魔王の話
例のシリーズのひとつです。
よくわからないものが出来上がってしまった……。
とある田舎町を、一頭の馬が駆け抜けた。馬上には、白いフードを被った人影が見える。
風と景色が後ろへと流れ、消えていくのにも気を留めず、その人はただ無心に……否、ただ必死に、走り続けた。
夜明けは近い。
西の空が、茜色に染まっていた。
★ ★ ★
「よくぞここまで辿り着けたな、勇者よ」
流れるのは紅い何か。これは自分のものでは無い、と、勇者と呼ばれた男は呆然と立ち尽くしていた。
人々の笑顔も、賞賛の言葉も、異界から訪れて右往左往していた自分を快く受け入れてくれたその暖かさも、何もかもが、その暗黒の前に消え去っていた。
「……何故」
絞り出された言葉に感情はなかった。溢れんばかりの憎しみを、彼は「無」で表現していたのかもしれない。はたまた、理解が追いつかなかっただけなのかーー
「何故、とな。面白いことを聞く」
男を勇者と呼んだ魔王は、悠然と、人々が死屍累々と横たわる血の海の中で勇者を見下ろした。
「それは、守るためだ」
「嘘だっ!」
バチン、と何かが弾けるような音がして、それと同時にかの勇者の手には、一本の、聖剣と呼ばれた希望が握られていた。
「なら何故殺した。村の皆を、人間をっ!」
その問いに魔王が答えることは無い。何故ならその答えは、とても単純で、そして、とても残酷な通告だから。
「お主は少々、思い込みが激しいようだな」
それでも魔王は、瞳に若干の悲しみを乗せて、勇者に言葉を紡ぐ。
無駄だと解っていても、なお。
恨まれているだけなのは、とっても悲しいことだから。
「行け、勇者よ。人間を愛してやまなかった一人の異界の戦士よ」
どうか、人間たちの裏切りに、その真実に気付いてしまう前に、どこか遠くへと……。
否、違う。人々は信じてやまなかっただけなのだ。受け入れようとしなかっただけなのだ。決して誰が悪いわけでも無い。ただ、それぞれの種族の頂点に立つ者同士が、知りうる、互いが接触した時のみにわかる、その真実を、勇者が受け入れるには、まだ若すぎたーー
誰も悪くはない。ただ互いに、目を背け続けてきただけでーー。
世界を愛しすぎた魔王は、ゆっくりと勇者に背を向けた。
儚く美しい、夢を見た一人の若者だった。だが、それ故に、その姿はあまりにも痛々しい。魔王にとって例え敵でも、勇者は守る対象でしかなかった。
だから魔王は気付かない。魔王に恨まれないからこそ、真相に近づいて来ているからこそ、勇者の剣に迷いがあるのだということを。
だが、この時において、勇者は「勇者」ではなく、一人の若者でしかなかった。
剣が煌めく。美しく正しいその構えは、確かにこれから、正面の背中に向かって突きを繰り出すことを物語っていて。
ーーだが、その剣が、突き出されることはなかった。
「っ……君、は……」
「いい加減にしてください。気付いているのなら、それこそ争う理由など無いでしょう。自分の失態を、他者に押し付けないでください。彼の優しさに甘えないでください。もしあなたが、勇者を名乗るのだとしたら」
現れたのは、黒き剣士だったーー。
「君は、人間だろう」
勇者がそう呟いた。そこでようやく、魔王は驚愕の表情とともに振り返る。
「出直して来なさい、勇者。真実に気付いた、その後で」
見事な手刀が飛び、勇者はゆっくりとその場に崩れ落ちた。それを、慌てて魔王が受け止める。
「……君は一体、何故出てきたんだ」
呆れたような目線を軽く受け止め、ここの辺りでは珍しい片刃の剣を持った剣士は答える。
「私はこの世界が嫌いです」
ただ、それだけ。だから魔王、あなたの行動は、私には理解できないーーと。
世の不条理、理不尽は誰もが経験するだろう。誰かの言葉を借りるのであれば、結局は世界という名の人生という監獄の中で、生きとしいける生命達は、その命を燃やすためだけに出生のその瞬間から、最も残酷な死刑宣告を受けている 哀れな死刑囚に過ぎない。
そこになんの意味があるのか、世界からして、自分たちの紡いできた歴史は何を示すのか、やがて来る崩壊の時に、何が残るというのだろうか。
「それでも、それを誰よりも見てきたであろうあなたが、世界を愛していることが、私には理解できない」
彼は、理解できなくていいとでも言うのだろうか。
一人で孤高な道を行くにだろうか。
それを見届ける人はきっといない。いないはずだったというのに。
「旅人よ」
お主は変わっているな。
「人を見ても殺しはせず、出迎えてくれた恩人の正体が魔王だったとして、恩人であることに変わりはない」
「騙しているだけかもしれんぞ」
「それでも、信じる。私は自由な生き物でね」
信じたいものを信じればいい。
「なぁ」
再び魔王が切り出した。
「神についてどう思う?」
それに旅人は答えた。
「ーーどうでもいい」
その答えに魔王は少々驚いたように目を見張り、しかしどこか嬉しそうに微笑んだ。
「存在しようがしまいが関係ない。どの道助けてなどくれないのだ、自分の道は自分で決める」
水の音がした。いつの間にか、雨が降っている。
「人間は」
そんな中、今にもかき消えそうな声で、魔王は言った。
「人間は、髪を盲信するものだと思っていた」
その声に旅人は軽く鼻を鳴らし、くだらない、と、口の中で呟いた。
「お前はーー」
それを見て、聞いて、魔王は、言った。
とてもーー楽しそうに。
とてもーー嬉しそうに。
「変人だな」
要するに、クレイジーだったということである。
太陽が、東の空に沈んでいく。
こんな世界を、3人はきっと、愛していた。
太陽を黒い影がよぎった。
馬の背には、二人の人影があった。
馬の足取りは、いつもより少しだけ、重かった。
いつもより、少しだけ、重かったーー