何気ない日常をこれからも過ごせると思っていた時期が僕にもありました
鏡に映っていたのは、それはそれは麗しい一人の美少女でした……
◆◇◆
時は遡り、夏のよく晴れたある日。
その日は眩しすぎるほどの、快晴でありました……なんて、脳内で語り部っぽく反芻させながら、鞄からPSPを取り出す。
僕は、ついこの間高校生になったばかりのしがない学生だ。といってもこれといった特徴がない僕は、彼女をつくろうにもつくれない。悲しい哀しい童貞なのだ。
そのため、こんなよく晴れた休日であったとしても近所の誰も近づかない廃れた公園でギャルゲーなどをして荒んだ心の安寧を謀るしかないのだ。
なぜ公園でゲームをするのか……。家ですればいいだろう?なんて思うかもしれない。
しかし、これには海よりも深~い訳がある……。「フーン、海といっても深さは色々だよ?どのくらいですかぁー?」なんていう意見はいらない。 とある友人にこれを言われたとき最高に苛立った。アイツのことは絶対に許さない。末代まで呪ってくれるわ!
話が逸れたが、実は現在僕は自分の部屋に入れない。
なぜなら夏期休暇中で僕の家に訪ねてきた従姉妹が、僕の部屋を寝室にしてしまっているからだ。
従姉妹と僕は基本的に仲が悪い。犬猿の仲だと言っても過言ではないだろう。出会えば必ず罵りあいが起こるまである。
なので僕はわざわざそんなトラブルの元へ行くなんて愚行はおこさず、近所の公園に来ているのだ。
「暑いなァ……」
やはり、クーラーなどの冷房が存在しない場所はとても暑い。それでも日陰の比較的風当たりの良い場所にいるのだが、涼しさは欠片もない。
けれど人が大勢居るような冷房のある場所でギャルゲーが出来るほど、僕のメンタルは強くない。というか豆腐レベルだ。
「フゥ、 今日は朔夜ちゃんルートの続きか……。やっぱ朔夜ちゃん可愛いよなァ」
こんなところを同級生にでも見られたら軽く死ぬだろうなァとか考えながらゲームのロードが完了するのを待つ。
僕が今しているゲームは『少女理論とその辺り』という名の18禁ゲームだ。イラストも良く、あまり過激ではない表現もあって純粋にギャルゲーしたいというプレイヤーにとても親しまれている。そう言う僕もその中の一人だ。刺激の強い18禁ゲーは童貞である僕にとって、今すぐにでも爆発する手榴弾と同等だ。
内容は私立香桜学園という学校に入学した主人公が、五人の攻略対象の美少女の中から一人を選んで、その攻略対象と共に修羅場など様々な困難を一緒に乗り越えながらハッピーエンドを目指すといったテンプレ学園もの。テンプレだからこその謎の安心感がある。
そんな五人の攻略対象のなかで僕が一番好きなのは、二周目以降でないと攻略が出来ないキャラである夜桜 朔夜だ。
彼女は普段はクールで毒舌なドSだが、主人公だけにはとことん甘える、最高に萌えるキャラクターなのである。しかも、日本人の父親とエストニア人の母親だという設定で、黒髪緑目に白人特有の真っ白な肌というのも素晴らしい。
さて、ロードも終わったし始めるかァ……。朔夜ちゃんマジ可愛いわァ。本当に……。
そんなこんなで僕は、雲一つない空が夕日で赤く染まるまでずっとPSPの画面をみていた。
◆◇◆
ゲームをやめて立ち上がった頃には、既に日は沈み、辺りは暗くなっていた。多分ゲームを終えた後も朔夜ちゃんのことをずーっと考えていたのが原因か……。まぁ、これは仕方がないことだ。だって童貞だし。
さて、今頃は夕食が我が家のテーブルに並べられていることだろう。あるいは既に食事が終わっているか……。どちらにしてもさっさと我が家に帰って食事といきたい処だ。
ゲームに夢中だったせいで、昼食を食べていないせいか、とても空腹を感じる。今日の夕食は一体どんなメニューなのかな。僕は今日の夕食に思いを馳せる。ハンバーグだったら良いな。
