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壊れた人々(1)

 次の日。美羽を部屋に置いて仕事に出た、帰り道。職場からくすねた食材と、近場のスーパーで買い足した食材の入ったビニール袋片手に、隼人はいつも通る路地裏を歩いていた。

 薬物でトリップ中であろう、ガリガリに痩せたジャンキーな男がだらしなく地面に投げ出している脚をかわし、手癖の悪い子供を軽く片手でいなす、いつも通りの光景だ。

 そして、昨日美羽と出会った場所を通りかかった時、曲がり角から人影が二つ現れた。物乞いか強盗か追剥か。立ち止まった隼人の目の前に、路地を塞ぐように立ちふさがった。

 伏せ気味にしていた視線を気だるげに上げると、世紀末風の男二人が、下卑た笑みで顔を歪めて立っていた。

「よぉ、ちょっと待てよ」

 よく見ると、片方は、昨日隼人が一瞬で叩きのめした男の一人だった。

「ガキをどこに連れて行ったか教えてもらわないとな」

 と、拳銃をちらつかせながら言うと同時に、四メートルほど後ろの建物の影から二人が同様に顔をのぞかせる。

 合計四人の包囲網の中心に置かれた隼人はしかし、無表情のままだ。

「昨日はお前なんて眼中になかったからやられたけど、今日は違うぜ? お前、喧嘩慣れしているようだったから分かるだろ? この人数差じゃ勝てないだろ」

 確かに。昨日の二人は、美羽を追うのに必死で隼人の存在など意識の外側だった。だからその外側から全力でぶん殴っただけだ。普通に考えるならば単なるラッキーヒットである。

「……ああ、ランチェスターの法則のことか? うーん。確かに一対四だったら戦力比が一対十六だな。こりゃ絶望的だ」

 しかも、隼人は丸腰だが、男達は全員、実用性度外視のカスタムとはいえ拳銃を所持している故に、その戦力比の差は更に大きく広がる。

 しかし、隼人はそんなこと気にもかけていない。

 むしろ隼人の精神は、体内からジワジワと湧き上がるように昂ぶりを見せ始めていた。

「だけどなぁ。そんな法則なんて知ったこっちゃねぇな」

 そして、隼人は笑った。

 純粋に、今、この状況を心底楽しんでいるかのような笑み。

 軍を退役して以来、守る物を持たず、争い事から意識して遠くへ遠くへと離れた、微温湯に浸かった倦怠感に溢れた生活。

 そこに訪れた波紋。自分から意識して足を突っ込んだ面倒な事象。その一環。絶望的な状況。下手をすれば命を落とす状況。

 久々に訪れた修羅場に、否が応でも隼人の血潮は熱くたぎってしまう。

 余計な騒ぎを起こすのは良くないのは重々承知。しかし、こうして向こうからやってきたのだから、火の粉は振り払わねばならない。

 隼人の余裕に一瞬正面の二人がたじろいだ次の瞬間。隼人が手放したビニール袋が、ドサリ、と地面に落ち、彼らの視界から隼人は消える。

 正確には猛烈な勢いでその場でしゃがみ込んだだけなのだが、少なくとも男達の目にはそのように見えた。

「うぐぁ!?」

 そして、隼人から見て右前にいる男が呆気無くその場で崩れ落ちた。脚の動きが正確に見えないほどの先端速度を持った爪先が、男の脚を掬い取ったのだ。全く想定していなかった所からの攻撃に、受身を取るまでもなく地面に頭をぶつけて意識を飛ばす。

 三人の銃口が一斉に、地面付近にいる隼人の身体に向き、火を噴いた。

 隼人の胴体を狙って放たれた弾丸は、しかし隼人がほんの僅かに身体を捩じったことで、胴体を外した。

 しかし、男達は追撃はしなかった。三発の弾丸が、急所こそ外れたものの、確かに腿を中心とした右脚全体を抉ったのを見たからだ。普通に考えると、今の隼人の傷からして、まともに動けるはずもないのだ。

 しかし、その想像の、遥か斜め上を隼人は行っている。しゃがみ込んでいる身体。一人目の男のの脚を掃って伸びきった、弾丸で穴だらけの右脚。それを気にも留めず、左脚一本で、跳躍する。噴き出した血液の飛沫をまき散らしながら、伸びた右脚を遠心力に乗せて一回転させる。その脚先は、左の男の側頭部に叩きこまれた。

