隣の意味
距離は、
管理できる。
言葉も、
表情も、
立つ位置も。
けれど――
視線までは管理できない。
◇
その日、
王宮は静かだった。
嵐の前のような、
不自然な穏やかさ。
ラドウィンの一件以降、
誰もあからさまに
私へ近づこうとはしない。
第一王子の隣。
それは今や、
触れてはいけない席として
扱われ始めていた。
私は、それを理解している。
けれど。
(……触れられないのは、
少しだけ寂しい)
思考を切る。
これは、
仕事だ。
◇
呼び出しではなかった。
偶然でもない。
アレクシアは、
執務室の奥、
窓辺に立っていた。
夕暮れの光が、
彼の横顔を照らしている。
王子の顔。
でも今は、
少しだけ――
疲れて見えた。
「来たか」
「はい」
私は、
いつも通りの距離で止まる。
◇
「……距離の件だが」
彼は、
窓の外を見たまま言う。
「俺は、
止めなかった」
「存じています」
「正しかったか?」
その問いは、
王子としての確認ではない。
一人の男の不安だった。
◇
私は、
少しだけ考える。
「殿下が止めていれば」
一歩、
近づく。
「“守られた令嬢”になります」
「止めなかったから」
さらに半歩。
「“並ぶ存在”でいられます」
彼は、
ようやくこちらを向いた。
視線が、
真っ直ぐに合う。
◇
「だが」
低い声。
「俺は、
守りたかった」
それは、
初めて聞く温度だった。
王子でも、
策士でもない。
ただの感情。
◇
胸の奥が、
わずかに熱を持つ。
危険だ。
これは、
管理外。
「……ありがとうございます」
私は、
目を逸らさない。
「ですが」
一拍。
「守られると、
立てなくなります」
「隣に」
言い切る。
◇
沈黙。
風が、
カーテンを揺らす。
距離は、
もう昨日と違う。
近い。
触れていない。
だが、
逃げればぶつかる距離。
◇
「ユノス」
名を呼ばれる。
静かに。
「俺は、
王子でいるべきか」
それは、
問いというより
選択肢だった。
◇
私は、
迷わなかった。
「いいえ」
即答。
「殿下は、
殿下でいてください」
「私は」
一歩、
完全に彼の隣へ。
「その隣に立つと
決めただけです」
◇
彼の指が、
ほんの一瞬だけ動く。
触れない。
触れないまま、
止まる。
それが、
今の正解。
◇
「……後悔しないか」
低く、
真剣に。
私は、
わずかに笑う。
「ご指名を受けた以上、
途中退席はいたしません」
少しだけ、
声が柔らぐ。
「ただ」
視線を合わせる。
「ご指名は、
殿下ご自身の意思で」
彼の喉が、
わずかに動く。
◇
「……ああ」
迷いはない。
「俺の意思だ」
その瞬間。
距離が、
完全に意味を変えた。
◇
外から見れば、
何も起きていない。
手も握っていない。
抱き寄せてもいない。
けれど。
王宮は、
これを見逃さない。
◇
その夜。
廊下で囁かれる声が変わる。
「殿下の隣」ではなく。
「殿下の隣に立つ者」
言葉の重みが、
一段変わった。
◇
(夜職語録㉖
隣に座る覚悟は、
抱きしめるより重い)
私は、
自室へ戻る。
鼓動が、
少しだけ速い。
危険だ。
でも。
もう、
引き返す選択肢はない。
王宮攻略は、
次の段階へ進んだ。
理屈でも、
金でもない。
覚悟の段階へ。




