死ねない幼女(2)
どれだけ幼女の悲鳴を振り撒きながら逃げただろう。念には念を入れて大回りし、隼人の家が入っているアパートビルの裏手に到達したところでスピードを緩めた。
幼女を抱えたまま、ペンキが剥げて錆びている非常階段を上がっていく。
先ほどまで悲鳴を上げていた幼女は、いつの間にか失神して隼人の腕の中で脱力している。このまま部屋に連れて行くのが吉だろうが、その光景はどこからどう見ても犯罪である。というか、隼人自身先ほど傷害罪に相当する行為を行ったばかりである。
しかし、警察機構は事件にすらしないだろう。人が道端で気絶している程度で出動していては警察官が過労死するのは目に見えている。それほど、この街の治安は割と素敵なことになっている。
アパートの三階の非常口を開けると、外とそんなに変わらない程度に汚いコンクリート製の廊下が広がる。
昔ならば下等な生活しか出来ない貧しい市民の住居のような面持ちだが、今は時代が時代であるだけに、都市部においては、一般市民は基本的にこのようなアパート住まいが標準だ。
隼人自身、自分の生活基準が標準かどうかなど気に病む様な硝子のハートなど持ち合わせていないが、きっとそんな感じだと推測している。
左右に脆そうなアルミの扉が続いている。
殆ど見分けのつかないそのうちの一つの鍵を開け、中へ入った。
室内も、外とあまり変わらない風体であった。壁や天井、床に至るまでコンクリート張りで寒々しい、十畳ほどの長方形の部屋になっている。
とりあえずこの幼女をどうにかせねば。扉の所で靴から上履きにしているサンダルに履き替え、更に奥にある寝室へと運び込んだ。四畳半ほどの、小さな部屋。シングルサイズのベッドと本棚を置いたら、もう一杯になる程度に狭い。
幼女を抱え込む姿勢から、所謂“お姫様だっこ”に変えてみる。と、ここまで来たところで隼人はようやく幼女のご尊顔を直視した。
「ふむ。かなり将来有望だな……」
小動物を連想させる、大きな目とチマッとした顔のパーツ。上品に切り揃えられた黒髪は、チンピラから逃げ回っている間に汚れてしまっているが、丁寧にケアされてきたことが伺える。
地味ながら上品な子供用ドレスという服装もあいまって、ますますストリートチルドレンとは到底思えない。
とりあえずベッドに寝かせるにしても、こんな泥だらけな状態では後始末が大変だ。
「冷たいけど我慢してくれよー」
床に寝かせ、ドレスを脱がせる。露になった、子供っぽい下着姿の身体は病的に白い。
「うむ。素晴らしいちっぱいだな」
フリルが沢山付いた下着用のキャミソールを押し上げるべきものは存在せず、滑落しそうな直線美、しかしほんのりとだけ脂肪が付いて、目を凝らせば少しだけ曲線を描いている。
「ん?」
ふと、あれだけ派手にこけたにもかかわらず、その身体には傷の一つも入っていないことに違和感を覚えた。まじまじと、頭頂部から足の先まで見入ってしまう。
確かにドレスが膝丈のスカートになっているので、露出していた脚が泥や埃で汚れている部分はあるが、傷、と呼べるものは何一つ付いていないのは一目で分かる。
高度な体術を使って怪我を回避したのか、と思ったが、そもそもそんな体術を持っているならあんな事でこける事はない。言っては悪いが、そこらの子供よりも遥かにどんくさいということは、ぶつかった時の接触だけでも十分に分かる。
「余程打ち所が良かったということにしておこう」
ため息混じりに幼女を抱き上げ、ベッドの上に寝かせ、薄手の布団をかけた。
「よし」
悩んでもしょうがない。幼女が起きたら、創意工夫したホヤ料理をふるまってやることにする。
まずはインターネットを漁ることにしよう。政府機関による検閲が為されている昨今のインターネットであっても、流石にホヤの調理法まで検閲削除するほどお役所の人も暇ではあるまい。