今、僕が居るこの公園から我が家まで、普通に歩いて大体三分ほどで到着する。走ればさらに早く家に着けるだろう。
スタスタと軽快な足音をたてながら家までの道程を走っていく。なんだか物語のメロスになったような気分だ。もしそうだとしたら今頃、親友君は処刑されているのだろうが。
しばらく走っていると最近運動不足だったのだろう、とても息がきれる。端から見たらハァハァ喘ぎながら走る変質者に見えるのだろうな。うん、キモいね。
少し休んで息を整えると、今僕が立っている処が家の前だったことに気付く。
家の中からは、夕食のものであろう良い匂いが微かに漂ってくる。僕は喉を鳴らすとドアを開けるためにドアノブに手を掛けた。
後ろから忍び寄る死の気配に気付かずに……。
グサッ
何が起きたのか僕には余りよくわからなかった。いや、わかりたくなかった。わかるのは後ろから、何か鋭利な物で背中を刺されたということぐらいだ。
背中からどんどんズンとした鈍い痛みが身体中に広がる。背中に掌を当てると、ネチャッとした感触と共に僕の背中に刺さっているものであろう物にも触れた。掌を見ると赤黒い液体がポタポタと指を伝って落ちていく様子が目に映る。
後ろを振り向けば、僕を刺した張本人であろう黒のパーカーを羽織った茶髪の若い男性がいた。男は僕が振り向き、見ていることがわかると口元を三日月型に歪ませた。
「ど……どうしてこんな……こ、とを……」
僕が息も絶え絶えに男に尋ねると、男はそれが愉快でたまらないといった表情で口を開く。
「ハハハ!冥土の土産に教えてやるよぉ。それはな……?そこにお前が居たからさっ!!ハハッ、愉快だろぉ」
僕はそんな男を見て、クッと歯軋りする。目の前の僕を刺したこいつは、ただ愉快だからというだけで刺したと言った。明確な動機もないままに、愉快だからという理由だけで僕の日常を壊した。途端、僕は憤る。
どうしてこんな奴の娯楽のために僕が死ななければいけない?僕はまだ童貞なんだぞ!?
そんなことを思っても現実は非情で、僕の体からはどんどん血が流れ出ていき、それに比例するかのように体温も下がっていく。近いうちに僕の体は、物言わぬただの骸に成り下がるだろう。
あぁ、どうして……どうして……、僕は死ぬのか?童貞のままで?
赦さない。僕の日常を奪った目の前の彼奴を赦さない……。絶対に赦さない!
脳内で呪詛を吐きつつ、僕はなけなしの力を振り絞り、上体を起こした。男は今もニヤニヤと此方を見ている。殴りたい、あの笑顔。本当に……殴りたい。
「お前は……そんなにも……そんなにも愉しいか!?そうまでして愉悦を求めるのか!?」
「ハハ、何だそんなこと。当たり前だろう?」
「この僕の……いつも通りの日常さえ、踏み躙って……お前は……何一つ罪悪感というものさえも無いのか!?
赦さん……断じてお前を赦さんッ!」
男は僕の叫びを聞いてもニヤニヤしてばかりだった。
「愉悦に憑かれ、僕の日常を貶めた外道め……その手を僕の血で穢すがいい!
お前の身に呪いあれ!お前の家族や子孫に災いあれ!」
僕はそれ以上言葉を叫べなかった。体に限界が来たのだ。けれど僕は掠れゆく意識の中で最後まで男を呪っていた。最後まで……。
"いつか地獄でもがき苦しみながら、この僕の怒りを思い出せ……"
僕の意識は暗転した。
◆◇◆
「朔夜、朝だよ、起きて」
何やら意識の外で、女の人の声が聞こえる。とても心地の良い綺麗な声だ。でも、どうして死んでしまった僕に声が聞こえるんだ……?まさか僕、幽霊になってしまったのではないのだろうか……。
女の人の声が聞こえることについて、考えを巡らせていると、ふと自分の居る場所がフカフカなことに気が付いた。この感触この質感心当たりがある、そうベッドだ。
ということは僕は助かったのだろうか……?
