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彼 四

 婚約者から、いや、その父からといったほうが正確だろう。ともかく贈られた白いスポーツカーで仙台に帰省した。正直、狭いし地面が近いし、音もうるさいし疲れる。しかし、せっかくもらった車を売り払ってしまうこともできず、走行距離を伸ばして使っているところを見せなくてはならない。


 婚約者は、大学の同級生で、年齢相応にかわいらしい。付き合って、婚約するまでには、いろいろな努力が必要だったが、何とか乗り越えてきた。まだ学生の身分で、という周囲の、特に彼女の父親の説得が一番大変だったが、どうにかここまで来た。彼女の父親は、政治家としては駆け出しで今後どうなるのか分からないが、経済界では大物であった。


 夏休みなので、仙台の実家に帰ったが、長居をするつもりはなかった。まあ2,3日もいれば飽きるだろう。特に会いたい人もいないし、懐かしい場所を少し巡るくらいだろうか、と思っていた。しかし市内をうろついていると、知った顔に行き当たり、どこで聞いたのか婚約のことを聞いてくる輩が現れる。まあ別に秘密にしているわけではないが、大して親しくもなかった同級生に、逆玉などと言われると釈然としない気持ちになる。お前らに、何が分かるのかと言いたくなる。言っても分からないだろうし、言うつもりもないので、何も言い返せないのが悔しい。


 そんなことを考えていた夕方、知らない番号から電話がかかってきた。同級生のだれかを経由して連絡を取ってきたのだろうか、そんな友人がいただろうか。もしくは、興味本位で飲み会に誘ってくる類の電話か、と思いながら出てみると、驚くべきことに「彼女」からだった。しかも要件は「会いたい」だった。


 最終的にどうなるにせよ、今は会う時ではないし、僕だって会っても気まずいし、彼女も会いたいはずがない。だから会って話をするというのは、もう少し後なんだと勝手に思い込んでいた。仙台に帰ったからといって、全くその可能性を考えていなかった。


 それでも迎えに行くと即答したのは彼女の「隠された理由」を知りたいからだ。彼女は何かを隠したまま、僕から離れていった。いくら問いただしても、頑なに彼女は何も言わなかった。単純な色恋だけなら、そういうこともあるだろう。でも僕にはそうとは思えなかった。そして彼女を傷つけてしまったのではないかという、今更の後悔も含まれていた。僕の事情を話し、弁解したかった。


 翌日、夕方になって彼女を迎えに行った。午後5時過ぎに彼女を乗せて、日没後、まだ少し明るい中、最初に出会ったキャンプ場に到着した。ここまで約1時間、軽い挨拶以外、何も話していない。気まずいというわけではなくて、彼女は何か考え込んでいるようだった。


 車を降りて、キャンプ場の少し奥に歩いていく。その間も、何も話をしなかった。僕たちが出会った辺りまで来て、どちらからとも言わず、立ち止まった。僕はさすがに何か言わなくてはならないと思い、言葉を探していると、彼女が口を開いた。


「婚約したんだってね」

「あ、ああ」


 やっぱり聞いていたのか・・・何て説明したものだろうか。


「本当に大好きだった君には振られちゃったから、方向を変えたんだ。僕が目指すことのために」


 冗談めかして言った。彼女の感情が読み取れない。無表情で言った。


「どんな人?」

「理想的な条件が揃っていて、本人は、まあ、普通にかわいい人だよ。申し訳ないくらいに」


 突然彼女の顔がゆがむ。こんな顔は、初めて見た。

「どうして、どうしてこうなっちゃったんだろうね。わたしは、わたし、は、どうして・・・」


 彼女は、いつの間にか刃渡り30センチ近い、柳包丁を手にしている。そして、刃を横に向け、僕の心臓に向けて突き出した。彼女の白い顔には表情が浮かんでいなかった。白い手。息遣い。ゆっくり、ゆっくり、まるで芝居のようだ。皮膚を破ったところで、彼女はいったん手を止めた。僕は、彼女の手を包むように握った。少しずつ身体に吸い込まれていく。鉄が、身体に食い込んでいく違和感、その後激痛が襲う。


 そこからゆっくりと倒れていく僕の目には、夜空に星が満ちていき、そして地上に降り注ぐ。僕は、死ぬのだろう。理由はよくわからないが、彼女がそう望むのなら、それでよい。僕は、僕の役目を果たせたのだろうか。もう、時間がない、けど、彼女に、何か、言わなくっちゃ。

「星が、きれい、だね」

 意識が遠のく。激痛も遠のいていった。彼女は、これで救われるのだろう。そう信じる以外、もう僕ができることはなさそうだった。せめて、もう一度キスしたかったな、なんて呑気なことを思いながら、自分自身が暗闇に溶けていくのを、眺めていた。


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