第9話 耐えられなかったのは、沈黙
最初は、
気のせいだと思っていた。
――第二王子カイル・ルイテル・ヴァンテイルは、
そう思いたかった。
呼べば来る。
それが、王子だった。
少なくとも、
昨日までは。
「……誰も、来ない?」
執務室に響いた自分の声が、
やけに軽く聞こえた。
文官はいる。
近衛もいる。
だが、
“話を聞きに来る人間”がいない。
(……どういうことだ)
会議では、
発言が流される。
否定もされない。
賛同もされない。
ただ、
次の議題に進む。
それは、
叱責よりも
ずっときつかった。
(無視……だと?)
ユノス・メルク・フォビアの名を、
耳にしたのはその直後だった。
「……フォビア公爵令嬢は、
本日は評議会に?」
「はい。
第一王子殿下とご一緒に」
何かが、
音を立てて崩れた。
――並んで立つ。
それは、
王宮において
意味を持つ行為だった。
カイルは、
無意識に拳を握る。
(なぜだ……)
婚約は、
自分が破棄した。
彼女は、
捨てたはずの女だ。
それなのに。
評議会の場。
ユノスは、
何も言わなかった。
ただ、
そこにいた。
第一王子の隣。
半歩下がった位置。
だが、
誰も彼女を
“添え物”として扱わない。
質問は、
必ず一度、
彼女の方にも向く。
ユノスは、
答えない。
視線を、
アレクシアに向ける。
それだけで、
場が整う。
(……何なんだ、
あの沈黙は)
カイルは、
耐えられなかった。
怒鳴られたわけでもない。
責められたわけでもない。
存在を認められない沈黙。
夜の宴で、
客がいなくなった席のような――
無音。
「……なぜ、
誰も俺を見ない」
その呟きに、
答える者はいなかった。
控えの間で、
カイルは叫んだ。
「俺は、王子だぞ!」
近侍が、
一瞬だけ目を伏せる。
その仕草が、
全てだった。
ユノスは、
何もしていない。
悪口も、
策略も、
命令も。
ただ、
正しい席に座っているだけ。
それだけで、
人は離れる。
それだけで、
序列は決まる。
カイルは、
ようやく理解する。
この王宮で、
一番恐ろしいのは――
怒りでも、
断罪でもない。
沈黙だ。
そして、
沈黙を操れる人間は、
もう一人しかいない。
彼は、
評議会の扉を睨みつけた。
その向こうにいるのは、
第一王子と――
ユノス・メルク・フォビア。
自分が捨てたはずの女。
だが今や、
自分の席を奪った存在。
その夜。
カイルは、
一つの決断をする。
それが、
完全な悪手だとも知らずに。
静かな支配に、
耐えられなかった。
ただ、それだけだった。




