空-海 国境の門2(ナイト)
「ねえ、昨日、どうしてここから引き返さないといけないって言ったの?」
翌朝、元気一杯のソーラが木こりに尋ねた。
逆に睡眠不足で目が充血しているナイトは、しきりに目をこすっている。
「ここから先は海の城の領内に向かう一本道になっていてな」
そんな彼をにたにたと意味ありげに見ながら、木こりは頷いた。
「数キロほど歩けば、大きなアルミ製の門が立っている」
「……アルミの門って、なんか珍しいね」
ナイトは木こりを見る。
「その門の役目は?」
「空の城の領地と海の城の領地の境を示し、それこそ悪い奴がそこを通らないように見張るための魔法の門だ」
「泥棒とか、そういう人たちの?」
「こそ泥のたぐいではなく、心に禍々しいものを持っている人間を見分けるようにできてるらしい」
「意味、わかんないよ」
「聞いた話じゃあ、行方不明の空の城の姫様を誘拐した魔物や、悪魔に魂を売った人間を見分け、それを空の城の衛兵に伝えるらしい。仕組みまではわかんねえがね」
ソーラの顔色が変わった。
多分、心当たりがあるのだろう。
「で、話を元に戻すが、その門の側に、去年ぐらいから見たこともないような大きなツノウサギが住み着いて、通る者を軒並み襲っている」
「何故?」
「化けもんが人を襲うのに理由なんかあるのかい?」
木こりは肩をすくめた。
「とにかく、どんな強い悪党どもでも、瀕死の重傷を負って帰ってくる。中には死体になって戻ってきた奴もいた」
「だから通れないって?」
「門の両側は崖で、山を下るにはそこしか道はない」
「でも、僕は引き返すことはできないから」
「生命を粗末に扱うんじゃないよ、嬢ちゃん」
木こりは真剣な顔になった。
「悪いことは言わないから、ご両親の元へ帰りな。誠心誠意、自分の気持ちを伝えれば、きっと分かってもらえるから」
姫君は首を振る。
「説得してる間にタイムオーバーになっちゃう。僕は行かなきゃ」
言うや否や立ち上がり、ソーラは木こりに頭を下げた。
「一宿一飯の恩義、忘れません」
どこでそんな言葉を覚えたのだろう。
仕方なしにナイトも立つ。
「本当にお世話になりました」
「どうしても行くっていうなら止めやせんが、対戦してみてマズイと思ったら戦わずに逃げるというのも方法だ。それを忘れないように」
「はい」
意気揚々と右手を挙げ、そして小屋を出るソーラの後を、ナイトは眉間にしわを寄せながらついていく。
道は昨日までと違って、人の歩いた跡があり、進みやすい。
「……元気ないね、ナイト」
不安そうに見上げるソーラに、ナイトは首を振る。
「特に昨日と代わりはありませんが」
「そんなことないよ、ほら、眉毛の間のしわが一本多い。心なしか前髪も後退したような……」
お前のせいだ、と喉の上まで言葉が上がったが、ナイトはようやくにしてそれを押さえた。
「気のせいです」
「そう?」
ナイトは息をつく。
「それより姫の……」
「ソラ」
「……ソラのお疲れは取れたのですか?」
「文法が変」
「ソラ様のお疲れは取れたようですな」
ソーラは肩をすくめた。
「君もスカイと一緒だよ。あいつも何回言っても姉上、姉上って」
「十年そう呼んでいれば、突然言い方を変えるのは大変でしょう」
「ママ、って呼んでたのを、母上って呼び始めた子供が、かなりすぐに順応したのを僕見たよ」
ああ言えばこう言う。
ナイトはため息をつく。
「世間というものを学べば、俺が貴方を呼び捨てにできない理由が自ずとわかります」
「友達になれない理由も?」
「それは別です。それは世間を学ばなくともわかり……」
と、そのときだった。
「!!」
何か大きな青っぽい紫の塊がこちらに突進してきたのを見て、ナイトはソーラを抱えた。
そして、横の草溜まりに二人して転がる。
「なっ!」
突進してきたモンスターは、五十メートルほど先の岩にぶちあたり、岩を砕きながらその場に止まった。
「ツ、ツノ兎?」
「いえ、それにしては大きすぎます」
色も兎にしては変だ。
「あれが、木こりのおじさんが言ってた……」
ナイトはソーラから離れ、大きなツノ兎の目線の先に立つ。
そうして剣を引き抜いた。
思った通り、兎は鋭い角を彼に向けると、イノシシのように走ってきた。
ひらりとかわし、兎の腰に向かって剣を振るう。が、
「!」
ごりっという音が聞こえた。
刃こぼれしたかもしれない。
(……硬い)
今まで戦ったツノ兎とはレベルが格段に違う。
