死ねない幼女と壊れた人々(5)
道場から出た隼人を、道場の扉の前に控えていた大西が出迎えた。
ここでこいつも殺したほうが逃げやすいだろうか、と瞬時に身構えた隼人を、しかし大西は意に介さない。
「こちらへどうぞ。美羽様のところに案内いたします」
「え……あ、ちょっとちょっと!」
隼人は驚きながらも、広い廊下を歩いていく大西の後を追う。
隼人の腕は朱に染まり、骨も妙な方向に曲がっている。道場の中で壮絶な殺し合いが行われたことは素人目からしても分かる。そして、そこから隼人が生きて出てきた、ということは、影久が中で死んでいることは明らかであるはず。
にも関わらず、大西の態度は何一つ微塵と揺らいでいない。
いや、油断させておいて、罠にはめるつもりかもしれない。そう思って警戒を解かない隼人に、大西は立ち止まり、向き直る。
「残念ながら、私も鳥丸の執事です。影久様の身に何かよくないことが起こった場合、犯人を許すわけにはいきません。それが義務ですので」
大西の意図が読めない。隼人は不審げな表情で大西の立ち姿をジロジロと舐めるように見た。
「しかし、私はまだその現場を見ておりません。道場のドアを開けるまで、影久様が今どのようなお姿になっているか、知らないのです。この段階で貴方にとやかく言うのは、お門違いというものです」
「シュレディンガーの猫かよ」
道場の中の様子は、明白であるというのに。大西は、気真面目な表情を全く崩さない。
「そもそも影久様が中で鍛錬なさっている時には、道場の中に入ることは禁じられておりますので。そして、そこから出てきた貴方は、満身創痍ながらに生きていらっしゃる。ならば中で何事かの行為が行われたことは明白。不審ですね。不審に思わない方がおかしい。そうですね……貴方と美羽様が屋敷を出て五分後くらいに見に行きましょう。異常事態ですので」
そこまで言われてようやく、隼人は大西に敵意がまるでないと納得し、警戒を解いた。しかし、不審な点はまだまだ多い。再び隼人に背を向けて歩き出す大西を追う。
「あんた、俺の味方か? あの中で何が起こっているかは分かっているだろう? 何故、見逃そうとする?」
「ほほう。やはりあなたは影久様に何かをやったのですねぇ。怪しい。では見に行きましょう。貴方と美羽様が屋敷を出て五分後くらいに」
調子が狂うな、と隼人は後頭部をバリバリと掻いた。確かに、見逃してくれるならばそれで良いのだが、腑には落ちない。
「……私は影久様が幼い頃から、見守ってきました。影久様が、金でしか回らない世の中に絶望し、虚像人に執着し、壊れて行く様を見てきました。何とか、救済したいと思っておりました。しかし、私は執事です。主人に手をかけるようなことはできませんし、そもそも影久様に太刀打ちなど出来ようがありません。待ちました。影久様を救済していただける方の出現を」
なるほど、と隼人は思う。この大西は、影久への熱い忠誠心から、影久を殺そうとしたのだ。殺す、手立てをしたのだ。いや、それも大西の虚言なのかもしれない。影久を排除せねばならない理由があったのかもしれない。だが、そんなこと隼人にとってはどうでも良いことだ。
「独自に街の住民を調べました。そこで、線の上に浮かび上がったのが……」
「俺、か」
「はい。しかし、いくら何でも主人を"救済"しろ、などと頼むことはできませんし、そもそも貴方も普通は引き受けないでしょう」
当たり前だ。いきなり来て人殺しをしろなどと、怪しすぎる。波風立たないぬるま湯のような生活をやめねばならないのだ。
「美羽を、故意に逃がしたのか」
「いえいえとんでもない。少しばかり目を離しただけですよ。ほんの少し、ね」
その言葉に、確信する。この十日間。全てが、この大西の掌の上で行われたことだったのだ。隼人も、美羽も、そして影久も。全てを手玉に取った、権謀術数だったのだ。
美羽を逃がし、美羽の逃亡ルートに隼人がいるようにチンピラを配置し、保護するように仕向け、そして、隼人が美羽に執着し始めた頃に、美羽を取り戻した。
隼人は思い切り吹き出し、左手で顔を覆って笑いをかみ殺す。
「あんた、狂ってるな。俺も自分が正常だとは思っていないが、あんたはきっとそれ以上だ」
「恐縮でございます」
一つの部屋の前で立ち止まり、振り返り、そして大西は朗らかに笑った。
「しばらく防犯システムを停止し、警備も詰所に戻しますので。申し訳ありませんが、この街の中にいる限りは探知可能ですので、なるべく迅速に、遠くへお行きください。こちら、今日来ていただいた謝礼と、交通費です。それでは」
そして、隼人の手に、テーブルに置いたら余裕で直立しそうなほど分厚い封筒を有無を言わさず押し付け、そしてそのまま隼人とすれ違い、屋敷の奥へと消えて行った。




