壊れた人々(2)
本当ならば病院に駆け込んで、しばらくは動かないようにしていた方がいいような傷だ。
薬局で救急車を勧められたが断り、なら応急処置だけでも、と巻かれた包帯からは歩いている間に血が滲み、靴の中にたまってグッポグッポと水音を立てている。
しかし、やはり別段気にせずに帰り着いた隼人を、テレビ台の中に収納してあったゲームを突いている美羽が出迎えた。
「ただいまー」
「お帰りなさいー……ってうわうわうわ! 血が!」
長い間穿いて白っぽく脱色してしまったジーンズと靴下が朱に染まっているのを見て、美羽は素っ頓狂な悲鳴を上げる。
「飲むか?」
「遠慮します! ど、どうしたの!?」
「おじさん、昨日の怖い人達に仕返しされそうになっちゃったよはっはっは」
「はっはっはて! 痛くないの!?」
「痛くないんだなぁ。っていてててて……」
流石の隼人でも、家に帰ると気が抜けるらしい。密かに張り詰めていた緊張の糸が緩み、その隙を突いて活性化した痛覚神経が、鋭い痛みを伴って時間差で隼人に暴力を振るう。
「あーあー……えと、えと……」
「平気平気。こんなの唾つけとけば治る。それより飯だ。飯食えば治る」
「ええー……でも血が……」
「飯食って、出るよりも早く血を生成すれば問題ない」
昨日からの短い付き合いであるのに、この男が頭のおかしさが規格外であるということを嫌というほど思い知っている美羽であるが、これは頭がおかしいとかそういうレベルではない。こいつ本当に人間なのか、と呆れてしまった。深いため息も辞さない。
しかし一旦台所に立ってみると、やはり凝った料理は無理だったらしい。
段々と朦朧としてくる意識を振りしぼりながら巨大なオムライスを適当に二人分作った隼人は、食わねばそろそろ真剣にヤバいと察したのか、美羽と会話をする暇も無く胃に掻き込み、更には保存食として置いてある缶詰等も全て平らげた。そして食後、倒れるように、ソファーの上に身体を投げ出した。床には未だ止まらない血が点々と、隼人の動きをトレースするように零れ落ちている。
「軍人してる時に、腹撃たれて一回三途の川を半分くらい渡ったことがある。水位は一メートルくらいですげー歩きにくかった。向こう側で世界大戦ん時に死んだ親父とお袋が追い返そうとめっちゃ必死に手をシッシッ!って動かしてたのが笑えたな」
「何の話!? 駄目だよ死んだら! あなたが幾ら腐れロリコンのド畜生でも生きる権利はあるんだからね!」
隼人の怪我は、自分を助けたことによる弊害で負ったものだ。ここで死なれたら、美羽的にも非常に後味が悪いというものだ。食事を中断した美羽は、隼人の傍にやってきて手を握ってみたりした。意外なほど熱い体温に驚く。流石にまずいのではないか、と美羽は判断した。
「お……おおお、手を握って貰えるなんて……幼女分が身体にしみわたるぜ―……」
軽口を言う口調も、覇気が無い事は美羽にも分かった。だから何も言わず、手を握ることはやめない。
「ね、ねえ、救急車とか……」
「駄目だ」
「何で」
「何でもだ」
「どうせ、私のことが心配だからでしょ。余計なお世話だよ」
図星だった。薬局で救急車をお勧めされて断ったのも、美羽の存在があったからだ。長期入院とかになってしまったら、部屋の食材が尽きて美羽は部屋の外に出ざるを得なくなる。美羽の存在を、あまり外の人間に漏らすことはできない。どこに鳥丸の人間がいるか分からない。鳥丸の支配圏を考えると、十分すぎるほど警戒してもしすぎることは無い。
「うわぁ、もっと幼女は自己チューでいいんだぞ? 他人の心配なんかしなくていいんだぞ?」
「目の前で死にそうになっておきながら何言ってるの?」
言いながら、美羽はテーブルの上に投げ出されている隼人の携帯電話を取り上げた。
「パスワード」
「……パスワードはどんなに親しい人間だろうが、他の人に教えちゃいけないんだぜ? うひひ……」
「じゃ、自分で打って。私が救急車呼ぶから」
その、美羽の断固とした態度に、隼人は大きくため息をひとつついて、携帯電話のロックを解除した。
「可愛くねーなお前。顔はめっちゃ可愛いのに」
美羽はそんな隼人の言葉に若干頬を赤くしつつ、わざとらしくつっけんどんな表情を浮かべた。
そして、ダイヤル画面になっている携帯電話を受け取り、119とプッシュし、オペレーターに怪我人がいる旨を告げる。
「十分くらいで来るって」
「やれやれ……」
昨日まで手玉にとっておちょくっていた少女に、今度は自分が手玉に取られてしまうとは。美羽の意固地な態度に、隼人もため息をつくことしか出来ない。