 声にならない悲鳴を上げながら吹き飛び、昏倒する男。

 初撃から僅か五秒に満たないやり取りで二人を行動不能に陥れた隼人。更に残った後ろ二人は、転がった男に意識を一瞬だけ持って行ってしまっている。更に言うと、隼人の人間離れした挙動に驚愕し、動けなくなっている。

 隼人の身体能力は精々、喧嘩慣れしている程度だと男達は想定していた。しかし、その物差し自体が間違っていたのだ。

 隼人は元軍人。それも、通常の兵士という括りの外にいた存在だった。身体能力の特に高い兵士で構成された、特殊部隊の一員。主に潜入任務や暗殺等を単独で行うような類のものなのだ。

 確かに現状は、人数的には隼人は不利。しかし、その持ち合わせている力の質が違いすぎる。脚を数発撃ち抜かれた程度でたじろぐ様な、柔な精神力ではない。骨が折れたり筋肉が断裂していない限り、隼人の動きは止まることを知らない。脳内麻薬で痛覚を麻痺させることも自在に起こすことが出来るように、拷問に近い訓練を軍で叩き込まれている。それゆえに、熱こそ感じるが、痛みと呼べる感覚は脳に届かない。

 空中で一回転した体躯を完璧に操る。先ほどまで背後にいた男らに向かって着地し、クッションのために膝を大きく曲げる事で衝撃を完全に吸収、蓄積したエネルギーを開放。刹那、まるで隼人の足元で爆発が発生したかのような勢いで、男たちに向かって跳躍した。

 男たちは、何が起こっているのか分かっていないようだった。拳銃を向けてはいるが、トリガーにかかっている指に力を入れるに至っていない。

 そして、男たちの目の前で着地し、完全に隼人は停止する。両手の指先を揃え、槍に見立てたそれを、男たちの首、一センチ以下のところで正確に寸止めする。直撃していれば、首の骨が砕けて即死だった。

「……はい、お前ら死んだ!」

 楽しそうに、隼人は告げた。

「う、うわああああ!」

「ひいいいいい!」

 その瞬間、男たちが一気に崩れ落ちた。投げ出された拳銃が地面でカラカラと転がる。尻餅をついた男たちが接地しているところに、水溜りが広がった。

 拳銃を持っていることが、隼人に対する優位にはならない。隼人を倒すには、威圧するために包囲するのではなく、遠くから密集して弾丸を浴びせ掛け、行動不能にするべきだったのだ。それでも、勝てたかどうかは怪しいが、少なくとも今回は、初期配置の時点で男たちの負けは確定していた。

「そうだ、それでいい。俺も面倒なことにはなりたくないんでね」

 いくら警察機構が弱いといっても、殺人が発生すればある程度の調査はなされるだろう。それを想像すると、殺す力を持っていても易々と殺人はできない。満足した隼人は、表情から笑みを消し、戦闘体勢を解除した。

「で? お前らは鳥丸の人間でいいのか?」

「い、いや、か、金だ。あのガキを連れてくれば金をやるって……。どこの人間かはしらねえ……!」

 いくら街の支配者といっても、表立って幼女誘拐事件など起こせば問題が発生する可能性はある。ならば、いくらでも尻尾切が可能な街のチンピラに金を掴ませるほうが、最終的なコストは安く済むというものだ。非常に合理的だ。

「ふぅん。まあいいや。じゃ、これ以上俺にかかわらないでくれ。お前らのコミュニティの人間にもその旨を伝えといてくれよ」

 と、男達に背を向けて歩き出す。

「な、なぁ、あんた何者なんだ? あの動き、普通じゃねえ……」

 強いものにあこがれる。それが敵であっても、本能に刻み込まれた男の性。そして、アウトローで体を張って生きているチンピラこそ、その感情は相応しいというものだ。情けなく、脚をガクガクさせながら立ち上がり、地面に転がっている仲間を回収しながら、男達は、畏怖しながらも、隼人に対して羨望の色をぶつけた。

「……元軍人の料理人だ。お前らもしっかりご飯食べろご飯。コンビニ飯とかは感心しないな。ちゃんとした食堂に行ったり、自炊したりしろ。健全な体は健全な食事で作ることが出来るんだぞ」

 去り際の台詞にしては妙に長く現実的なものを言い残し、地面に落としたビニール袋を拾い上げ、帰宅の路を続けようとしたところで、思い立つ。

「あ、薬局いこう」

 いくら痛くなくても、血は滾々と沸き出ている。絆創膏くらい張っておかねばなるまいて。

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