再び振り向いた目は赤く充血し、憎悪に鈍く光る。
(……どこか弱点を攻撃しないといけない)
数回剣を振るったが、相手は金属のように硬く、致命傷を与えることが出来ない。
(目、あとはのど笛)
冷静に分析し、敵を見据えた時だった。
「君の相手はこっちだ!」
声に驚いて左を見ると、少し高くなった岩の上に姫君が立ち、そして魔法を詠唱していた。
睡魔の呪文だ。
だが、今まで確実にモンスターを眠らせていたその呪文が今回は効かなかった。
逆に大型兎は岩を目標に突進した。
「あっ!」
ツノ兎が岩にぶつかったので、ソーラは体勢を崩して地面に滑り落ちる。
「姫っ!」
落ちたソーラの上に、兎がのしかかった。
慌ててナイトが助けに走ろうとしたその時……
「!!!」
大音響とともに、辺りが真っ赤になった。
高い熱。
焼けた岩がマグマのようにどろりと地面に落ちた。
声にならないような悲鳴を上げて、兎が跳び上がる。
その毛皮の焼けこげた臭いが辺りに充満した。
「姫っ!」
倒れ臥し、動けないでいるソーラに駆け寄ったが、気配を感じて振り向くと、まだ大型兎は生きていた。
そして、最後の力を振り絞るようにこちらに向かって走ってくる。
慌ててナイトは立ち上がり、ソーラを庇うように仁王立ちになった。
「……な、ナイト」
喘ぎが後から聞こえる。
「魔法、角に吸収されて効果が半減するんだ」
角……
ナイトは突進してきたモンスターのそれに集中する。
身体ですら切れないのに、角が剣で切れるのか。
(わからんが)
気魄を充実させ、五感を研ぎ澄ませると確かに感じる。
禍々しい気が押し寄せる、その根源。
(……無心であれ)
ソーラが巻き添えにならないよう、ナイトは自ら前に走った。
そうして、わずかに斜めに身体を開く。
さくっ……
そんな感触とともに角が飛んだ。
そのまま走り来た大型兎はナイトを勢いよくなぎ倒す。が、
意外に衝撃は少ない。
「……縮んだ?」
角を切った瞬間から、兎の身体は縮み始め、ナイトに当たったときには既に普通のツノ兎程度になっていたようだ。
ばたりと倒れた兎の目から充血がとれる。
「キュウ」
モンスターは哀しげに一声吠えた。
もう、害はない。
額の汗をぬぐったナイトのすぐ側に、ツノ兎の角が落ちていた。
「大きいな」
普通の角なら3Gだが、これなら十数Gくらいで売れるだろう。
彼は手を伸ばしてそれを拾い、袋にしまおうとしたが、
「?」
何かがぽろりと地面に落ちた。
見ると、小さな黒い石である。
(変わった石だな)
それは普通の黒曜石ではなく、ひどく暗い黒だった。
まるでこの世の闇を封じ込めたような。
(……高い値で売れそうだ)
ナイトはそれも拾おうと手を伸ばした。が、
「うっ!!」
突然、電流のようなしびれが身体に走る。
そして目の前に広がる懐かしい風景……
(……これは、)
澄んだ水が小川をさらさらと流れていく。
地下からわき出ている水は、夏は冷たく冬は温かい。
いつも釣りをしていたあの岩が見え、ナイトはふと微笑む。
食べる目的で釣っているのではないから、いつもリリースしたが、二十センチのイワナが連れたときだけは皆に見せて回った。
小川の半ばまでかかっている木の葉が風に揺れるたび、薄ぼんやりとした光が川面を走る。
人口五十人に満たないこの村。
無欲とは言い難いが質実な村人。
優しく笑い合う仲間たちと、心地よい自然に囲まれた自分。
閉ざされた世界だが、ここを抜けようと思ったことは一度もない。
むしろ、ずっと守りたい、そう思わせる。
外の世界が自分たちに厳しいことを知っているだけに、思いやりがしみ通るような関係ができた。
(……すべてを守りたい)
いや、守り抜いてみせる。
この安らぎを永遠に……
「ナイトっ!」
ソーラの声に彼は白昼夢から覚めた。
「……え?」
一言呟いてから声の方を見ると、心配そうな表情に行き当たる。
「……今のは?」
言いかけてナイトは言葉を止めた。ソーラは側の岩に手をついて、やっと立っているという風情だ。
「姫、お怪我は?」
ソーラは首を振る。
「怪我は大丈夫。ただ、さっきMP全部使ったし、体力限界。もう動けないかも」
言われてから、兎を倒したあの強烈な一撃を思い出す。
「あの強大な火の玉は普通の火球ではありませんね?」
「うん、真大火球」
「…………は?」
「火球の改良系。」
「真、大火球?」
あの、いにしえに封印された大魔王が使っていたと教科書に載っていたあの魔法なのか?
