大会で賞を取ってる」
「途中、結構モンスターを倒しているから、チーズぐらいなら何とか買えるだろう」
モンスターにも色々いるが、スライムなどは倒すと小さな石になり、それを売ると金になる。
ツノ兎や熊などのような動物は、角や肉を売ると金になり、その値段はモンスターの強さにほぼ比例する。
つまりはモンスターを倒せば倒すほど、そしてレベルの高いモンスターであるほどお金が儲かる仕組みになっているのだ。
空は紅い。
「買い物を先に済ませ、それから宿を取りましょう」
「……ナイト、敬語」
「……ああ」
村の門をくぐりながら、ナイトはソーラの言葉を聞き流す。
(…………まずは猪の肉を売って、乾し肉とチーズを買おう。それから姫の装備を少し調えて……)
最初に見つけた道具屋に取りあえず二人は入った。
「モンスターの石と、猪のロース肉を売りたいんだが」
道具屋の髪の薄い親父は、驚いたようにナイトをまじまじと見つめ、それから慌てたように首を振った。
「は、は、はい」
挙動がおかしい。
(……まあ、いい)
「350Gになります」
ナイトは金を受け取った。
「毒消し草を二つ」
「20Gになります」
妙に親父はおどおどし、時折ソーラの方に視線を送る。
(……なるほど)
彼は納得した。
恐らくソーラがあまりに美人なのでうろたえているのだ。
「ナイト、チーズは?」
「ここにはないようです。宿屋で聞いてみましょう」
「……敬語」
「ああ」
外に出るともう日は完全に沈み、闇が押し寄せている。
(……とりあえず、宿屋で休み、それから町の人と話をしよう)
体力を戻しておかないと、何かイベントが発生したときに大変だ。
「宿屋か……」
にこにことソーラは笑う。
「久々にスローフード、食べられるかな」
ふと、ナイトは気がつく。
生まれてから今まで、足かせこそつけられた時期もあるが、恐らく食事も衣服も最上のものをあてがわれてきたソーラが、よくこの何日間、文句も言わずに耐えてきたことか。
「いらっしゃいませ、一泊18Gですが、お泊まりになりますか?」
宿屋の女将が常套句を言いながら、目を見開いて二人を見た。
不審に思いながらもナイトは言葉を発する。
「シングルルーム二つ」
「う、うちは一部屋しかないので結果的にはツインになります。どうされます? お泊まりになりますか?」
一瞬躊躇したナイトだったが、
「泊まります! 二食つきで」
大きな目を輝かせてソーラが返事をしてしまった。
「それと、チーズがあったら晩ご飯に欲しいんだけど?」
女将は我に返ったように頷く。
「宿泊料に含まれていませんので、別途5Gいただきますがよろしいですか?」
「ねえ、いいでしょ、ナイト?」
「はい、もちろんです」
「はいじゃなくて、ああ、でしょ?」
はしゃぐソーラを横目にナイトは前金を払う。
「お部屋は二階です。お食事はルームサービスでよろしいですね?」
「結構」
仕方なくナイトはソーラと部屋に入る。
「わあ。ここ、お風呂もあるよ! 先に入っていい?」
訳もなくナイトは赤くなり、そうして気を紛らわす為に窓をわずかに開けた。