死ねない幼女と壊れた人々(3)
大西に誘われるまま、屋敷の中心に存在する道場へと足を踏み入れた。背後で、観音開きの扉が音を立てて閉じる。
床は木製。高級な素材であるに違いない。足触りの非常に良い床で覆われた広いフロア。その奥中央に、今時珍しい袴姿で、腰に真剣を携えた、鳥丸影久の姿があった。部屋の中は薄暗く、遠くからではその顔を窺うことはできない。
しかし、警戒の糸を張り巡らせながらゆっくり近づいていくにつれ鮮明になる、その表情。年齢は隼人と同じくらいだろう。典型的な優男という感じで、金持ちという要素が無くても女性に引っ張りだこになりそうな甘いマスク。
隼人の姿を確認した影久は、楽しそうに笑いながら、立ち上がった。
「よく来た、神無月隼人。武勇は聞いているよ」
「お初にお目にかかります、鳥丸影久様。ところで貴方のようなイケメンは漏れなく死ななければならないという法律がたった今国会を通過したというのはご存知か?」
と、おどけながら隼人はコンバットナイフを腿に取りつけている鞘から抜いた。
「なに、これまでうちは散々汚い事をやって来たんだ。今更そんな法律違反、気にしないよ」
悪戯っぽく肩をすくめ、隼人の軽口を受け流した影久も、その場に立ちあがって刀を抜いた。長い刀身が、壁に取り付けられている行燈の光を反射して、鈍く輝く。
「へえ、自覚があるのか。腐れ成金の癖に」
隼人はコンバットナイフを水平に構え、徐々に腰を落としながら、足を進めて行く。そして影久も、抜き身の刀を剣道よろしく両手で構えながら、切先を隼人に向ける。
「耳の痛い話だ。だが、実際金でどうにかなってしまうのがこの世界と言うやつでね。買えないものは、真に愛し合えるパートナーだけだ」
影久が、刀を大きく上段に構え、一歩大きく前進する。自分の言葉への苛立ちからか、あまり余裕の無い笑みを浮かべながら。
「だから、虚像人を苛めて楽しんでるのか」
「私に向けられる愛情などいらない。私の持つ金と顔に愛情を向けているだけなのだからな。その代わり私が向ける愛情を拒むことは許さん。その愛は、普通の少年少女にとっては強すぎた。ただそれだけのこと」
彼我の距離、三メートル。それを影久は更に一歩で埋め、隼人の頭蓋を叩き切らんばかりに縦一直線で振り下ろした。
「ロリコンを酷く拗らせているだけでなくショタコンも発症しているのか。見上げた変態野郎だな。俺ですらロリコンだけだというのに」
切先を、隼人は身体を縦に捩って回避しながら、更に身を沈めた。影久の足元についた左手を中心とし、影久に身体の正面を向けたまま円移動で回り込む。常人ならばおそらくは追えないであろうその刹那的な鋭い挙動を、影久は余裕で認識し、追従する。
「食わず嫌いは良くないな。少年もたまには良いものだぞ。"切り取れる突起"が大きい分、手ごたえもあるというものだ」
隼人が逆手に持ち替えたコンバットナイフが、下から上へと走るのを、影久は一歩後ずさることで回避する。なびいて取り残された長めの茶色い前髪が、数本切れてはらはらと舞った。
「……美羽は……どうしてるっ」
一歩踏み込み、再び影久を射程範囲内に入れ、今度は右斜め上から左斜め下に、殴りつけるようなイメージでコンバットナイフを走らせる。
それを影久は、水平に構えなおした刀の根元付近の刃で受け止めた。金属と金属が激しくぶつかり合い、薄暗い室内に一瞬火花が散って視界が白くなる。
「どうやら彼女は君にご執心のようだったからね。真に彼女を私のもとに取り戻すには、君を殺して絶望させる必要がある」
影久の言葉に、隼人は安心したように一つため息を吐いてナイフを引き戻し、鍔迫り合いの状態を解除した。
「……いい腕だなぁ」
隼人は、純粋に感心した口調で言った。
突発的に解除したにもかかわらず、影久の方もほぼ同時に力を抜いたおかげで、彼がバランスを崩すことは微塵も無い。そのことだけでも、影久の身体を制御する能力や状況判断能力が優れていることが窺える。
「光栄だね、元特殊部隊の人間に褒めてもらえるなんて」
言いながら、影久は構えた刀を握りなおし、一歩後ずさる。臆したわけではないことは、その自信溢れる表情からして理解できる。
「人を殺した経験は?」
「部下に命じて間接的にならいくらでも。私自身がこの刀で殺したことは無いな。私が出る必要が無かったからな」
殺人行為は、慣れていなければある程度の躊躇はしてしまうものだ。間接的な殺人の経験しか無い人間が、ここまでレベルの高い"命のやり取り"が出来るとは、と、素直に隼人は感心していた。
「……分かった。ちょっと今から本気出すわ―。今までのは本気じゃねーし。本気の俺にかかったらお前なんて零点一秒で殺せるし。今までのは腕慣らしだし」
「ふふっ、君は面白いな。今まで出会ったことの無い部類の人間だ。こんな形で出会わなければ是非とも友達になって欲しかったな」
隼人の軽口に、影久も軽口で返し、その刹那、二人から笑みが消える。
先ほどまで雑談しながら殺し合っていた二人の間に、緊張が張り詰めていく。視線だけで相手を殺す。そんな非常識な言葉ですら十分に可能だと思えるほど、互いを見つめる眼光は鋭い。隼人の言葉通り、先ほどまでの数度の剣劇は単なる腕慣らしであったのだ。
互いの目の動き。筋肉の脈動。血液の流れ。心臓の鼓動。呼吸の間隙。そして、その身体から発する気配すらも手掛かりに、互いの隙を見付け、そこを突こうとし、そして膠着する。
空気が凍りつき、本来生物ならば無意識に発している気配すら、相手に悟られないために身体の中へと押し留められる。傍から見たら最早、彼らは人間ではなく、人形であるかのように認識されるかもしれない。身体から発している生気は消え失せ、人間味は喪失する。
彼我の距離はたったの二メートル。得物の長さは違えど、一歩踏み込まねば当たらない距離感。この二人に、攻撃範囲の違いなど最早無意味。相手の懐に飛び込み、一閃した方が勝つ。そのレベルまで、隼人と影久の実力は高次元で拮抗していたのだ。
視線が交錯する視線。その視線を逸らした瞬間に、負けが確定する。
攻撃の気配を互いに探り合い、打ち消し合う。
体の動きはない。しかし、隼人と影久は互いに、視線だけで、気配だけで、剣戟を交わし続けていた。
しかし、そのような膠着も、やがて終焉が訪れる。それは、数秒だったかもしれない。もしかしたら数分だったかもしれない。どちらが行ったかも定かではない"瞬き"を合図に。
――ダンッ!
道場の床を踏みぬくような、重い一歩が放たれた。