「ま、まさか、」
ナイトは絶句した。
「そんな魔法までお使いになるのですか?」
「幽閉されてる間に相当勉強したもの」
「……それは説明にはなっていません」
いくらそっちの方面にうといとはいえ、真大火球を使える魔法使いなどこの世にほとんどいないと言うことぐらい知っている。
では、ソーラのレベルとは……
「先に言っておくけど、僕の経験値は低いよ」
「しかし」
「魔法は確かに覚えてるし唱えられる。だけどね、僕は絶対的にMPが足りない」
ソーラはため息をつく。
「しかも、常時体力を満タンにしておかないとすぐに歩けなくなるから、回復魔法用にMPをかなりキープしないといけなくて、使えるMPが限られてるから高等魔法は知ってても出せないに等しい」
「そういえば」
たまにそういう魔物もいると本で読んだ。
強大な爆発魔法を唱えられるが、MPが足りないために不発に終わる小悪魔などが代表例だ。
「あ」
ナイトはソーラをまじまじと見る。
「言われてみれば、確かに」
(……こいつも小さい悪魔だ)
頭はいいが、妙に片意地張るし、扱いにくい。
逃亡するのには邪魔でしかない目立つ美貌があり、体力ないくせに覇気だけはある。
「それはそうと、君、さっき何か黒い石を拾って、その後少しトリップしてたけど……」
「え?……ああ」
言われてナイトは辺りを探す。
「確か、兎の角から黒い石が落ちて、それを俺は掴んだはずなんだが……」
ソーラは不思議そうな顔でナイトの手のひらを眺めた。
「僕の見たものが幻覚でないなら、その石はすっと君の手の中に吸い込まれて消えたよ」
「まさか」
しかし、確かにあの不思議な石はどこにもない。
「まあ、いい」
ナイトは肩をすくめた。
考えても仕方がないことは考えないのがサリヴァン将軍流だ。
「全て解決したのなら」
言われてソーラは紫色のツノ兎を見つめる。
「解決、したのかな?」
よろよろとおぼつかない足取りで、ソーラは兎の側に寄る。
「気をつけてください、まだそいつは息があります!」
「わかってる」
ソーラは座り、木こりからもらった上薬草を取りだした。
そしてそれを兎の傷にすり込むと、モンスターはわずかに目を開けた。
(……自分に使えばいいものを)
生来、優しいたちなのかもしれない。
「角が切られた瞬間、この子から禍々しさが消えたんだ。そして、君の中に黒い石が溶け込んだ瞬間、この子は我に返った顔をした」
ソーラはそっとその毛皮をなでた。
驚いたことに、ツノ兎はされるがままになっている。
「あの黒い石が、そいつを支配していたと?」
「多分」
「なぜ?」
「それはわかんない。その石にどんな感情がこもっていたかまで、僕はわかんないから」
「石に感情?」
ナイトは首をかしげる。
「とは?」
「あれがそうかどうかは知らないけど、世の中にはそういう記憶媒体になるような石があるって聞いたことがある」
姫君は泥だらけの顔で微笑んだ。
「それは、石と同じようなことを考える人や獣に力を与えるって」
ナイトは眉間にしわをよせた。
不意に思い出す小さな小川……
初めて見たはずなのに、あの時確かに既視感を感じた大きな樫の木。
「……守りたい」
ソーラがきょとんとした顔でこちらを見る。
「この景色、この土地を守りたい、あの石はそう思っていた」
兎が顔を上げてこちらをじっと見た。
「……そうなの?」
姫の言葉がわかったのか、兎は頷いた。
そして、目の前の大きなアルミの門を憎々しげに見つめる。
「ひょっとして君、あの門が嫌いだとか?」
兎はふんふんと頷く。
「なんで?」
ソーラはゆっくりと門に近寄り、そして門を動かしかけて顔をしかめた。
「うわっ、ダメっ!」
ナイトは驚く。
「どうされました、何事ですか?」
「君、聞こえない?」
「何が?」
「きいっ~っていう音」
「聞こえますが?」
「それでどうして大丈夫なの?」
「と言われましても」
ソーラが何を言っているのかわからない。
「この音が、ツノ兎は嫌いなんだ」