そのことを確かめるべく、僕は目を覚ますため目蓋に力をいれてみると、すんなり開いた。
そこは、たくさんの縫いぐるみが置かれた見知らぬ部屋だった。部屋の壁紙やカーテンそして、小物までもがピンクに染められた目の痛くなるような部屋。目が覚めたら病室だったのならまだわかるが、ここまで女の子した部屋だと流石に戸惑うのは僕だけじゃないはずだ。
「ここは一体……?」
僕はこの不思議な現状を前に誰に言うとでもなく一人呟いた。
しかし、僕はこの時点で自分の声に違和感を感じた。声がいつも以上にとても高いのだ。
「アーアー」
適当に声を出してみるが、依然女の子のように声が高いまま。無論、裏声なんかは使っていない。謎だ……。
そして、ふと自分の腕を見てみると……滅茶苦茶細かった。ここで言う細いとは、骨張ったような細さではなく、女の子のような綺麗な感じのことだ。
ここまでくれば、もう鏡などを見なくても大体わかる。
どうせあれでしょ?ts転生的なあれでしょ?そんなことを考えて現実逃避。
いや、まだそうと決まったわけではない。最終確認だ。
僕は下腹部周辺に手を伸ばしたが、何だか変なことをしているような気分になったため、すぐに手を引っ込める。そして比較的安全な胸を触る。甲斐性無いと笑いたきゃ笑え。こればかりは仕方のないことだ。だって僕女性経験なんてもの無いし。DTだし。
そうして、触った胸には小さいながらもしっとりと柔らかい質感が……。
僕はベッドに潜り込んだ。カーテンの隙間から入る朝日から身を守るかのように、掛け布団で全身を覆って。
「これは夢。これは夢。悪い夢。気にしたら駄目だァ」
そんなことをベッドのなかで呟いていると、突如掛け布団が剥がされた。
「ねぇ、起きてって言ったでしょー。もう朝食だよー」
また、あの心地の良い女の人の声だ。ただ目を瞑っているせいで顔が見えない。ただこの声には何となく覚えがあった。
ゆっくりと目を開けると……、腕を組ながら仁王立ちし、顔をプクーッと膨らませた金髪緑目の美人さん。
僕はこの美人を知っている!いや!この澄んだ緑色の目、おっとりとしていて心が安らぐ声を知っている!
間違いない。この美女は、夜桜 エリカ。18禁ゲー『少女理論とその辺り』の登場人物で、エストニア人でヒロインの夜桜 朔夜の母親だ。ヒロインでもないのに何気に人気があったキャラクターだ。このキャラが好きな友人曰く、「なんつーか、守ってあげたくなるような感じ?」らしい。
しかし、エリカさんが居るということは、必然的に僕がどうなってしまっているか想像がつく。これは由々しき事態だ。それにこの家の間取りも早いこと把握しないと。
僕は如何にも、寝起きで返事を返す気力がありませーんといった感じで肩を落としながら、部屋を出ていく。こうすることでこの家の住人に不審に思われずに、この家の間取りを確認しやすくなる。もし不審に思われたとしても、寝惚けてここに来てしまったと言えば大丈夫な筈だ。
「朝食はテーブルに置いてあるからねー。早く食べようねー」
エリカさんの癒しヴォイスが後ろから聞こえてくる。その声に返事をしないのは些か胸が痛むが、今は我慢だ。
部屋を出て、どんどん部屋の間取りをさりげなく確認していく。どうやらこの家は三階建ての大きな家らしい。そして、最後に洗面所の確認。ついでに僕の今現在の姿の確認も一緒にする。
僕は洗面所に入ると、鏡に自分の姿を映した。
鏡に映っていたのは、それはそれは麗しい一人の美少女でした……。
ストレートな黒髪は肩の辺りまでで、前髪は眉毛辺りでパッツンに切り揃えられてある。顔はありえないくらいに整っており、母親譲りの緑色の目が神秘的な様子を醸し出している。年齢は小学校の高学年くらいだろうか。そんな道にいたら誰もが振り向くであろう美少女が映っている。
朔夜ちゃんだ……。本物の朔夜ちゃんだ……。可愛い。可愛すぎる。ヤバイくらい可愛い。しかもロリだ!!
どうやら僕のボキャブラリーは、余りにも可愛いリアル朔夜ちゃんを見て崩壊してしまったようだ。『少女理論とその辺り』では、高校生の朔夜ちゃんしか見れなかったが、ロリ朔夜ちゃんは、ちっこい分さらに愛らしさがある。それに、頬をほんのりと赤く染めているのも……。
思わず鼻を押さえてしまった。童貞な僕には些か刺激が強すぎる。言っておくが僕はロリコンではない。本当だぞ!……多分。
チッ、主人公はこんな可愛い娘とイチャイチャしていたのか……羨ま、爆発しろ。僕だったら他の女なんて放っといてすぐに朔夜ちゃんに告白して振られる所だろう。振られちゃうのかよ……。
僕はまだ見ぬ主人公に対して、脳内で文句を言う。尤も童貞な僕は主人公の立場に居たとしても周りの男性の嫉妬の視線に耐えきれる自信は無いが。
そういえば脳内が麻痺していたのか、一番重大なことを忘れていた。それに気付いたのと同時に鏡に映る朔夜ちゃんの顔が青ざめる。
――この鏡に映ってるのって……今の僕じゃん。