第1話 赤ずきんちゃんとオオカミくん(1)
大昔、魔法使いと人間は共生していた。魔法使いは火を操り、水を簡単に運んだ。一方、人間は畑を耕し、武器を作り、狩りをした。
しかし、人間の中にはたまに頭の優れた者が現れ、彼らの画期的な発明によって人間の暮らしを劇的に変えることもしばしばあった。それは今まで行っていた魔法使いの仕事の代わりになるものも多く、人間は独自に知識と技術を着実に身に付けていった。
そして、時が経つにつれ、人間は魔法使いを必要としなくなった。それから程なくして魔法使いは人間の前から忽然と姿を消した。人間は魔法使いが絶滅したのだと思い込んだ。
しかし、ある日世界のあちこちに青白く光る石が流星群のように降り注いだ。その日を境に世界各所で魔法のような能力を使える者、つまり異能者の出現や怪奇現象が起き始めた。それらが人間に与えた影響は大きく、その能力を悪用しようとする者が現れたり、大人しかった動物が姿・形を変え、魔物のように人間を襲うようになった。
すると、人間が忘れかけていた、いや殆どの人間が魔法使いの存在を信じていなかった時代、人間の前に突如魔法使いが現れた。魔法使いは怪奇現象を解明し、異能者や魔物を鎮静化する動きを見せた。その力を目にしたある人間は魔法使いを神の使徒と崇め、またある人間は悪魔の手先だと恐れた。
しかし、人間の中に魔法使いの存在を知る者は未だ多くはなく、彼らは誰かに救いを求めていたーー。
鳥の囀りは耳の奥を突き抜け、森の空気は肺の中を浄化するように澄んでいる。葉の間からこぼれる太陽の光が森の中を明るく照らし、それが小さな池の水面で反射して宝石のように輝いている。
その風景に似合わない一際目立つ赤色の頭巾を被った少女が、その透き通った碧い瞳で水面を見つめていた。少女は池の水にゆっくりと手を伸ばしそっと掬った。それを自分の口元へ運び、ゆっくりと傾けて砂漠のように干からびた喉の奥を潤していく。その際、白くて細い指の間からこぼれ落ちた水が喉を伝ってキラリと光った。
一息吐いた後、背後を振り返り、
「何してんの、あんたも飲んだら?何も飲んでないでしょ?」
少女の目の先には、藍色の毛並みを持った一匹の狼がちょこんと座っている。狼は一歩一歩ゆっくりと少女の方に歩み寄り、そして水面に映る自分の姿を覗き込んだ。
元々は白い毛なのであろう顔と両手足の毛は、薄汚れていて少し茶色になっている。
鼻先を水面まで近付けると、警戒しているのか何かを嗅ぎとろうとしているようだ。暫くすると、舌を水に一度つけた。安全だと分かったのか、水に口を浸けた。
相当喉が渇いていたのだろう。
狼はがぶがぶと音を立てながら飲み始めた。
少女は飲むのに夢中になっている狼の体にそっと手を伸ばした。毛はごわごわと固く、体中は傷だらけだ。特に腹の古傷は大きく、何かで斬られたような痕があった。その傷をなぞるように指を這わせると、狼の体はビクリと動き、顔をこちらに向けた。その瞳は拒絶するわけでも、警戒しているようでもなかった。ただ無表情の少女の顔だけを映していた。
「お前、帰る家あるの?」
狼は特に反応する事はなく、瞬き一つするだけだ。
言葉が分からないのか、本当に帰る家が無いのか、そもそも狼と意思疎通出来るのかも分からないがこのまま放っておくのはなんだか忍びない。特別動物が好きというわけではないが、この狼は何となく普通の狼とは違う、そんな根拠の無い直感が働いたのだ。
「ねぇ⋯⋯私と一緒に来ない?」
狼は体を少女に向けた。まるで言葉が通じたかのように傾聴の姿勢を取っている。
「私さ⋯⋯、小さい時からずっと一人で生きてきたの。最初は一人じゃ何も出来なくて、生きているのも辛かった⋯⋯。縋るものも頼る人も何も無い⋯⋯。ただ、一人だったんだ⋯⋯」
少女の瞳は陰りを見せ、狼はそれをじっと見つめている。
「なんとなく食べ物を口にして、なんとなく生きてきた。欲は無かった。感情も無かった。生きたいとも、死にたいとも思わない。何も⋯⋯何も無かったの。⋯⋯けどね、ある時気付いたの。私の中には、ある感情が宿っていたことに。忘れてたのかもしれない。忘れていたかったのかもしれない。受け入れたく無かったのかもしれない。でも⋯⋯、やらなくちゃ。私しか、出来ないことだから⋯⋯」
少女はゆっくりと狼の下顎に手を添えた。
「縋るなら⋯⋯お前みたいに話を聞いてくれるやつがいいかもね⋯⋯」
少女はふっ、と不敵な笑みを浮かべて、
「ねぇ⋯⋯私と一緒に復讐しない?」