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壊れた人々(3)

 美羽の身に何があってもいいように、家に帰り着くまでは寝ない、意識を飛ばさない、と決意していた。

 実際、軍にいたときは、ゆうに一週間は不眠で動いたこともあった。

 しかし、五年のブランクで隼人もだいぶ弱っていたのだ。更には深刻な血液不足である。救急車の中で、隊員が慌しく応急処置を行っていたところまでは覚えているが、気がつくと病院のベッドの上だった。

「あ、おきごっ!?」

 隼人の顔を覗き込んできた美羽を、無意識に抱き寄せていた。更に顔を左右に振って状況を確認する。

 白い壁、白いカーテン。至って普通の病室。傍に置かれている機械が一定間隔で小さな電子音を発している。

「……病院か」

「ふごー! うごー!」

 抜かりなく状況を確かめ、とりあえず安全であることを確認し、腕の中で暴れている美羽を解放する。

「ぶはっ! いきなり何!?」

「いや、すまん。寝ないつもりだったんだがな」

 そう詫びながら、上半身を起こした。異常に体が重く感じる。今襲撃を受けたら応戦できる自信はない。

「しかし、今回はまずかったな。向こう岸に上陸したけどお袋に殴られて親父に蹴られて戻ってきた」

「あながち間違ってないよ。一回心肺停止してたし」

 先ほどまで死に掛けていたのに普通に軽口を叩く隼人に、美羽は心底呆れた風な口調で、ため息混じりに返す。

「……マジかー」

「マジだよー」

 冗談のつもりで言ったのに、と隼人は若干のショックを受けつつ、しかしこうして本当に戻って来れたことを安堵する。

「で、さ。凛って誰? 二時間くらい前にりんー、りんー、ってうわ言ですごい呼んでたけど」

 ベッドの傍のパイプ椅子に腰掛けなおした美羽は、茶化すような口調で問うた。まるで今まで馬鹿にされてきたことへの反撃のように。隼人の恥ずかしい過去の断片を知って優越感に浸るように。

「は? 俺そんなこと言ってねーし」

「言ってたよ。大体うわ言なんだから本人は知らないに決まってるじゃない?」

 それは事実だった。一命を取り留めた後、隼人がしきりに一人の名前を呼ぶのを、美羽は聞いていたのだ。

「……俺が軍人の頃、婚約してた幼女だよ。だけど婚約したのが、所謂進軍中の休憩時間でさ。つれてけないだろ? そしたら、家族に口減らしのためにぶっ殺された。オーケー?」

 あっさりと、しかし多方面に酷い内容を、隼人は何のためらいも無く口にした。

「は? あ、え……」

 からかってやろうと思っていた美羽は、完全に言葉を失った。

 美羽はそこで、隼人の地雷を踏んでしまった事に気づいた。なんて浅はかで軽率なことをしてしまったのだ、と後悔のどん底に落とされた。普通に考えれば配慮できそうな事なのだが、やはり美羽もどこかズレている子供なのだった。

 そんな美羽に追い討ちをかけるように、隼人は自嘲的に笑いながら続ける。

「いやー、"初めて"あげるから食べ物とお金頂戴って言ってきたんだよ。お前くらいの外見年齢な違法ロリが。まあ、当然何の躊躇いもなく美味しく頂きますするだろ? 今と違って性欲の権化だったからな。……で、終わった後に、なんかこう、インスピレーションって言うやつ? なんか、こいつと一緒になったら、すげー幸せな家庭を築けそうな気がするっていう閃光が頭を貫いてよ。まあ、年齢的にまだ全然結婚できねーわけだけどよ。その辺はまあ、これから育てる光源氏計画っていうやつよ。で、俺と結婚しよう。食べ物も金も定期的に送ってやる。だから絶対体を売るなって言った。そしたら、まー、戦争終わってから会いに行ったら、死んでるんだわ。凛の親が口減らしのために殺して、俺からの仕送りを独占してた。でよー……」

「ちょ、ちょっと! もういい、分かった! 理解した!」

 美羽は、先ほどまでの余裕をかなぐり捨て、狼狽しきったような表情を浮かべて両手で隼人を制止する。軽はずみに聞いてしまったことを後悔していた。余りにも事情が重過ぎる。

「えー? 聞いてきたのはそっちだろー?」

 と、隼人は唇を尖らせる。その様子を見て美羽は、ようやく隼人の様子が"普通すぎる"ことに気付く。死んだ婚約者のことを話す時など、もう少し口調が重くてもいいはずなのに。むしろ、普通よりも、明るくすら感じられる。

「ね、ねぇ、隼、人、さん? あなた、何も思ってないの? その、凛、さんが、死んだことに関して……」

 恐る恐る。隼人の表情を伺うようにして問うてみると、やはり隼人は至って普通だ。

「戦争だったんだ。俺だって次の日死んでたかもしれない。結局は運だよ、運。凛と出会ったのも運。口減らしに自分の子供をぶっ殺すような最低な親の元に凜が産まれたのも、その結果凜が死んだのも、運、だ。どの道、俺にはどうしようもなかっ……た」

 余りにも淡々と話す隼人を、美羽は無意識のうちに体を乗り出し、隼人の頭を抱いていた。

 昨日出会って、自分を助けてくれて、冗談ばかり言って自分を振り回しまくったこの人も、結局は根本的な所が壊れていたのだ。

 普通の人間ならば、もっと引きずるのが普通のような、辛い過去のはずなのに。隼人はそんな人間らしい部分が、壊れてしまっている。きっと、婚約者が殺されたショックのために。深すぎる絶望のせいで、全てを諦め、受け入れてしまっているのが、今の神無月隼人という人間なのだ。

『俺にも分からんよ。本当の俺はもうずっと前にぶっ壊れちまったからな』

 昨日の隼人の台詞が、フラッシュバックする。そう、隼人自身も分かっているのだ。人間として、大事な部分が壊れている事を。

「おお、幼女分が染み渡るぜー……。もうちょっと上のほうでむぎゅってしてくれないか?」

 そんな軽口が。今まで自分に向けられていた軽口が。全て、人形が発しているようなものに感じられた。なんて空虚で、なんて、哀れなのだろう。

 とりあえず、要求どおりに上のほうでむぎゅっとした。

 隼人の精神を、直してあげたかった。空虚な心を、満たしてあげたかった。それがきっと、今の美羽に出来る唯一の恩返しなのだ、と思う。

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