第2話 歓迎会
俺は二度、家族を失った。
一度目は、生きているのに、家族がいなかった時だ。
前の世界での俺は、中学生だった。
家には帰っていた。飯も出た。寝る場所もあった。
でも、俺の名前を呼ぶ声はなかった。
誕生日を祝われた記憶がない。
テストの結果を見せても、返事はない。
風邪で寝込んでも、誰も扉を開けない。
「育ててやってる」
たまに聞こえるのは、それだけだった。
だから俺は、家族という言葉を信じていなかった。
血の繋がりなんて、ただの都合だと思っていた。
——なのに。
転生して、俺はそれを覆された。
海辺の村、マレア。
潮の匂いがして、風が塩を運んでくる小さな村だ。
初めて、名前を呼ばれた。
「ヴァルク。起きろ、海が綺麗だぞ」
父の声だった。
ごつい手が俺の頭を撫でる。
その手が温かいだけで、胸が詰まった。
母は笑った。
怒る時も、心配する時も、俺を見ていた。
それが当たり前じゃないと知っていたから、俺は何度も確かめるみたいに家に帰った。
——俺は、本当の家族を手に入れたと思った。
ある日までは。
魔王軍が来た。
夜だった。
波の音が近い。
その波が、やけに静かだった。
最初に聞こえたのは、角笛でも叫びでもない。
火が爆ぜる音だった。
外に飛び出すと、村の端が燃えていた。
炎が風に煽られ、乾いた木を舐める。
潮の匂いが、焦げた匂いに塗り替えられていく。
海が赤く染まって見えた。
夕焼けじゃない。
燃える家々の光が、水面に揺れていた。
父が俺の前に立った。
背中が大きかった。
あの背中が、俺の世界の全部だった。
「逃げろ、ヴァルク」
俺は首を振った。
足が動かなかった。
父は振り返らなかった。
ただ背中だけで、俺を押し出した。
次の瞬間、黒い影が村に降りた。
魔王軍は、人の形をしていた。
鎧の擦れる音。刃の光。命が削られる音。
母の声が聞こえた。
泣き声じゃない。俺の名を呼ぶ声だった。
それが、途切れた。
俺は走った。
走って、転んで、砂を噛んで、それでも走った。
生き残った。
生き残ってしまった。
二度目の喪失は、そこから始まった。
復讐者になった。
守れなかった。
間に合わなかった。
なら、壊すしかない。
奪った側を、終わらせる。
それだけが俺の呼吸になった。
——だから俺は、《群青の砦》にいた。
同じ村の出身だからってだけじゃない。
同じ匂いがしたからだ。
失った者の匂い。
夜を引きずる目。
復讐者の沈黙。
あいつらも俺と同じだと思った。
……思っていたのに。
結局、あいつらは“未来”を見ていた。
俺のように後ろだけを見ていなかった。
そして昨日、俺は追放された。
恋愛を求めるな、復讐者に。
俺は最初からそう言っていたはずだ。
――
酒場は騒がしかった。
笑い声。
酒の匂い。
戦場より、息が詰まる。
「おい、ヴァルク! こっちだ!」
ダリオが手を振る。
その隣にいた連中は、鎧の手入れが甘い。
笑い方が軽い。
Sランクパーティ《黒鉄の牙》。
リーダーが立ち上がる。
大柄。髭面。酒臭い。
「オルグだ。今日からお前も《黒鉄の牙》だ、ヴァルク」
杯を掲げる。
「歓迎会だ。飲め」
「水でいい」
空気が止まる。
オルグの目が細くなる。
「……は?」
ダリオが笑って割り込む。
「こいつ酒ダメなんだよ。戦闘に響くってさ」
オルグは鼻で笑う。
「真面目すぎだろ。楽しまなきゃ損だぜ?」
「戦場は?」
「……いきなり仕事か?」
「状況が知りたい」
オルグは肩をすくめた。
「城壁外で魔獣狩りだ。命令待ち。いつも通りだ」
酒を煽る。
「よし、じゃあ《群青の砦》崩壊の話でも――」
――
「やめてください、離して――!」
オルグが給仕の女の腕を掴んでいた。
栗色の髪。まだ若い。
「アリシアちゃあん。一杯だけだって」
女の笑顔が引きつる。
ヴァルクは立ち上がる。
オルグの手首を掴む。
「なんだぁ?」
オルグが睨む。
酒場が静まる。
オルグが腕を振り払おうとする。
――動かない。
ヴァルクの指が、微動だにしない。
オルグの額に汗が滲む。
「……離せ」
ヴァルクの視線が上がる。
一瞬だけ。
殺気が漏れた。
オルグが、無意識に一歩引く。
酒場がざわつく。
オルグは体勢を立て直そうとするが、
足を払われる。
鈍い音。
床に尻を打ちつける。
笑い声が上がる。
仲間の、嘲笑。
「……っ」
オルグが立ち上がろうとする。
ヴァルクが見下ろす。
何も言わない。
それだけで、動きが止まる。
オルグは目を逸らした。
尊厳が、音を立てて落ちる。
「酔いすぎだ」
ヴァルクはそれだけ言う。
「歓迎会は終わりだ。連れていけ」
誰も逆らわない。
――
ヴァルクは割れた皿を拾う。
指先が勝手に動く。
癖だ。
叩かれる前に片付けなければならなかった頃の。
アリシアがしゃがみ込む。
「……ありがとう」
「ここは前線だ。何故ここで働く」
「ここしかないから」
笑顔。目は笑わない。
「中央へ行けば安全だ」
「戻る場所がないの」
「孤児か」
「……うん」
皿を重ねる。
アリシアがヴァルクを見る。
「あなた、強いのね」
「普通だ」
「中央の騎士団にも入れるでしょ」
「行かない」
「どうして?」
「俺は取り戻す側だ」
「逃げる側じゃない」
アリシアの指が止まる。
「……一緒に行こうって言ったら?」
「行かない」
アリシアが微笑む。
少しだけ。
「そっか」
視線が落ちる。
「中央なんて、本当はどうでもよかったのに」
小さく。
「……あなたが逃げる人なら、楽だった」
ヴァルクは何も言わない。
「でも逃げないんだ
……残念」
――
酒場を出る。
夜風。
ダリオが壁にもたれていた。
「やりすぎだろ」
「そうか?」
「オルグ、本気で殴る気だったぞ」
「殴らなかった」
ダリオが苦笑する。
「殺気、出てたぞ」
――ヴァルクは思う。
《黒鉄の牙》。
腕はある。
だが、緩い。
酒。女。慢心。
戦場を舐めた連中は、必ず死ぬ。
オルグはまた潰れる。
このパーティも、壊れる。
戦場だけが現実だ。
それ以外は、幻だ。
ここも、いずれ俺を拒む。
だが――
拒まれる前に、見切る。
俺は残らない。
戦えなくなった場所に、価値はない。
――
夜風が吹く。
二階の窓。
アリシアがこちらを見ている。
目を逸らさない。
あの目も、いずれ折れる。
それでも。
俺は止まらない。