ソーラは側にあった樫の木を指さす。
「モンスターだけじゃない、ほら、木もなんか枯れてきてるし、この辺りの自然はみんなこの音が嫌いなんだよ」
そうしてゆっくりと大きなアルミ門を見つめる。
「通信を優先するが為に、僕ら人間が不自然な空間のひずみを作っちゃったんだね」
「……はあ」
生返事をすると、ソーラがこちらを睨み付けた。
「君、ひょっとしてガラスに爪をたてて、きいっ~って音、平気なタイプ?」
「は?」
「金属製の食器にフォークで、きいっ~って音させるのも平気?」
「行儀が悪いという点では嫌悪を感じますが、音がどうかと言われましても……」
ソーラとツノ兎は同時にため息をついた。
「鈍ちん」
「きゅう」
なんだか馬鹿にされているようで嫌な感じだ。
「ところで、ね?」
姫君は一つ首を振ってからナイトを見上げた。
「君たちにお願いがあるんだけど」
そうして、彼とツノ兎を代わる代わるに見た。
「ナイトには、この門を壊して欲しいってお願い」
「え?」
「そうして君には」
ソーラはモンスターを見る。
「この門を壊す代わりに、門番になって欲しいっていうお願い」
ツノ兎も驚いた顔でソーラを見る。
「悪い魔がここを通ったら、それを空の城に知らせて欲しい。それをしてくれるなら、もう君がこのアルミの門の音を一生聞かなくていいように、この人が壊してくれるから」
勝手なことばかり言う姫に、ナイトは肩をそびやかした。
「先ほどからやたらアルミの悪口をおっしゃいますが、これほど軽く、加工しやすく、そして安価な金属など他には……」
「きゅう」
ツノ兎はうるうるとした目でナイトを見上げた。
「ね、お願い」
兎と姫の両者に手を合わせて哀願され、ナイトは仕方なく立ち上がり、そして鞘を払った。
「では」
剣を二閃させると、門の支柱が斜めに入った切れ目からゆっくりとずれ、ごおんという音を立てて壊れた。
「これでよろしいですか?」
「ありがとう、ナイト!」
姫は立ち上がってツノ兎の手を取る。
「あと、君は突進してばっかだから、一つ魔法を教えておいてあげるよ」
ソーラは兎の耳に口をあて、レクチャーをした。
「睡魔の呪文は便利だから、何かあったら使うといいよ」
何だかよくわからないが、見たところ兎は感謝しているようなので、うまく伝わったのだろう。
「じゃあ、約束。これからは君が門番だ。いいね」
頷く兎の肩に手をかけ、ソーラは立ち上がろうとした。
が、足に力が入らないらしく、どうしても動けない。
仕方なくナイトは背を見せてソーラの前に屈んだ。
「どうぞ」
「……どうぞ、って?」
「背負いますから乗ってください」
ソーラはしばらく固まっていたようだったが、やがて強い口調で返事した。
「やだ」
「どうして?」
「ナイトが敬語使うからやだ」
「しかし、それは貴方に問題が……」
「ないもん」
「姫」
肩越しに振り向くと、姫はまたスライム王状態になっていた。
「君が自分の行為を振り返り、そしてそれが友情をはぐくむに相応しいかどうかを検討しろって言ったから、僕は一所懸命考えたんだ」
目が必死で訴えている。
「そして、悪いところをちゃんと直した」
「具体的に、どこを?」
意地悪な問いに、ソーラは胸を張った。
「君を信用した」
「え?」
「君が友達になってくれそうになかったから、とりあえずは自分しか信用しないことにして、モンスターが出たら自分だけの力でやっつけてた。だけど、君は根っから親切だし、バドが認めた男だし、それにツノ兎が出てたときにとっても強いって認めざるを得なかったから、君を信用して真大火球を使ったんだ」
ソーラは顔を赤らめた。
「あれ撃ったら、その後、どこかの村につくまで、君はずっと一人で戦わないといけなくなるって思ったけど、多分、君なら大丈夫だって思って」
思わずナイトは苦笑する。
「だったら、遠慮せずに乗れ。……そのつもりでMPを使い果たしたのなら」
「うん!」
嬉しそうな顔で突然ソーラが首に腕を回したので、ナイトは一瞬息がつまった。