大地の図書館1(ソーラ)
「歩き方がぎこちないな」
エルデがしげしげとソーラの左足を見る。
「見せてみろ」
「え、いや、その……」
断ろうと手を振っている間に、相手はもう靴を脱がせていた。
「うわっ」
破れた複数の血豆を見て、エルデが小さく声を上げた。
「何故、こんなになるまで放っておいた?」
「これ、魔法が効かなくて……」
見上げると、ナイトが眉間にしわをよせてこちらを見ている。
少し情けなくなり、ソーラは再びうつむいた。
「確かに、これは回復魔法改でないと無理だな」
回復魔法改、略して回改は、より強い回復魔法で、結構辛いダメージでもそこそこ回復してくれる。
「あ」
エルデが呪文を唱えると、途端にずきずきする痛みが消えた。
黒ずんでいた皮膚が、再び元の白さに戻る。
「もう歩けるな」
今までも歩いていたのにと思いつつ、それでも素直にソーラは頷いた。
「ありがと、エルデ」
それを合図のように、ナイトが無言で歩き出す。
慌ててソーラもその後についた。
「ところでね、エルデ、なぜここに君はいたの?」
ソーラが尋ねると、エルデは少し笑った。
「もちろん、君たちがここに来ると思っていたからだよ。ただ、俺の計算では四日前の今頃には洞窟を抜ける計算だったんだがね」
ナイトが胡散臭げにエルデを見る。
「どうしてそう思った?」
「君と姫のレベルとスキル、そして、国境の村を出た日にちと時間を考えると、それくらいだと思ったんだが」
「……どうして俺のレベルを知っている?」
「連合王国一の剣の使い手と言われている君について、俺が知らない訳はないだろう?」
「じゃあ、どうして国境の村を僕らが出た日を知ってるの?」
エルデは笑う。
「連日、大騒ぎだよ。海の城、空の城から毎日使者が来て、美しく可憐な姫君救出とそれを誘拐した悪辣な犯人逮捕の協力をうちの王に要請している」
ソーラは首を振る。
「違うんだ。これには深い訳が……」
「知っているよ。君がナイトをかどわかしたんだろ?」
「おい!」
ナイトが不愉快そうに眉を上げた。
「語弊のあることを言うな」
「姫がそう言ったと村人Aが証言していると裏情報で聴いた。公式の調書からは削られているが」
「信じてくれるんだ」
エルデは再び微笑んだ。
「当然だろ……ま、そんなことより」
エルデは嬉しそうに頷いた。
「取り急ぎ君の知らないはずの大ニュースを言いたくてうずうずしているんだ。まずはそれを聞いてくれるかい、ソーラ?」
「おい、俺の話はそんなこと、で終わりか?」
ソーラもとりあえずナイトの存在はスルーする。
「いいよ、エルデ、言って」
と、エルデはソーラの両手を掴む。
「婚約おめでとう」
ソーラは微笑んだ。
「はい?」
「もちろん、俺にとっては残念なことだがね」
ソーラは目をしばたかせた。
「婚約?」
「ああ」
「誰の?」
「だから君のさ」
たっぷり十秒ソーラは固まり、そのあと自分で自分の顔を指さす。
「……僕の?」
「そうだ」
「そ、そうだ、じゃないって!」
思わずエルデの腕を掴む。
「なんで? 誰と? どうして?」
「相手が誰なのかということなら、海の城のマリン王子だ」
「えええええっ!」
ソーラは叫ぶ。
「なんでそんな急に!」
マリンとはソーラが七歳の時に一度会ったきりだ。
やたら無愛想な子供で、ろくに話もしなかったという記憶しかない。
「理由は不明だが、恐らく空の城の王が、海の城の王の覚えめでたきナイト逮捕を頼む見返りに婚約の話がまとまったのだろう」
「……いや」
声のした方を見ると、ナイトが苦々しげな顔をしている。
「海の王はそんな人ではない。それと俺は海の王の覚えめでたき人間などではない」
「信じる信じないは勝手だがね」
エルデが肩をすくめた。
「そういう訳で、このまま君たちが素直に大地の城に来ると、いささかやっかいなことになる。そこで俺が君たちを迎えに、そしてしかるべきところに隠れてもらうためにここに来たと言うわけだ」
ソーラは少し不安げにエルデを見る。
「……大地の城の人たちも、僕らを犯罪者として捕まえるつもりなの?」
「いや、大地の城は古来から法を重んじる。両者の言い分、状況をよく確認しないで結論を下すことはない」
「だが、いささかやっかいなことになるとお前は言った」
「ああ。引き渡せだの、そうしないと隣国としてのよしみがどうのと騒ぐ輩が絶対にいる。そうなると第三者的立場を貫くつもりの我々でも、政治的に嫌な決断をせねばならない可能性がでてくる。それを回避したい」
「何のために?」
「幼なじみの姫君の危難を救うためさ」
「他には?」
エルデはシニカルに笑った。
「むろん、我々の歴史的な法的中立に傷を付けないためだ」
ナイトは仏頂面で頷いた。
「そういうことなら信用する」
「感謝するよ、ナイト」
ソーラは少し笑った。
これではどっちが助けられる方かわからない。
「僕も、エルデに感謝するよ」
目の前の腕に、昔のように抱きつく。
と、
「こらっ!」
何故かいきなり首根っこを掴まれてエルデから引きはがされた。
「そういうことを、誰彼となくやってはなりません」
「どうしてさ?」
「……それは」
ナイトは瞬時黙り、そして厳かに言い放つ。
「男はそうことを軽々しくしてはならんのです。」
「!」
慌ててソーラはぱっとエルデから手を放してナイトを見る。
「……そうなの?」
一応、疑問符をつける。
「では姫は、男が男の腕に抱きついて歩いているのを見かけたことがありますか?」
少し考えてから首を振る。
「ない」
「では自明ですな」
ソーラは仕方なく頷いた。
「……わかった」
と、
「おもしろいよ、二人は」
隣で何故かエルデがくつくつと笑っている。
「なんだ?」
不機嫌そうな顔でナイトが見つめると、エルデは感心したような顔で相手を見返した。
「いや、この難しい姫の操縦を、よく短期間でマスターしたなと思ったのさ。スキル20ポイントというところか」
意味がわからないのでエルデを見ると、相手は昔と同じように優しい顔でこちらを見下ろす。
「とりあえず、我々が向かうのは王立図書館だ」
「図書館?」
「ここから10.8キロ南南東に行ったところにある」
「隠れるために?」
エルデは首を振る。
「いいや、君との約束を果たすためにね」
ソーラは目を見開いた。
「……覚えてたの?」
「当たり前だろ?」
嬉しくてエルデに抱きつくと、再び首根っこにうっとおしくも強い力を感じた。